現場となった店内(2005年2月4日撮影)

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 2005年1月27日、窃盗罪で服役していた34歳の男が刑務所を仮出所した。そのまま更生保護施設に入ったが3日で姿を消し、2月4日に11カ月の乳児を母親の目前で殺害。しかも、現場は営業中の大型スーパー店内だった――。その残忍な殺害方法と、刑事責任能力をめぐる議論で注目された21年前の乳児刺殺事件。「週刊新潮」のバックナンバーで当時の状況を振り返る。

(全2回の第1回:以下「週刊新潮」2005年2月17日号「乳児刺殺 『34歳通り魔』を誰が『仮釈放』させたか」を再編集しました。年齢、肩書き等は掲載当時のものです)

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【写真】大型商業施設は“事件”が起きやすいのか…08年に受水槽から「死体」が発見された店舗も

「死ね」と頭の中で響く声

 その日(2月4日)、愛知県安城市にある大型スーパーは開店したばかりで、客もまばらだった。

現場となった店内(2005年2月4日撮影)

 午前10時の開店と同時に店に入ったU(34)は、刃渡り15センチのナイフを盗むと2階の衣料品売り場をふらついていた。しばらくすると、母親が赤ん坊をベビーカーに乗せてやってくるのが目に止まった。頭の中では何日も前から「死ね」「その前に人を殺せ!」という声が響いている。

 Uは、ためらいもなく赤ん坊に駆けよるとナイフを振り下ろした。悲鳴をあげる母親。突き立てたナイフは、赤ん坊の柔らかい頭蓋骨を簡単に貫いて、刃先は顎から飛び出したという。

 だが、Uの頭の中の声はまだ消えない。振り返ると、『ちびっこ広場』で幼女が遊んでいる。Uは駆け寄って蹴り飛ばそうとしたが、そばにいた女性がとっさに覆い被さり、幼女は目の上を切っただけで助かった。

「殺してやる」

 Uはそう嘯くと立ち去っていった。

店内はさながら地獄絵

 近くに居合わせた老婦人(80)が言う。

「“救急車を呼んでっ!”と叫び声が聞こえるので、駆けつけると女の人が白い毛布にくるまった何かを抱いてうずくまっているんです。よく見ると、抱いているのは赤ん坊で、その頭に包丁のようなものが縦に突き刺さったままになっている。彼女はそれを抱え込んで絶叫していました」

 誰かが「いま男が子供の頭に刃物を突き立てた!」と怒鳴る。

「救急車! 救急車はまだなの!?」

 母親の声も空しく、足元には血だまりがゆっくりと広がってゆく。その半狂乱の母親を、そばで幼女がポカンと見つめている。赤ん坊の姉だ。男に蹴られた傷から血が流れだし、顔が真っ赤になっている。

 ピクリとも動かなくなった赤ん坊をかき抱いたまま、母親はかすれた声をやっと搾り出した。

「パパ助けて……」

 店内はさながら地獄絵だった。

1週間前に仮釈放

 殺されたSちゃんはわずか生後11カ月。ようやくつかまり立ちができるようになったところだった。怪我をした姉は3歳。母親(34)は産休中だった。

「ちょうど赤ちゃんから子供に成長するところで、一番かわいい頃でした。人見知りもなく、みんなに可愛がってもらっていました。そんなSの命を奪った犯人を許すことはできません。極刑でも許せません」

 父親(34)は、通夜の席でこう言って声をつまらせた。

 いっぽう殺人犯のUは、家宅侵入や窃盗で名古屋刑務所豊橋刑務支署を1週間前に仮釈放されたばかり。

「1月末に刑務所を出ると近くにある更生施設に入り、そこで生活していました。ところが、2月1日に名古屋駅近くの職業安定所を訪ねたあと、施設には戻らず安城にやってきた。以前、いたことがあるそうです。2月2日から市内の放置自動車の中で寝起きし、犯行当日は事件現場で暖を取るため、盗んだ自転車でやってきていたそうです」(地元紙記者)

赤貧洗うがごとし

 だが、ここはUの地元ではない。彼が生まれたのは、安城とは遠く離れた福島市の北にある町だ。

「彼の父親は農業もやっていましたが無類の酒好き。母親も競馬好きでした。やがて一家は田畑を売り払ってしまい、モーテルの管理人などをやって生計を立てていたようです。父親はお金に困り、近所の米蔵から米を盗んだりして捕まったこともあります」(近所の住人)

 赤貧洗うがごとし。藁葺きの家に住む一家は貧乏を絵に描いたようだったという。

 Uが5〜6歳のころ、一家は福島市内の一軒家に引っ越す。心機一転してやり直そうという意味もあったらしい。Uには妹がいたが、福島市に引っ越してから弟も生まれている。

「Uのお父さんは新聞配達の仕事をするようになり、奥さんが集金に回っていました。一家は家賃2万円の借家に住んでいたのですが、生活に余裕がないのか本当に汚かった。おまけにお母さんが家事をしない人だから、ゴミだらけで家の外より汚かったほどです。家族はお風呂にも入っていないのか、いつも臭っていました。お母さんが集金にくると、遠慮のない子供などは“クサーイ”と言ってました」(同)

成人後に親戚から放り出され

 口数の少ない少年だったUだが、小学校の卒業文集で、将来の自分を「国会議員」と書いている。成績も悪いほうではなく、地元の中学から福島市内の県立高校に進学する。

「本当に大人しい奴で、クラブ活動もやらないし、昼飯を誰かと一緒に食べている姿も見たことがありません。弁当の中を見られるのが恥ずかしいのか、いつも蓋を立てて隠すように食べていた。いつだったか、クラスメートが弁当の蓋を取り上げて、おかずが貧弱なことをからかったことがあるのですが、顔を真っ赤にして怒っていました。何だかすごく可哀相でした」(クラスメート)

 成績は中程だったが、友人もいないUは高校2年ぐらいから学校に行かなくなる。

「中退してからはしばらく近所のコンビニなどでバイトしていたのですが、11年前に父親を胃がんで亡くし、その2年後に母親も糖尿病が原因で亡くなってしまうのです。まだ幼かった妹や弟は親戚に引き取られてゆきましたが、Uは成人していたので、親戚から放り出された格好になってしまいました」(近所の住人)

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「いらいらしていた」――。第2回【「仮釈放中」の男が乳児の頭に刃物を突き立て…05年「乳児刺殺事件」はなぜ「懲役22年」になったのか】では、精神科医らの見解やその後の裁判について伝える。

デイリー新潮編集部