なぜ任天堂は何度も奇跡の復活ができるか

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■ニンテンドースイッチ、ヒットの理由

任天堂の業績が回復している。2018年3月期連結決算は、売上高が前期比2倍を超える1兆556億円。7年ぶりに1兆円を超えた。営業利益も1775億円で、前年の約6倍だ。

業績回復に大きく貢献したのは、17年3月に発売した家庭用ゲーム機・ニンテンドースイッチ(以下、スイッチ)のヒットである。当初、17年度の世界販売台数は1000万台が目標だったが、蓋を開けてみれば1505万台が売れた。

スイッチの特徴は大きく2つある。1つは可搬性。家庭用ゲーム機でありながら持ち運びが可能で、画面も備えているため戸外でも遊べる。もう1つは、高性能センサーを搭載したコントローラーである。「コップに水を注ぐ」ような微細な触感を伝えられる「HD振動」や、物の形や距離を認識することができる「モーションIRカメラ」が装備され、今までなかった感覚で遊べるようになった。そして、この「今までなかった」体験を提供することこそ、任天堂のお家芸と言える。

■今までにないジャンルを開拓することが得意

ゲームの進化の潮流は、大きく2つある。1つは、映像や音楽のクオリティを上げ、ゲームの世界へユーザーの没入感を高めていく方向だ。ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)のプレイステーションや、マイクロソフトのXboxなどはこの流れにあり、ゲームの王道とも言えるかもしれない。

もう1つは、新しい技術を映像や音楽以外に組み込む方向だ。たとえばコントローラーの手触り、複数画面の組み合わせ、テレビから離れて遊ぶ体験などによって、新しいおもちゃ箱を開けるような体験を提供していく。そういった斬新なアイデアで、今までにないジャンルを開拓することを任天堂は得意としてきた。そういう意味で、スイッチは極めて任天堂らしいゲーム機だと言えるだろう。

■後継機の不振で、低迷の時代へ

近年の任天堂の業績を振り返ってみよう。1兆8000億円と過去最高の売上高を記録したのが、09年3月期。この時期は携帯型ゲーム機・ニンテンドーDSシリーズと、据え置きゲーム機のWiiが同時にヒットしていた。

リモートコントローラーで直感的に操作できるWiiは、先述したように新しい体験によってユーザーを魅了した。革命的だったのはゲーム機ビジネスが成熟する中で、新たなユーザーを獲得し、市場を活性化させたことだ。

Wii登場以前は、ゲームをやるのは利用時間が長いコアユーザーと、利用時間の短いカジュアルユーザーの2つの層だと考えられていた。これに対し当時の岩田聡社長は「お母さんに嫌われないゲーム機」のコンセプトを掲げ、家族全員で遊ぶというスタイルを提唱。結果、Wiiは従来の区分に囚われないユーザーを獲得して大ヒットした。

■Wiiの後継機「Wii U」が売れなかったワケ

その後、任天堂は低迷する。ロケットスタートで売り上げを伸ばした主力商品のWiiシリーズが、徐々に失速したことがその一因だろう。ソフト開発費用は年々膨らむ傾向にあり、ゲームメーカーはその費用を回収するため、1つのゲームを異なるゲーム機で対応できるように開発する「マルチプラットフォーム戦略」を採るようになった。

Wiiシリーズのプラットフォームは、他社製のハードに比べて独自性が高い。ゲームメーカーにとって開発効率の低下を招き、だんだんWii向けのソフトを作らなくなってしまった。またハードコアユーザーの中で、「Wiiの楽しさは十分にわかったから、また王道の没入感の強い本来のゲームをやりたい」という揺り戻しが起こり、プレイステーション3やXbox360へと興味が移っていった背景もある。

そして12年、Wiiの後継機として発売したWii Uが売れなかった。これに限らず、任天堂の家庭用ゲーム機は後継機が苦戦するという法則が見られる。新しい機能を付加しても、基本的なアーキテクチャーが同じだと、新鮮味に欠けるからだ。

2Dから本格的な3Dゲーム機に対応したニンテンドー64や、2画面になったニンテンドーDSは、明らかにアーキテクチャーが違った。前述したように任天堂のゲーム作りの基本は「デジタルのおもちゃ箱」である。それにユーザーは驚きや感動を覚え、ヒットするのだ。

