ラーメン食べ歩き歴35年超、“ラーメン官僚”が東大時代に出合った「人生を変えた1杯」
2000年に創設された「TRYラーメン大賞」(通称「TRY(トライ)」)は、ラーメンフリークや業界からも熱い視線を集める“業界最高権威”の賞だ。長年ラーメンを食べ続けているスペシャリストのTRY審査員と名店審査員の計7人が審査して選んだ各店を、毎年1冊のムック本にまとめて紹介している。2025年12月からはWEBサイトでの展開も始まっている。国家公務員として働く傍ら、“かずあっきぃ〜通称・ラーメン官僚〜”として、メディアやSNSなどで積極的にラーメンについて発信している田中一明さん(53)は2020年から「TRY」の審査員を務める。ラーメンへの思いを聞く3回連載の第1回は、「人生を変えた1杯」について紹介する。
初めて自分でラーメンを食べたのは中2の時
田中さんは1972(昭和47)年11月、神戸市生まれ。自ら外食でラーメンを食べたのは1987(昭和62)年、京都の名門私立、洛南中学校に通っていた14歳の時だという。
「当時はアイドルブームで、大阪の南港でフジテレビが開催した『コミュニケーションカーニバル・夢工場』というアイドルなどが出るイベントに行きました。そのイベントスペースに出店していたのが、たしか『らーめん北斗』(現在は閉店)というラーメン店。それが生まれて初めて、親から与えられたとかではなく、自分で食べた外のラーメンです」
高2になると、土曜日は通学ルートの途中にある大阪の予備校に通い始めたこともあり、お昼にはさっと食べられるラーメンを選ぶようになった。
「高2まで勉強ばかりしていたので、そうした食べ歩きというサブカルチャーについて全然知らなかったのですが、中学の時に食べた『北斗』が梅田の阪急3番街の中にあることがわかって通ったり、現在はチェーン店化している『らーめん古潭』や新大阪に1号店のある『らーめん 熊五郎』(いずれも大阪市)という味噌ラーメン店を見つけたり、美味しそうな店があると食べてみようとなったんです。『北斗』はうま味調味料がしっかりと入っているタイプでしたが、今でも味を鮮明に覚えているくらい当時の自分にとってすごく美味しかった、原風景にあるお店です」
それからは主に毎週土曜日、つまり週1回ほどは、ラーメンを食べる生活になっていった。
通学途中に読んでいた漫画雑誌で、漫画家が記していた一文が店を知るきっかけになったことも。
「“京都の『天一』が旨い”と書かれていたので探してみたら、高校と最寄り駅の間に『天下一品 八条口店』(京都市)があったんです。校則がとても厳しい学校でしたが、一度は食べてみたいと何人かの友達と思い切って行った思い出があります」
『天下一品』は1971(昭和46)年に京都市内の屋台で創業した、“こってり”ラーメンが代名詞の言わずと知れた人気ラーメン店だ。
「それ以降、『天一』では“こってり”ばかり食べていました。その頃はもちろん、単に美味しいラーメンを食べたいという思いだけでした」と話す通り、気に入った数軒の店をリピートし、その時々でハマっていたメニューを食べていた。

「TRY」審査員を務める田中一明さん
京大へ進むも、東大を改めて目指した理由とは
京都大学に進学した田中さん。1回生の時は神戸の自宅から通っていたが2時間以上かかったため、2回生になると京都駅近くで下宿を始めた。一人暮らしになったことでラーメンを食べるペースが加速していく。
「当時は、二条に本店があった『新進亭』(現在は一乗寺店が本店。京都市)というラーメン店では、“白味噌ラーメン”という珍しい味噌ラーメンを頻繁に食べていました。現在は滋賀に移転した『宇奈月』や『天天有』(京都市)などにも行っていましたね」
しかし、2回生の時に単位不足で留年が確定したため、当初目指していた東京大学を受けようと決めた。ファッションが好きだったことも東京へ行く理由の一つになった。
「当時は『メンズノンノ』などのファション誌を読んでいましたが、大阪や神戸にはないブランドが東京にはあったんです。留年は確定したし、小学生の時から仲が良かった連中は先に東大に行っているし、じゃあ、 受けてみようと思いました」

