撮影:岩佐篤樹

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2015年1月から行われたスキマスイッチのツアー『スキマスイッチ TOUR 2015“SUKIMASWITCH”』は、とてもとても大きなツアーとなりました。“大きな”という言葉にはいろいろな意味が含まれますが、もっとも大きなことは言うまでもなく、ツアーの大成功っぷりです。

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いや、「ツアーが大成功すること」だけで言えば、ここ数年スキマスイッチのツアーは毎回、大成功を収めていたと個人的には思います(それだってよく考えるとすごいことなのですが)。でも今回のツアーはその“大成功っぷり”がすごかった。大成功のレベルが、とんでもない地点に達してしまった感があるのです。

なんというか、「俺、音楽好きなつもりでいたけど、それにしても、音楽ってここまでいいもんだったっけ」と唖然としてしまうほどの充実さがこのツアーにはありました。いや、本当に(念押し)。そんないまのスキマスイッチのすごさがこれでもかと爆発した、ツアーの追加公演として行われた7月1日・日本武道館でのライブの模様をレポートします。

“未知なる音楽の豊かさ”を追い求めた季節

スキマスイッチは、2009年の『ナユタとフカシギ』、2012年の『musium』と、近年非常にアグレッシブかつ濃密な力作を作り続けてきました。そのモチベーションとなったのは、ふたりの“音楽への探究心”でした。

熱を帯びたメッセージが込められた歌詞(『musium』ツアー時の『時間の止め方』のリプライズには泣きました→過去記事『スキマスイッチ最高潮のツアーファイナル沖縄公演』)、ポップスの枠を超える多彩なアレンジ、硬軟を自在に行き来する有機的なバンドの演奏――。この2作には、彼らがまだ手にしていない“未知なる音楽の豊かさ”への渇望感が渦巻いていました。その熱量をよりダイレクトに感じられたのが、リリースに平行して数多く展開されたライブです。

1000〜2000人規模のホール会場が遊びに行った友だちの部屋ほどに感じられる親密な空間で繰り広げられる、よけいなハードルはなく誰もが自由に楽しめる、それでいてぬるさやゆるさとは無縁の(MCを除いて)鉄壁のステージ。ライブハウスでも、野外フェスでも、アリーナ会場でも、彼らは常に目の前の観客、そしてなにより音楽と、やりすぎなほど真摯に向き合い続けてきました。

この数年、スキマスイッチは活動の根幹に“自分たちにしか鳴らせない音楽の探求”というテーマがあったように思います。そんなスキマスイッチの最新作が、セルフタイトルが冠された6thオリジナル・アルバム『スキマスイッチ』です。

アルバム『スキマスイッチ』がまとう“飾らなさ”の正体

最初にこのアルバムを聴いたとき、どこか不思議なアルバムだな、と思いました。これまでの熱量渦巻く感触とは違う、どこかさりげなさというか、風通しのよい手ざわりを感じたのです。

この感覚は、セルフタイトル作を出すと知ったとき反射的に抱いた「どんなに気合いの入った超大作になるのだろう」という勝手な想像からは若干外れたものでした。実際に聴いてみると、10曲というフルアルバムにしてはミニマムなボリュームで、なによりセルフタイトルにも関わらず過去最高に力の抜けた、飾らないアルバムに仕上がっていたからです。

アルバムに至る3枚のシングル『Ah Yeah!!』『パラボラヴァ』『星のうつわ』を聴けばわかりますが、スキマスイッチのソングライティングはここにきてさらに飛躍的に進化しています。今作でも1曲1曲の純度はすさまじく高まっています。

しかしそういった珠玉の楽曲たちが、仰々しい包装紙できれいに包まれているのではなく、実にさりげない顔をして、ただ目の前にゴロッと並べられているだけ――そんなアルバムなのです。

この、これまでにない“飾らなさ”はいったいなんなんだろう――そんな思いを抱きながら足を運んだツアーで、 スキマスイッチが身につけた“飾らなさの正体”をまざまざと見せつけられたのです。

日本武道館の1曲目は、ホールツアーと変わらず『Ah Yeah!!』からスタートしました。事前にアナウンスされていたとおり、この日のライブはホールツアーの内容を踏襲しつつ、さらにブラッシュアップした内容となっていました。

続いて全都道府県ツアー「DOUBLES ALL JAPAN」で生まれたアッパーチューン『トラベラーズ・ハイ』へと雪崩れこんだあとは、序盤の白眉である『夏のコスモナウト』〜『双星プロローグ』のブロックへ。

この2曲、先の2曲に比べるとテンポが控えめなこともあり、セットリスト的にはいったんクールダウンという印象もなくはないですが、実はもっともスキマスイッチのライブにおける演奏のグルーヴを感じられる流れだと思います。