もう1つ任天堂にダメージを与えたのは、スマホゲームの台頭である。

■時間が経って飽きられると低迷する、という宿命

この10年ほど、世界のゲーム市場は伸長を続けているが、大きく伸びているのはスマホゲームを含んだモバイルゲームだ。今や市場シェアの約半分を占め、家庭用ゲーム機とPCはそれぞれ約4分の1に収まっている。まさに任天堂のスローガンである「ゲーム人口の拡大」を後押ししたが、その任天堂はスマホゲームに遅れて参入し、まだ収益の柱にはなっていない。

これまで見てきたように、任天堂のゲーム機ビジネスはユーザーの新しいニーズの掘り起こしに成功すればヒットするが、時間が経って飽きられると低迷する、という宿命を持っている。

今回のスイッチの世界的なヒットは、Wii Uの販売が低迷し3期連続で赤字を計上した後での事象だと考えると、奇跡に見えるかもしれない。しかし任天堂の過去のビジネスを振り返ると、飽きられたことによる低迷から革新的ハードによる復活というサイクルを繰り返した、ともとらえることができる。

■変わりつつある、「孤高の中小企業」

それにしてもなぜ任天堂は、他社には作れない独自性の高いハードを出し続けることができるのだろうか。それは同社の企業文化に拠るところが大きいと私は考える。

優れたアイデアはゲーム業界の現場からたくさん出てくるが、それが現実のプロダクトに集約されていかない現状がある。他社から入ってきた情報や業界の常識に影響を受け、大人数が多数決で採決していくことで、商品開発はどんどん個性が丸くなってしまう。

そうならないため、同社の山内溥元社長は中小企業であり続けようとした。少人数で濃密な議論をし、阿吽の呼吸で開発する、ということにこだわったのだ。結果、現場から出たアイデアが優れていると判断すれば、他社では却下されるようなものでも任天堂では商品化してきた。

企業構造も独自色が強く、山内社長時代はナンバー2を置かず、社長の下に開発部署を横並びにして競わせる、という形を採っていた。この構造が、家庭用ゲーム機が落ち込んでも、別の部署が開発した携帯用ゲームが台頭する、ということを可能にし、長期にわたって企業の躍進を支えてきた。

■「尖ったゲーム作り」の方法論はまだ錆びていない

02年に山内氏の後を継いだ岩田氏は、任天堂向けのソフト制作会社を立て直したスーパープログラマーで、各部署に顔が利く人物だった。岩田氏は部署間に横串を通して風通しをよくすることで、開発に活力を生み出そうとした。一方で開発規模の拡大に伴い、社員数も急増。孤高の中小企業であろうとした任天堂も、この頃から徐々に変化してきたのではないだろうか。

近年、変化の象徴として映ったのが、15年のDeNAとの業務・資本提携である。苦手分野であるネットワークインフラの拡充が狙いで、フラットな関係の協業は今までにはない印象を受けた。また日本の家庭用ゲーム業界ではこの十数年、開発者会議を開いて情報を出し合い、切磋琢磨して業界の底上げを図ろうとしている。そこに距離を置いていた任天堂が、ここ数年、参加して自社の技術情報を提供するようになったのだ。

こうしたオープンな方向での変化が目立つ一方で、スイッチの大ヒットは「尖ったゲーム作り」が任天堂の本願であり、その方法論がまだ錆びていないことを社内外に知らしめた。6月に就任した古川俊太郎新社長は、「オープン」と「孤高」の2つのバランスをどうとっていくのか、今後の手腕が注目される。

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小野憲史(おの・けんじ)
ゲームジャーナリスト
雑誌「ゲーム批評」編集長などを経て、2000年よりフリーのゲームジャーナリスト。NPO法人IGDA日本事務局長。専門学校東京ネットウエイブで非常勤講師もつとめる。主な編著に『ゲームクリエイターが知るべき97のこと 2』(オライリージャパン)などがある。

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(ゲームジャーナリスト 小野 憲史 構成=吉田洋平 写真=iStock.com)