「TRY」審査員を務める田中一明さん
ラーメンにハマるきっかけは、伝説の店『土佐っ子ラーメン』
東京大学に進学し、住んだのは西武新宿線の新井薬師前駅(東京都中野区)周辺。近隣や通学途中などで、『天下一品 江古田店』(東京都練馬区)や鹿児島に本店を置く『ざぼん ラーメン』(当時、東京都中野区。現在、都内は閉店)といったラーメン店を見つけては食べるという生活をしていた。
「大学は駒場東大前だったため、学校の裏手にあった『山手ラーメン』(東京都渋谷区)にも行っていました。渋谷が近かったので、渋谷プライムにあった熊本ラーメンの『桂花ラーメン』(移転し、現在は『桂花ラーメン 渋谷センター街店』として営業)や多くの人々に愛された『チャーリーハウス』(現在は閉店)なども好きでよく通っていました。大学時代は年間で300杯ほどのラーメンを食べていましたね」
大学3年になると国家公務員を目指し、試験勉強に打ち込んでいたが、勉強をしていると夜中にお腹が空く。すると東大にストレートで入り、一足先に就職を決めていた友人たちが暇だと夜毎やってきた。この頃出合った1軒のラーメン店が田中さんをラーメン好きからラーメンマニアへと推し進めることになる。
「友達が車で連れていってくれたことがきっかけでしたが、背脂がたっぷり浮いていて中毒性が高かったので、1人でも通うようになったのが『土佐っ子ラーメン』(当時、東京都板橋区。現在は閉店)です。2、3日に1回は行っていて、1年間で100杯以上は食べていました」
『土佐っ子ラーメン』とは、1980〜90年代にかけて起きた“環七ラーメン戦争”(「環七」とは、東京都内を環状に通る都道のひとつで、道路沿いに店を構えたラーメン店がしのぎをけずった)とも呼ばれる一大ラーメンブームの舞台の一つとなった伝説の店だ。

『土佐っ子ラーメン』の系譜を継ぐ『下頭橋(げどばし)ラーメン』(東京都板橋区) 写真提供・田中一明さん
雑誌のラーメン特集が、ラーメン好きに導いた
無事内定が取れ、時間が空いた時に手に取ったのが雑誌「OZ magazine」のラーメン特集。『土佐っ子ラーメン』や『らーめん弁慶』(東京都葛飾区)、そのほか『なんでんかんでん』(東京都世田谷区)や『千石自慢』(東京都文京区。現在は閉店)、『らーめん香月』(東京都渋谷区。以上、所在地は全て当時)など、人気店が掲載されていた。
「写真の写りがすごく良かったんです。『土佐っ子ラーメン』と同じような背脂系だけど、タイプが全然違うように見えたので気になって全部の店に行ってみました。そこが今に続くコレクターとしての入口でした」
もともと凝り性で、子どもの頃からハマったらトコトンまで突き詰める性格だったという。
「そもそも『土佐っ子ラーメン』にあれほど通っていなければ、ラーメン特集を見ることも、他店に行ってみようとも思わなかったでしょう。今のように、ラーメンに染め抜かれたような一生になるとは思っていませんでしたが、いろいろなラーメンを食べることを極めようと思ったきっかけとなったのはやはり『土佐っ子ラーメン』。まさに人生を変えた1杯を提供していたお店です」
そこからラーメンの沼にどっぷりと浸っていった田中さん。「TVチャンピオン」(テレビ東京系列)の「ラーメン王選手権」で、第3回と第4回を連覇した石神秀幸さんや第5回ラーメン王の立石憲司さんといった、ラーメン評論家たちが出していたラーメンガイドブックなどを購入し、掲載店を食べては目次に線を引き、制覇していく生活が始まった。食べ歩きを始めた当時、年間で500杯以上食べるようになっていったという。
「いろいろなラーメンを体系的に知りたいと、何冊もの本を頼りにして、載っている店はジャンルを問わずすべて食べました。掲載されていたのは東京のラーメン店がほとんどだったため、まずは東京都内の店をターゲットとして、駅やエリア、沿線ごとに片っ端から食べ、情報をインプットしていきました。神奈川、千葉、埼玉の店へと出ていったのは、食べ歩きを本格的に始めた5年後くらい。都内を出るまでに時間がかかりましたし、あくまで隣接したエリアから拡大していきました」

『土佐っ子ラーメン』の系譜を継ぐ『下頭橋(げどばし)ラーメン』(東京都板橋区)の「ラーメン」(1000円) 写真提供・田中一明さん
文/市村幸妙
いちむら・ゆきえ。フリーランスのライター・編集者。地元・東京の農家さんとコミュニケーションを取ったり、手前味噌作りを友人たちと毎年共に行ったり、野菜類と発酵食品をこよなく愛する。中学受験業界にも強い雑食系。バンドの推し活も熱心にしている。落語家の夫と二人暮らし。
「第26回TRYラーメン大賞」
最新刊『第26回 業界最高権威 TRYラーメン大賞2025-2026』、『TRYラーメン大賞全国版〜注目の新店19軒&初登場の実力店52軒〜』(いずれも講談社ビーシー/講談社)が大好評。
TRYラーメン大賞公式ウェブサイト「Tokyo Ramen of the Year」: https://tokyoramenoftheyear.com/
