輪島塗のすね当てをW杯へ…田中碧が続ける被災地支援への思い「少しでも笑顔になってくれたら」
被災地への思いを胸に、世界最高峰の舞台に挑む。北中米ワールドカップに向けてメキシコ・モンテレイで事前キャンプを行っている日本代表は現地時間5日に活動3日目のトレーニングを行った。MF田中碧(リーズ)は、能登半島地震で被災した石川県輪島市の職人とともに制作した輪島塗のすね当てをW杯へ持参したことを明かし、「ピッチでしっかりと表現して恩返ししたい」と決意を語った。
田中は被災地支援活動の一環として、この2年間で2度にわたって輪島市を訪問してきた。「輪島塗をやってる方のところにも足を運ばせてもらって、一緒に作業もやった」(田中)。現地では輪島塗の職人とも交流を深め、地震によって損傷した作品の整理などを手伝った経験もある。その縁から制作されたのが、輪島塗を施したオリジナルのすね当てだった。
曲面のあるすね当てに伝統技法を施す作業は容易ではなく、完成まで約1年を要した。田中が受け取ったのはW杯直前の5月。デザインは片方ずつ異なり、フェニックスと日本サッカー協会のシンボルでもある八咫烏が描かれている。その特別な一品を携え、田中はW杯の地へ乗り込んだ。
もっとも、そのすね当てはまだ実戦に投入していない。田中は「まだ使ってないので」と笑みを浮かべる。
「(被災地から)応援してもらえているというのも聞く。何か自分が少しでもできたらいいなと思っていろんなことをしてきた中で、何かひとつこうやって形になったのが嬉しい。それをまた自分はピッチでしっかりと表現して恩返ししたい」
被災地に一度行って終わりではなく、何度も足を運び続ける理由は、現地で出会った人々の姿にあるという。
「行ってみて、そこに住んでいる人にすごく暖かさを感じた。最初に行ったときは自分ではわからない感情を味わっていて、表面的にはすごく笑顔だけど、子どもたちも心の奥底にはいろんな体験や経験をした。それでも前を向こうと歩んでいる子どもたちもいれば、もちろんそうなれない子どもたちもいる。子どもたちだけじゃなくて、さまざまな子どもたちを支えている家族や大人も、子どもたちより敏感に感じることが多いなかで、それでもあきらめずにまた元の形に、それ以上に戻りたいと色々やっていた」
そのたくましさが、田中の心に強く残った。「自分が行くことで、少しでも笑顔になってくれたらなという思いがあった」と振り返る。
復興への道のりは決して平坦ではない。それでも、田中は現地の変化を確かに感じている。
「(復興の)進み具合は、場所が場所で行きづらいところもあってすごく遅い。でも自分が1、2年行ってる間にだいぶ変わっている。そのとき中学生だった子たちが高校生になっていたり、自分が行った中学校が大会でいい成績残したとか、そういうニュースを聞いて、なんか行ってよかったなと思う」
海外でプレーする身ながら、「来年はまた絶対行く」と力を込める。「来年はまた違う、もっと新しい何かをできればいいと模索はしている。少しでも何か自分にできることがあればということで続けている。そこは向こうの人が許してくれる限りは何かをしたい」。継続的な支援への思いを口にした。
まずは目前に迫ったW杯で結果を残すことが使命となる。「その前に自分ができることをW杯でやることが大事。そこに全力で準備できればいい」。被災地の人々への思いを胸に、田中は世界の舞台へ。輪島で生まれた特別なすね当てもまた、その挑戦を足元から支えることになりそうだ。
(取材・文 石川祐介)
田中は被災地支援活動の一環として、この2年間で2度にわたって輪島市を訪問してきた。「輪島塗をやってる方のところにも足を運ばせてもらって、一緒に作業もやった」(田中)。現地では輪島塗の職人とも交流を深め、地震によって損傷した作品の整理などを手伝った経験もある。その縁から制作されたのが、輪島塗を施したオリジナルのすね当てだった。
もっとも、そのすね当てはまだ実戦に投入していない。田中は「まだ使ってないので」と笑みを浮かべる。
「(被災地から)応援してもらえているというのも聞く。何か自分が少しでもできたらいいなと思っていろんなことをしてきた中で、何かひとつこうやって形になったのが嬉しい。それをまた自分はピッチでしっかりと表現して恩返ししたい」
被災地に一度行って終わりではなく、何度も足を運び続ける理由は、現地で出会った人々の姿にあるという。
「行ってみて、そこに住んでいる人にすごく暖かさを感じた。最初に行ったときは自分ではわからない感情を味わっていて、表面的にはすごく笑顔だけど、子どもたちも心の奥底にはいろんな体験や経験をした。それでも前を向こうと歩んでいる子どもたちもいれば、もちろんそうなれない子どもたちもいる。子どもたちだけじゃなくて、さまざまな子どもたちを支えている家族や大人も、子どもたちより敏感に感じることが多いなかで、それでもあきらめずにまた元の形に、それ以上に戻りたいと色々やっていた」
そのたくましさが、田中の心に強く残った。「自分が行くことで、少しでも笑顔になってくれたらなという思いがあった」と振り返る。
復興への道のりは決して平坦ではない。それでも、田中は現地の変化を確かに感じている。
「(復興の)進み具合は、場所が場所で行きづらいところもあってすごく遅い。でも自分が1、2年行ってる間にだいぶ変わっている。そのとき中学生だった子たちが高校生になっていたり、自分が行った中学校が大会でいい成績残したとか、そういうニュースを聞いて、なんか行ってよかったなと思う」
海外でプレーする身ながら、「来年はまた絶対行く」と力を込める。「来年はまた違う、もっと新しい何かをできればいいと模索はしている。少しでも何か自分にできることがあればということで続けている。そこは向こうの人が許してくれる限りは何かをしたい」。継続的な支援への思いを口にした。
まずは目前に迫ったW杯で結果を残すことが使命となる。「その前に自分ができることをW杯でやることが大事。そこに全力で準備できればいい」。被災地の人々への思いを胸に、田中は世界の舞台へ。輪島で生まれた特別なすね当てもまた、その挑戦を足元から支えることになりそうだ。
輪島塗のすね当て
(取材・文 石川祐介)
