「愛されながらも、クラブと別れることになった10人のレジェンド」

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愛するクラブでそのキャリアを全うできる選手はごくわずかだ。そんななか、寵愛を受けていたはずのクラブから退団することになったレジェンドたちについて、『Squawka』が伝えていた。

なお、最初の2人はまだ去就自体は決定していないものの、袂を分かつ可能性が高いと見られている。

フランチェスコ・トッティ/ローマ

ローマのフランチェスコ・トッティほどに自らのチームのサポーターたちに愛され、尊敬される選手は数少ない。1992年のデビュー後、信じられないほどの出場を積み重ねてきた。

彼以外の人物がローマの10番を身に着けることは考えづらい。だが、より大きなリスペクトを要求した後、トッティはパレルモ戦のメンバー外となった。悲しいことに、彼のローマでのキャリアは終わりに向かっているように見える。

トッティが同世代のなかで最も才能に恵まれた選手のひとりであったことに疑いの余地はない。スクデットとコッパ・イタリアを勝ち取ったことはあるが、タイトル数だけ見れば多くはない。それでも、彼が生まれた街のクラブから離れようとしてことはなかった。

ジョン・テリー/チェルシー

チェルシーのキャプテンであり、リーダーであり、レジェンドであるジョン・テリー。だが、18年間におよぶ“共生”は今季末で終わりを迎えるように見える。

先月のFAカップ対MKドンズ戦に5-1で勝利した後、新たな契約はやってこないだろうと知らされたと彼本人が明かした。つまり、今季はスタンフォード・ブリッジでの最後になる可能性があるのだ。

ただ、テリーのチェルシーにおける将来は来季以降の監督が決めるだろうとクラブが示唆したという逆の情報もある。とはいえ、全てのシナリオはごまかしとして作られたという疑念を振り払うのは難しい。

スティーヴン・ジェラード/リヴァプール

メガクラブから何度も興味を持たれていたにも関わらず、リヴァプールへ忠誠を誓ったジェラード。チェルシーでのテリー同様、少年時代から応援していたクラブをキャプテンとして率いたままそのキャリアを終えることが運命づけられていたように見えた。

だが、2014-15シーズン限りでクラブを離れることになるだろうと、昨年1月に発表。その後、新天地はデイヴィッド・ベッカムもプレーしたLAギャラクシーであることが明らかとなった。

残念ながら、ジェラードのアンフィールドでの時間はハッピーエンドでは終わらなかった。Kopの前でのラストゲームで、リヴァプールは1-3で敗戦。また、ジェラードの退団前最後のストーク戦も1-6という大敗に終わった。

イケル・カシージャス/レアル・マドリー

昨夏、愛するクラブを離れたのはジェラードだけではない。

この10年間レアル・マドリーをキャプテンとして率い数多の成功をもたらしたイケル・カシージャスも、クラブから出し抜けに追い出されることになった。34歳になった彼はもうかつての彼ではない。

だが、彼の退団に際するマドリーのやり方はひどくデリカシーに欠け、クラブに尽くしてきた男に対してふさわしいものではなかった。

(ラストシーズンは)自らのサポーターから野次られた彼が急遽手配された記者会見で何度も涙する姿は、ベルナベウでの素晴らしきキャリアを締めくくるにはあまりにも悲しいものだった。

チャビ・エルナンデス/バルセロナ

レアル・マドリーの宿敵であるバルセロナもまた、2015年夏にレジェンドと別れを告げた。クラブ史上最多出場を誇るチャビは、2度目のトレブル達成という快挙とともにカタールへと去った。

最後の数シーズンは、アンタッチャブルだった彼の地位は揺らぎ始め、イヴァン・ラキティッチの加入によって、最も大事な試合でベンチに置かれることにもなった。

それでも、スペイン代表で長年苦楽を共にしたカシージャスに比べれば、バルサでの最終章はずっと幸せなものだった。

アレッサンドロ・デル・ピエロ/ユヴェントス

パドヴァでキャリアをスタートさせたデル・ピエロ。とはいえ、そのキャリアは19年を過ごしたユヴェントス時代によって常に定義されるだろう。

カルチョポリスキャンダルによってセリエB降格となった2006年もチームに残留するなど忠誠を尽くし、ユーヴェ史上最多となる705試合に出場した。

その後、AリーグのシドニーFCに移籍するという珍しいステップを踏み、48試合で24ゴールをマーク。2014年にはインドのデリー・ダイナモスでプレーするというチャレンジも(その後引退)。

フランク・ランパード/チェルシー

テリーとは違い、彼はチェルシーでキャリアを始めたわけではない。だが、ウェストハムから加入した2001年以降に残したインパクトによって、今後もブルーズファンたちからヒーローとしてみなされることだろう。

スタンフォード・ブリッジでの13年で、648試合211ゴールを記録。クラブ史上最多スコアラーになり、数多のメダルも勝ち取った。

だが、その功績と副キャプテンだったという事実がありながらも、契約満了での退団が許された。そして驚くべきことに、タイトルを争うライバルであるマンチェスター・シティでプレーすることになった。

ラウール・ゴンサレス/レアル・マドリー

クリスティアーノ・ロナウドに破られるまで、マドリー史上最多得点記録を有していたのはラウールだった。彼は741試合で323ゴールを記録。クラブのサポーターに、最後まで愛された。

2008-09シーズンに18ゴールを叩き出したラウールだが、C・ロナウド、ベンゼマ、カカの加入によって、その役割はかなり減少した。そして、その翌年にシャルケへと移籍していった。

ドイツでの2年間はコンスタントに得点をマークし、その後はアル・サッド、ニューヨーク・コスモスでプレー。昨年、現役から引退している。

マッシモ・アンブロジーニ/ミラン

近年は苦しんでいるミランだが、10年ほど前は欧州最高のクラブであった。そのスカッドは、アレッサンドロ・ネスタにカカ、アンドリー・シェフチェンコなど、選ばれし者たちで埋め尽くされていた。

そのミランがカルロ・アンチェロッティのもとで黄金期にあった時代、常に中盤にはアンブロジーニがいた。1995年にチェゼーナから加入した彼は、ミランで18年を過ごしキャプテンも務めた。

ミランには、長くプレーした奉仕者たちに対し、キャリアを終わらせるため1年間の契約延長で報いるという伝統があった。パオロ・マルディーニやアレッサンドロ・コスタクルタのケースのように。だが、アンブロジーニはその最後をフィオレンティーナで過ごした。

グティ/レアル・マドリー

残念なことだが、レアル・マドリーにはスターたちがもはやピークでなくなった時に切り捨てるという習慣があるように見える。ラウールやカシージャス同様、グティの身にもそれが2010年に起きた。

上記2人と同じくマドリーのカンテラで育った彼は、トップチームで15年間プレーしたが、最後はトルコのベシクタシュに移った。

スペイン代表ではレギュラー確保に苦戦したが、マドリーにおいては、90年代後半からギャラクティコ時代にかけて不可欠な存在であった。