専業主婦から39歳で初就職…異色すぎる経歴の女性社長が「ドムドムバーガーを3年で黒字化」した型破りな仕事術
かつて「絶滅危惧種」とも呼ばれていたドムドムバーガー(以下:ドムドム)。1990年代に全国400店を超えていた店舗数は、2017年の経営移譲時にはたった36店まで減少。親会社であったダイエーとともに衰退の一途をたどり、赤字続きのまま消滅を余儀なくされる……かなりの人々が、そう感じていたはずだ。
瀕死の状態であったドムドムに、自ら志願して代表取締役に就任したのが、藤粼忍社長だ。専業主婦から39歳で初就職という異色の経歴を持ち、「渋谷109のアパレルショップ店長」「新橋の居酒屋のオーナー店長」を経て、あえて「ファストフード」という未知の領域に飛び込んだ。結果、既存の店舗は売上4割増を記録し、会社は3年で黒字化に成功したという。
ドムドムはなぜ、藤粼社長のもとで息を吹き返すことができたのか。藤粼社長へのインタビューを通じて、その真相に迫った。
前編記事『全国約30店"絶滅危惧種"だったドムドムバーガーが復活できたワケとは?マクドナルドと一線画す「独自戦略」に迫る』より続く。
藤粼社長がドムドムを再建するまで
まずは、ドムドムが経営移譲され、藤粼社長が就任するまでのいきさつを振り返ってみよう。
ゴルフ場やホテルなどを経営する「レンブラントホールディングス」の子会社「レンブラント・インベストメント」(以下:レンブラント)が、ダイエー系列の「オレンジフードコート」からドムドムの経営権を取得したのが2017年4月のこと。
藤粼社長は専業主婦から39歳で就職したのち、渋谷109のアパレルショップ店長を経て、当時は新橋で居酒屋を営んでいた。その店の常連客だったレンブラントHDの役員が声をかけたことが、すべての始まりだった。
藤粼社長はその縁で商品開発を請け負う「顧問」としてレンブラントに入社し、その後ドムドムへ出向。開発した「手づくり厚焼き玉子バーガー」がヒットを記録し、スーパーバイザーを経て社長へとステップアップしていった。
と、こう書くと、経営再建は順風満帆であったように見える。しかし、実際にすんなりとドムドムを再建できたわけではない。
藤粼社長によると、就任当初に実際に店舗へ足を運んで食べたハンバーガーはお世辞にも「美味しいとは思えない出来」であった。商品の質はもちろん、クレンリネス(清掃)や接客など、課題は山積みであったという。
筆者もこの時期、神戸市内などでドムドムを利用する機会はあったが、味や店内の状況を含め、率直に言って「まずランチ利用の選択肢に挙げないだろう」と感じるような状況であった。
「おいしいと思えない」品質であったドムドム
藤粼社長はまず、デビュー作となった「手作り厚焼き玉子バーガー」の開発を皮切りにグランドメニューを見直して、「ドムドムバーガーの味」を一新した。
「ジャンボバーガー」「チキンバーガー」などの昔ながらのメニューに代わり、迫力満点の「ビッグドム」や、藤粼社長自らタルタルソースを開発したという「エビカツバーガー」などが新たな定番メニューとして定着していった。
そのうえで、各店舗とはLINEで情報共有を図り、会議のあり方も刷新した。「前年度比で売上は対〇%、利益率は〇%」といった数字の羅列から脱却し、具体的な課題の共有や解決策を話し合い、自由に意見を言える場に変えたという。
瀕死の状態にあったドムドムに藤粼社長が打った施策は、シンプルながらも必要なものばかりだ。半世紀近い歴史を持ちながら停滞していた組織に「商品の刷新」と「社内コミュニケーションの活性化」という風を吹き込み、再生することを最優先に据えたのである。
藤粼社長はまた、ブランドとしての「ドムドムらしさ」を、どう世間に打ち出していくかも考えていた。
そもそも、本来のドムドムは「ニューエイジをリードする」という大掛かりなフレーズを掲げつつ、「梅小町バーガー」(梅ペーストと大根の組み合わせ)「お好み焼きバーガー」などのインパクト抜群な商品を世に送り出す、ちょっと変わったチェーンだったのだ。
売上4割アップを果たした「既存店改革」
だが、個性的な新商品を会議で決定しようとすると、意見の統一に時間がかかり、結果として無難な商品しか生まれなくなる。そこで藤粼社長は商品開発の体制を「開発担当者と社長」の2人に絞り込んだ。その結果、一般的な会議ではまず通らないであろう”尖った”新商品を世に送り出すことが可能になったのだ。
なかでも大ヒットを記録したのは、殻ごと食べられるカニ(ソフトシェル)を挟んだ「丸ごと!!カニバーガー」、パンではなくカマンベールチーズ2枚で肉を挟んだ「丸ごと!!カマンベールバーガー」など。
こうした商品面での改革は、かつて400店以上を展開していたドムドムを世間に再び思い出させた。「ドムドムで商品を味わう」という”食体験”に、「絶滅危惧種」とまで呼ばれたドムドムを救おうという"ファンとして応援する心理"が加わり、「ドムドムらしさ」を支持する熱狂的なファン層が形成されていったのだ。
しかし、こういった地道な改革もすぐに経営の好転には結びつかなかった。レンブラント体制下で初めて出店した厚木店は、わずか3年での閉店を余儀なくされている。
それでも、そのあとに出店した浅草花やしき店などの新店はオープン当初から好調をキープし、「既存店の売上4割増」「40か月以上にわたり前年度比キープ」といったドムドム全体の底上げに成功。結果として、藤粼社長はたった3年でドムドムの黒字化を達成できたのだ。
(写真はすべて筆者撮影)
・・・・・・
【こちらも読む】『店舗数急増「バーガーキング」が「モスバーガー」を抜く日…「マクドナルド」を煽る“弱者の戦い方”が強みに』
