「プライベートにこだわらない」――綾野 剛は失ったものと引き換えに何を手に入れたのか?
綾野 剛は変化を恐れない。「20代と30代で自分でもすごく変わったなと思います。翌日になったらもう考えが全然違っていたりしますからね」と楽しそうに語る。貪欲に、より良いと思うものを受け入れる――その姿勢が彼を現在の地位へと押し上げた。新作映画『日本で一番悪い奴ら』で綾野が演じるのは、あらゆる悪事に手を染め、堕ちていく警官。純朴な青年が変化していくさまに何を感じたのか? じっくりと話を聞いた。

撮影/平岩 亨 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.

「新しい景色」を求めて、オファーに即答。





――山田孝之さん主演の『凶悪』でセンセーションを巻き起こした白石和彌監督の最新作ということで、オファーが届いた時点で「出ます」と即答されたそうですね?

『凶悪』を見て衝撃を受けたというのはもちろんあります。その翌年の春、日本アカデミー賞の授賞式に、僕は新人俳優賞(『横道世之介』、『夏の終り』)で出席していたんですが、その場に白石監督もいらして、リリー・フランキーさんに紹介していただきました。

――そこでどんなお話を?

あれだけの作品を撮る監督と仕事をしたくない役者なんていないと思います。「ぜひいつかご一緒できたら嬉しいです」とお伝えして、白石監督も「やりましょう」と。だから今回、お話をいただいたとき、お断りする理由がなかったです。

――白石監督の作品のどこに惹かれて、そこまで強く「一緒に仕事がしたい」と感じたのでしょうか?

『凶悪』を見て、どういう演出をしたら、役者のこんな表情を引き出せるんだ? と驚きました。俳優の可能性を見つめ、愛情たっぷりに演出してくださる監督でないと、あんな作品はできない。見たことのない景色を見せていただけるんじゃないかという思いがありました。



――実際に演出を受けてみていかがでしたか?

自分の中の新たな可能性をたくさん引き出していただけたと思います。「まだまだ頑張れるな」って思いました。

――『日本で一番悪い奴ら』は北海道警の実際の事件を基にした作品ですね。柔道の腕を買われて警官になった主人公・諸星が「悪を絶つ」という信念のもと、どんどん道を踏み外していきますが、悪い男なのになぜか魅力的です。

迷いなく、一生懸命に生きているところが人間くさくてチャーミングですよね。熱量というか、本当に生きているなって感じがします。何事においても絶対に手を抜かないところが好きです。犯罪を肯定はできませんが、どこか憎めない。



――「正義」を掲げつつも、悪事に手を染めるそもそもの動機が「警官として点数を稼がないといけないから」というところも人間が小さいです(笑)。

ちょっとダサいところもいい。ダサくて滑稽なんです。完成した映画で、諸星が女性を怒るシーンを見て「こいつ、本当にダサくてヘタクソな怒り方をする男だな…。」って(笑)。

――演じながら意識したというわけではないんですか?

やってみたら、そうなっていたという感じですね。諸星という容器を通して怒ってみたら、こんなにダサくて、ちっちゃな男になっていました。

――実在の人物がモデルとなっている諸星ですが、どのようにアプローチし、どんな部分を大切にして演じられたんでしょうか?

普段から、役は現場で監督や共演者と作り上げていくものだと思っているので、自分で何かを作るという作業はできるだけ排除したいと思っています。だから、事前に特別なことはしていません。ただ、意識した部分でいうと、諸星の声の出し方の変化ですね。



――これまでの綾野さんの作品で聞いたことのないような、低いダミ声が印象的でした。

人間って立場や関わる人によって、露骨に声が変わるんですよ。機動捜査隊からマル暴(暴力犯係)、銃器対策課と最後のシーンと4段階で声色を変化させることは強く意識しました。

――ピエール瀧さん演じる上司に煽られ、諸星が初めて犯人のアパートに殴り込むシーンは圧巻でした! いきなりスイッチが入ったような暴れっぷりで…。

恐怖がああいう振る舞いをさせているんですよね。捜査令状もなしで、スパイのタレこみだけで行っているからビビってる(笑)。だからこそ、虚勢を張ってイキって入っていかないと自分を保てないんです。

