自律分散型社会へのセットとセッティング:新年に寄せて編集長から読者の皆さんへ
映画『マトリックス』の有名なクオート(引用)は数あれど、モーフィアスのセリフに「いいかい、すべてはセットとセッティングだ」という印象的なフレーズがある。新作『マトリックス レザレクションズ』においても、主人公のネオがマトリックスから脱出する象徴的なシーンでプレイバックされる(ネオは思わずこう漏らす。「Oh, no…」)。
「自律分散型社会へのセットとセッティング:新年に寄せて編集長から読者の皆さんへ」の写真・リンク付きの記事はこちらあなたがこの現実の世界において、赤い錠剤(レッドピル)を飲んで「知覚の扉」を開けた経験があり、そして運がいいことにそのとき隣にはモーフィアスのような思慮深い導師(グル)がいたならば、あなたもきっと同じセリフを耳元で囁かれたことがあるはずだ。「すべてはセットとセッティングだ」と。
「セット」とはあなたの精神状態、期待や不安、興奮あるいはリラックスしたそのマインドセットのことだ。「セッティング」とはあなたの身体が置かれた状況、取り巻く周囲の人々や環境、そのコンテクストのことだ。あなたが何であれ変性意識を追い求めるなら、行きつく先がマトリックスだろうとウサギ穴だろうと、そこに至る道を決めるのは、セットとセッティングだ。そのことを、ぼくたちは痛いほどよく経験してきた。Have a Good Trip!

実際のところ、20数年前にネオに向けられたこのセリフは、いまになってブーメランのように社会の一人ひとりへと向けられている。「メタヴァース」が本当にインターネットの未来なのか、それともテックジャイアントの誇大広告に過ぎないのかはさておき(22年第1週のSZメンバーシップでたっぷりと特集する予定だ)、xR(クロスリアリティ)が徐々に日常に染み出し、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)と同様にRR(リアル・リアリティ/現実)が“リアリティ”の一形態となりつつあるいま、ぼくたちが何を「リアル」として受け取るのか、それは青い錠剤を飲めば誰かが決めてくれることではなく、一人ひとりのセットとセッティングが決めることになる。
そしてここにも当然ながら、いいニュースと悪いニュースがある。いいニュースとは、それが自分でも介入できる領域だということだ。そして悪いニュースは、両方を同時に満足いくものにすることが、ことのほか難しいという事実だ。例えば最高の瞬間、素晴らしい機会に恵まれたのに気持ちが準備できていなかった(あるいはその逆)、といった経験なら誰にでも多かれ少なかれあるだろう。
少し脱線になるけれど、東京ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTで展示ディレクターを務める企画展「2121年 Futures In-Sight」(22年5月まで開催中)でこだわったのも、来館者のマインドセットだった。22世紀という100年後の未来を考える営為のなかに人間の本質を探し、暮らしやデザイン、テクノロジーやアートの普遍的な洞察を探究するべくセッティングされたこの空間に、はたしてどんな気分で足を踏み入れてもらいたいのかは、考慮すべきもっとも重要なポイントだった。せっかくの展示を、日常の忙しない気分をそのまま持ち込んで眺めてほしくはなかったのだ。結果、21_21史上初となる順路が開拓されることとなった。Have a Good Trip!

思えば『マトリックス』という号砲とともに2000年代に突入してからいままで、ぼくたちはまるでロックダウンされた都市を彷徨うかのように、ずっと、セットとセッティングがバラバラだったのではないかと思う。とりわけ、インターネットが社会のインフラになり、四六時中iPhoneを片手に友人や見知らぬ誰かとSNSでつながり続けるような状況が訪れても、それをたっぷり享受して活用するようなマインドセットはできていなかった。いま、デジタル・ウェルビーイングが何より叫ばれるのは、つまりはそこにギャップがあるからなのだ。
一方で、セッティングがやっと追いついてきた領域にも目を向けよう。ディープラーニングによる第3次AIブームや、VRヘッドセットの急速な普及によって、20世紀に描かれたSFの世界は、『スノウ・クラッシュ』であれ『ニューロマンサー』であれ、ついに少しずつ手触りを感じられるようになっている。けっきょくのところ、ぼくたちは世紀末に『マトリックス』を観ながらそんなマインドセットを準備してきたのだ。
それを一言でいうならば、「自律分散」というセッティングのためのマインドセットだ。中央集権化した社会のその中心にあるのがAIであれ国家であれ企業であれ、そこから想像力と創造力の正当な取り分を一人ひとりの手に取り戻すための果敢な闘いは、これまでサブカルチャーのなかに連綿と受け継がれてきた。いまやそれが「DAO」と呼ばれようと「Web3」と呼ばれようと、あるいは「民主社会主義」であろうと、そのセッティングがついに準備されつつある。NFTの熱狂の陰で、民主化されたテクノロジーを手に自律分散型社会へ向かってハックをしかける人々の動きがいま、世界中で拡がっているのだ。
『WIRED』日本版は21年に、リジェネラティヴな食(「FOOD: re-generative」特集)、都市の新しいかたちとしてのネイバーフッド(「NEW NEIGHBORHOOD」特集)、21世紀におけるコモンズの可能性(「NEW COMMONS」特集)を通じて、社会の底流にあるこの新しいムーヴメントを捉えてきた。“テックカルチャーメディア”を標榜する割に「テクノロジー」と必ずしも直接関係がないテーマだと思われるとしたら、その通りだ。なぜならぼくたちが待ち望んできたものこそ、もっと社会の深層にあるセッティングだったからだ。
この流れは本物だ。何十年もの時を隔てて、いまやぼくたちのマインドと、手にするツールと仲間と環境が揃いつつある。ようこそ、リアル・リアリティの世界へ。ここにはまだ、ありうべき世界へと進むためのたくさんの余地が残っている。あとはあなたが何を選択するかだ。え? いまのテクノロジーが何か世界をよくするために使われるなんて想像もできないって? いいだろう。でもこれだけは覚えておいてほしい。すべては、セットとセッティングだ。Have a Great Trip!
『WIRED』日本版編集長
松島倫明