長いツアーを共にしてきた“チーム・スキマ”の面々も、ホールツアーのとき以上に演奏の自由度を増し、彼らが生み出す、高い武道館の屋根に向かって旋回しながら登っていくような豊かなグルーヴが、まだ4曲目とは思えない高揚感を会場に充たしてゆきます。

彼らのライブに必要不可欠な「振れ幅」

『夏のコスモナウト』と『双星プロローグ』は、そもそも歌うのが難しい曲が多い(あの『全力少年』も安易にカラオケで歌おうとすると本当に難しくて泣きが入ります→過去記事『これがポップスの新しい基準/スキマスイッチ『musium』)スキマスイッチのレパートリーのなかでも「サビのメロディが鬼のように難しい曲」の5本の指に入ると個人的に思っているのですが、その2曲を軽々と歌いこなす大橋卓弥に、いまさらながら圧倒されます。

いや、正確に言うと「歌いこなす」という次元ではありません。歌えるのは当たり前で、音源よりすごい表現力とパッションで見事に歌い上げるのです。いや、うーん、でも歌い上げるという言葉に付属する、どこかイキっている感じもまったくないのです。もっと厳密に言うと、彼はステージでただ「歌っているだけ」でした。

これは常田真太郎をはじめとするバンドメンバーもそうでした。やっていることは、ただステージで演奏しているだけ。この日の彼らは終始、「音楽をやっているだけのひとたち」だったのです。

さて、人にスキマスイッチのイメージを尋ねたら、少なくない確率で「親しみやすい」という言葉が返ってくると思います。

自身もライブのMCで「僕らは音楽をやっているだけの、普通の人間です。身近に音楽を楽しんでほしい」という主旨の発言を繰り返しているし、この日もそういう言葉を語っていました。その言葉に嘘はないし、自分も彼らのそういうところが好きなのは事実です。

一方、そもそも音楽とは、もっと言うとポップスというものは、ひとの欲望や快楽を増幅させるある種の劇薬でもあります。音の集合体を聴いただけで体を動かさずにはいられなくなり、我を忘れるほどの多幸感を得てしまうって、よく考えるとかなりヤバいことでしょう。

この日のライブでは、スキマ史上最高に独善的でだからこそ甘美なラブバラード『願い言』から、エモーショナルな叙情性が爆発する激名曲『僕と傘と日曜日』への流れに震えました。

“親しみやすい優しいお兄さん”という顔をしながら、スキマスイッチのポップスに潜む魅惑的な暴力性がみごとに開陳されたシークエンス――こういうゾッとするような瞬間をライブに忍ばせる振れ幅もまた、いまのスキマスイッチの音楽に欠かせないものなのです。

オーディエンスと交わされる細胞レベルのキャッチボール

もうひとつ、いまの彼らの“振れ幅の豊かさ”を感じた瞬間がありました。

村石雅行のドラムソロが誘う不穏なイントロが刺激的だった『ゴールデンタイムラバー』から、最新作随一の攻撃性を持つ『ゲノム』に雪崩れ込むパートでは、照明を駆使した演出もすばらしく、この日のライブでひとつの沸点を演出していました。ここで驚いたのが、直後にこれまた最新作随一の激ポップ&激デレチューンである『パラボラヴァ』が投下されたことです。

これ、セットリストだけ見ると「高低差ありすぎて耳キーンなるわ的流れ」と思うかもしれません。しかし実際にライブを観てみると、そのように感じることはまったくありませんでした。『ゲノム』も『パラボラヴァ』も正しくスキマスイッチの最新モードであり、そこには心地よいギャップこそあれど、矛盾は存在しないのです。

で、このようなスキマスイッチの振れ幅を、武道館を埋め尽くすオーディエンスがひとり残らず細胞レベルで共有しているのがすごい。これは双方が音楽を介してちゃんとキャッチボールできていないと成立しないことだと思うのです。

この日のライブの大成功っぷりは、スキマスイッチのふたりがファンに向けて、根気強く音楽というボールを届け続けてきた証であり、ファンがふたりから投げられた(ときには変化球や暴投を含む)ボールを、しかと受け止め続けた証そのもののように感じました。

今回の武道館公演は「最新アルバム(しかもセルフタイトル作)を引っさげて行われた全国ツアー(しかも全会場完売を受けて急きょ決定したツアーファイナルとなる追加公演、さらに会場は武道館)」という、“上げられるハードルは全部上げとけ!”と言わんばかりに盛りまくり&煽りまくった公演でした。

そんななか繰り返しとなりますが、結果としてスキマスイッチのふたりはこの日、ただただ、歌い、笑い、叫び、汗をかいて、ひたすらに音楽を奏でていました。ただただ、音楽をやっていただけでした。

