写真提供◎青木さん(以下すべて)

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青木さやかさんの連載「49歳、おんな、今日のところは『……』として」――。青木さんが、49歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、初めてがんに罹患していたことを明かしたエッセイ「突然のがん告知。1人で受け止めた私が、入院前に片づけた6つのこと」が話題になりました。今回は「今日で50歳になる人として」です。

【写真】お祝いの山盛り料理を前に乾杯!

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前回「青木さやか「溶岩ヨガにはまった。コロナで入院中、免疫もスタイルもUPしたいと思って始めたが、趣味を持つ楽しさに気づいた」」はこちら

今日で50歳になる。50って!(驚)

20代の時も30代の時も、50歳といったら、だいぶ大人で落ち着きまくり人生終盤に入る、と思っていたが、ほとんど変わっていないように感じる自分が怖い。終盤なんて、とんでもない。第3コースを曲がるくらいだろうか。まだまだ途中。

もちろん変化したことは、ある。
贅肉のつき方、ほうれい線、老眼、女性ホルモンの低下からくる様々な不具合。

いい事だって、ある。
昔よりは人として成熟したように思う!(林真理子さんの著書『成熟スイッチ』を読んでみたら全く成熟なんてものに及ばないことがわかり、恐ろしくなって途中で本を閉じたが)わたしなりに、成熟したと思う。
生きることが、だいぶ楽になってきた。人の目も、昔よりは気にしなくなってきた。こりゃどうやら評価低いな、と感じても、よいしょ!頑張ろう!と自分を励ませるようにもなった。容姿も収入もセンスも環境も、人と比べることが減った。自分の機嫌は自分でとろうと、努力できるようになった。

わたしは、かつて、自分で自分の誕生日のことを人に報告するなんて考えられなかった。小学生の時、祖父は口癖のように、「さやかは3月生まれだから同級生に比べてなんでもやることが遅い」と言い、「お前が3月に生むからだ」と母を叱っていた。今となっては、あの時代の、あの祖父だからなぁと笑えるが、よくよく考えたらひどい話である!

実際、わたしは同級生と比べて食も細く、運動もできず、これは3月生まれだからか、と思い込んだ。あと5日、生まれるのが遅ければ、4月のあたまの生まれになり、学年トップを走っていたはずに違いない。

自分で自分を持て余すほどの厄介なわたし

3月生まれは好きではなかったが、小学生の時は誕生日会なるものを自宅でやった。当日になると、よんでもいないクラスメイトまで来ていて驚いた。

母は料理が得意ではなく、焦げたウインナーと、ベタベタしたおにぎり、片面がこれまた焦げたホットケーキとほとんど中身のないマーガリンがドンと出てきて、よんでもいない男子に「誕生日なのにホットケーキにマーガリン、貧乏!」と言われ、やりたくもないドッヂボールをすることになり、運動オンチのわたしは誕生日だというのにバンバン当てられ鼻血を出した。ろくな思い出がない。
それ以来、自分の誕生日を誰かに祝ってもらおうなどと思ったことはなかった。

毎日のようにテレビに出ていた頃、誕生日となると、ケーキが運ばれてきてプレゼントが用意され、100人を超す人たちが拍手をしてくれた。わたしは、その度に、不機嫌になった。困ったのもあるし、気恥ずかしいのもあるし、なんだか泣きそうになるのを抑えなきゃとか、色々な感情が右往左往した。

わたしは、世の中にわたしを本当に祝ってくれる人なんているはずない、と思ってた。
テレビに出てるから祝うだけでしょう、来年出なくなったら祝わないんでしょう、どうせ、と思ってた。(実際、そうだった。当たり前だよ 笑)

自分で自分を持て余すほどの厄介なわたしだ。
自分を認めよう、好きになろう!と呪文のように唱えてきたが、なかなか難しい。ポジティブになろう!と言われてもねえ、と、溜め息をついたことは幾度もある。 
だが、50歳に近づき、わたしは自分の取り扱い説明書を自分で書けるくらいには成長した。
自分の癖を知り、自分を理解する、ということは、自分とうまく付き合うことができる。おかげで、少しばかり、わたしにとってわたしは厄介ではなくなった。

自信を持って、自信のなさを手放そう

さて、50歳になるにあたり、わたしは一つ決めたことがある。
それは、「自信がない」という言葉を口にしないということだ。


本連載から生まれた青木さんの著書『母』

親に褒めてもらえなかったから、自己肯定感が低い。
だから、わたしは、何においても自分に合格点が出せない。
それは、とても生きづらい。

これは事実でもあるが、だとしても、そこに留まることをやめようと思う。
わたしは、この話題で、仕事を沢山いただいた。ありがたかった。
だけど、そろそろ、次のステージにいきたい。自信を持って、自信のなさを手放そうと思う。

おかげさまで50歳になることができました。ますます成熟し、堂々と成熟スイッチが読めますように。