GKなのに「おもしろ背番号」だった守護神たちとその理由
サッカー界でGKといえば、背番号1のイメージがある。にもかかわらず、驚きの番号を背負った変わり者たちを取り上げてみる。
2番:エミリアーノ・ヴィヴィアーノ
あのパリューカから「ジジ(ブッフォン)より上」と評価されたこともある元イタリア代表GK。サンプドリア時代以降、2番を着用することが多い理由とは。
エミリアーノ・ヴィヴィアーノ
「理由はないんだ。
ここ(サンプ)に来た時、3,4日のテストしかなかった。ウェブサイトを見たら、すでに1番は別のGKが着けていた。
自分は70、80、90とかの番号を着けるのは好きじゃない…。
どの番号が空いているのかを聞いたら、2番だと言われた。そこで、『OK、2番ね』と答えたのさ。
1年後に1番は空いたけれど、ジェノアからクリスティアン・プッジョーニがやってきた。サンプファンの彼はこのユニフォームを着るのが夢だった。なので、自分は2番のままにしたんだ」
3番:フェデリコ・ビラル
元アルゼンチン代表GK。
母国では無名の存在だったが、メキシコではリーグ最高のGKの1人になり、マラドーナによって初めて代表に招集された。ピンポイントで味方に送る低弾道の高速パントキックは世界最高峰レベルで、その技術を活かしてFKでゴールを決めたことも。
左サイドバックだった父親への敬意として3番を着けることが多かった。
4番:トニョ・ロドリゲス
名門チバスでプレーする27歳のメキシコ人GK。
ティフアナ時代にも4番を着けている。4番にしたのは、彼がクリスチャンであることと、聖書と関連しているという話。
そんなトニョはこんな仰天ゴールまで決めているぞ!
まさかすぎるキャリア初ゴールだった。
5番:ルーカ・ブッチ
隠れた実力派だった元イタリア代表GK。小柄ながら、スキルやインテリジェンス、安定した足元を備えていた。パルマ時代に5番を着用。
5番:ウバルド・フィジョル
元アルゼンチン代表GK。同国がワールドカップで初優勝した1978年大会で5番を着けた。
その理由は当時のアルゼンチン代表が名前のアルファベット順に番号を着用していたため。
6番:ギジェルモ・オチョア
モフモフヘアでブレイクしたメキシコ代表GK。クラブ・アメリカに復帰した際にこの番号を選んだ。
移籍した日が8月6日だったのが、理由だとか。
7番:ルーカ・ブッチ
隠れた実力派だった元イタリア代表GK。パルマ時代に5番だけでなく7番も着けた。
7番:ウバルド・フィジョル
元アルゼンチン代表GK。1982年のワールドカップでアルゼンチン代表の7番を着用した。
前述した通り、名前のアルファベット順で背番号を決めていたのがその理由。
8番:ギジェルモ・オチョア
Memo 🇲🇽 a choisi le numéro huit ! - Memo 🇲🇽 eligió el número ocho(a) ! 👍👏💪 #RSCL pic.twitter.com/e0OIbIpI9p
— Standard de Liège (@Standard_RSCL) 2017年7月13日
ふたたび登場のモフモフ守護神。スタンダール・リエージュ加入1年目に8番を選んだ。
Ochoaという名前と、スペイン語で数字の8を意味する「Ocho」からこの番号にしたとか。
9番:ホルヘ・カンポス
GKとしては非常に小柄ながら超人的な身体能力で活躍した元メキシコ代表守護神。
FWとしてもプレーしたことで知られ、通算38ゴールを記録したレジェンドだ。
1995年のコパ・アメリカ、1996年のアトランタ五輪ではメキシコ代表の9番を着用。逆に背番号1のフィールドプレイヤーとしてプレーしたこともある。また、1(GK)+9(FW)を意味する「19番」を着けたことも。
10番:クリスティアーノ・ルパテッリ
キエーヴォ時代に10番を背負ったイタリア人GK。ルイージ・デル・ネーリ監督のもとでビッグセーブを連発して“ミラクル・キエーヴォ”の立役者となった。
最初はジョークだったものの、賭けに勝ってこの番号を着けることになったとか。
10番:イグナシオ・ゴンサレス
En la #CopaAmérica de 1997, Nacho González (#Arg) defendió el arco de la selección y usó la camiseta número 10. pic.twitter.com/gAvHRG6u6E
— En Una Baldosa (@enunabaldosa) July 4, 2015
元アルゼンチン代表GK。1997年のコパ・アメリカで、GKにもかかわらず代表10番を着けた。
同時期にW杯予選が行われていたため、この大会のアルゼンチンはBチーム編成(二軍)だったとか。チームの指揮を執ったのも、代表監督のパサレラではなく、アシスタントのサベーラだった。
以前のように名前のアルファベット順で背番号を決めたため、GKだった彼が10番を着けることになったというわけ。
11番:ルイ・パトリシオ
ウォルヴァーハンプトンに所属する現ポルトガル代表GK。長らくスポルティングの守護神に君臨した後にプレミアリーグに参戦した。
ウルヴスは白血病のために現役を引退したカール・イケメが背負っていた1番を永久欠番扱いにしている。彼に敬意を払う形で、パトリシオは1番ではなく11番を選んだとのこと。
01番:ホジェリオ・セニ
プレースキッカーとしても活躍し、通算100ゴール以上を記録した元ブラジル代表GK。長らく守護神を務めたサンパウロでは、2007年から「01」番を着用した。
当時のサンパウロには10番がいなかったため、相手を錯覚させるための作戦だったとか。サンパウロはセニの引退に伴い、01番を永久欠番にしている。
125番:ロランド・クリスタンテ
元アルゼンチン代表GK。メキシコのトルーカでは400試合以上に出場したレジェンド。
強さと優しさと謙虚さをもつ人格者で、ロングフィードも非常に正確だった。
トルーカで125番を着けた理由は、クラブスポンサーだった地銀「Banamex」が創業125周年だったため。本人はあまり気に入っていなかったとか。
【関連記事】「背番号1」なのにフィールドプレイヤーだった8人の異端児
背番号に寛容なメキシコでは、プーマスのレジェンドだったGKセルヒオ・ベルナルも125番を着けた。
この他では、ユヴェントスGKジャンルイージ・ブッフォンの77番、ミランGKのジャンルイージ・ドンナルンマの99番も変わった番号だろうか。