で、これこそがいまのスキマスイッチにとって至上のライブであり、ふたりはずっとこれがやりたかったんだろうなあ、と、ステージで生き生きと躍動するふたりを見てそう思いました。

「奇跡」という言葉に回収されない、必然にあふれた多幸感

自身のソングランディングの進化、バンドメンバーとの豊かで濃密なリレーションシップの構築、ファンとのコミュニケーションの深化――これらのどれが欠けても、この日のライブは成立しなかったでしょう。

どれも音楽においてめちゃめちゃシンプルなことではあります。逆に言うと、そういう根源的なひとつひとつに向き合い、突き詰めつづけてきたからこそ、この日のライブが生まれたのだと思います。

そして、こういうライブをするためには、あのどこまでも飾らない『スキマスイッチ』というアルバムがやはり必要だったのだと、ライブを観て確信しました。

飾らないということは、よけいな装飾がないということです。どこまでも純度の高い音楽だけが詰まっているアルバムに、自らの名前を冠したふたり。つまり、「スキマスイッチにしか鳴らせない音楽はこれなのだ」という宣誓です。その飾らない潔さはそのまま、この日のステージにも色濃く反映されていました。

いいライブを観たとき、ひとは「神がかり的なステージだった」「奇跡の一夜だった」などと、有り体の思考停止ワードを用いて消化した気になってしまいがちです。でも、この日のスキマスイッチのライブはそういう言葉でまとめられるようなものでは決してなく、いいライブになりうる意味と意義と理由にあふれまくったライブでした。それがなによりすばらしかった。

最後に『SF』という曲について書きます。アルバム『スキマスイッチ』のラストを飾り、今回のツアーで必ず最後に演奏されていた曲です。

この曲で彼らは、自身の無力さを嘆きます。強い力で君を守ることもできないし、時間を巻き戻すこともできない。でも、君の涙を僕の歌で止めることができるかもしれない。だから僕はギターを掻き鳴らして歌う――。ファンや音楽に対する誓いのような、渾身のロックバラードです。

これからのスキマスイッチが鳴らす音

しかし、このツアーを通して、いや、もしかしたらこの曲を書き上げたとき、彼らは気づいたのではないでしょうか。

音楽は、誰かを守る盾になることもできるし、時間だって止められる。自由に空を飛んで、君のいる場所にすぐ行くことだってできる。

音楽には、そういうちからが、ほんとうにある。そしていまの自分たちなら、誰かのそばに寄り添い、誰かとともに生きていくような、ほんとうの意味でひとのそばにある音楽を、自信を持って鳴らすことができる。

ついにそう確信したからこそ、スキマスイッチは『SF』という曲を紡ぎ、こんなにも幸福なツアーを完遂することができたのではないか――。

アウトロでチーム・スキマスイッチが鳴らす、笑っているような、泣いているような、真っ白な轟音と向き合いながら、そんなことをぼんやりと思いました。この日の『SF』は、ホールツアーで観たときよりも、どこまでも優しく聴こえました。

『スキマスイッチ』というアルバムとツアーで、スキマスイッチは、またひとつ新しいステージへと踏み出しました。それはかつて、まだ手にしていない音を掴むために踏み出した一歩より、より確かで、より頼もしい一歩であることは間違いありません。

この先スキマスイッチがどんな音楽を紡いでいくのか、それはふたりにしかわかりません。でも、聴き手であるわたしたちにできることは、実はこれまでもこれからも、変わらないのだと思います。

わたしたちにできることは、これからのふたりが鳴らす音や言葉に、耳と心を傾け、真摯に向き合い続けること。それをやめない限り、スキマスイッチの音楽は、いつもわたしたちのそばで鳴り続けているはずです。

スキマスイッチ TOUR 2015“SUKIMASWITCH”SPECIAL
2015年7月1日 日本武道館

1.Ah Yeah!!
2.トラベラーズ・ハイ
3.夏のコスモナウト
4.双星プロローグ
5.アイスクリーム シンドローム
6.思い出クロール
7.願い言
8.僕と傘と日曜日
9.life×life×life
10.蝶々ノコナ
11.ムーンライトで行こう
12.ゴールデンタイムラバー
13.ゲノム
14.パラボラヴァ
15.ガラナ
16.ユリーカ
17.星のうつわ

Encore
EN1.1017小節のラブソング
EN2.全力少年
EN3.SF

W Encore
EN4.奏(かなで)

バンドメンバー:Gt.石成正人、Ba.種子田 健、Dr.村石雅行、Key.浦 清英、Perc.松本智也、Sax.本間将人、Tp.田中 充

2015年10月発売予定
Live Album「スキマスイッチTOUR2015“SUKIMASWITCH”SPECIAL」

2015年11月発売予定
Live Blu-ray&DVD「スキマスイッチTOUR2015“SUKIMASWITCH”-SPECIAL-THE MOVIE」