――あるはずのシャブ(覚せい剤)が見つからないときのうろたえぶりも最高でした。

中村獅童さんが演じた黒岩(ヤクザだが諸星と兄弟盃を交わす)と初めて会うときもそう。僕は恐怖と臆病さが人間を形成していると思っています。こんなちっちゃい男の起こしたことがなぜこんな大事件になったか? それは途中で彼が恐怖を感じなくなったから。恐怖を失った人間は死も痛みも想像できず、何でもやってしまう。

恐怖を打ち消すには、努力するしかない。





――シャブに銃の密輸…とエスカレートしていきますが、最初に感じていたはずの恐怖を感じなくなったのはなぜなんでしょうか? 慣れでしょうか?

慣れというより、警察という組織の中でそれが「正義」だと思ったからでしょう。諸星のモデルとなった人物が、一番怖かったのが「上司」だったそうです。ヤクザなんてこれっぽっちも怖くなかったと。

――目の前の小さなことしか見えてないんですね(笑)。

そうなんです。その目の前の組織そのものがルールから逸脱していて、彼自身が逸脱しているわけじゃないんです。組織の外の世界への恐怖がマヒしているから、どんどんエスカレートしてしまう。

――綾野さん自身は、恐怖心というのはお持ちですか?

僕は他人よりもずっと臆病だと思います。仕事で新しい台本が来る。基本「悩むのは決断してから」と思っているから、まず「やる」と決めてしまうんですが、そこからは毎回、恐怖しかないですよ(苦笑)。果たして自分にできるのか? と。



――「悩むのは決断してから」というのは、あえて自分を追い込んで恐怖を乗り越えようとしてるんでしょうか?

それはあります。退路を断って簡単に逃げられないように。そうなると、恐怖を打ち消すには努力するしかなくなる。一番の近道は結局、努力なんです。やるべきことをやれば、結果はついてきます。ただ、注意しないといけないのは、努力することと夢が叶うかどうかは別のことだということ。

――といいますと?

努力で誰しもが「箱根駅伝」に出られるとは限らない。でも「箱根出場」と目標を掲げ、そこに向かって努力すれば、結果はともかく成長は確実にあるわけです。必ずしも求めたものすべてを得られるわけじゃないけど、それは努力しなくていい理由にはならない。やはり毎回、努力です。

――「結果」と「プロセス」というのは人生に付いて回る要素ですね。劇中、諸星たちが目の前の結果のためにほかの犯罪を見過ごすなど、本末転倒となっている点も印象的でした。俳優の仕事も視聴率や興行成績といったわかりやすい数字的な結果で判断されがちですが…。

ちょっと話が観念的になってしまうかもしれないんですが…。僕にとっての「過程」と「結果」って、大げさですが人生における「生」と「死」だと思っているんです。死というのは人生における究極の結果であり、それは誰にも訪れるし、受け止めるしかないものなんです。



――なるほど…。

でも「死」を想像できるから、僕らはいまを生きようとする。そして仕事においてはひとつの結果はそれで終わりではなく、次へのプロセスでもあります。演じるということもプロセスの一部ですが、その中でこそ僕は「生きている」という実感を得ています。それに伴う結果は受け止めるしかないです。ただし「いい作品を作れば結果なんてどうでもいい」とはまったく思いません。

――プロセスで全力を尽くすのはもちろん、数字的な意味での結果も大切にすると?

以前は「いいもの作っていればそれでいい」と思っていた時期もありましたが、変わりました。それは逃げているだけだなと。僕らにとって数字的な結果って、それだけ多くの人が見ている、チケット代を払って劇場に足を運んでいるということですから。それは大事なことです。

――多くの映画人が「観客に見てもらって初めて作品は完成する」とおっしゃいますね。

さっきの話でいうと、「結果」を想像するって、見てくださるお客さんの存在を想像するということ。そこを無視して「結果なんてどうでもいい」という生き方をするなら、俳優、ましてや主演などやってはダメだなと思います。ゴチャゴチャ難しいこと言ってますが(笑)、多くの人に見てもらえることって単純に、死ぬほど嬉しいですよ。