死んだふりで「片目、片手、片足になりました」…80年間の新聞を分析して判明「人食いグマ」から生き延びる方法

■クマと出会ったらどうすればいいのか
今夏は、北海道福島町で新聞配達員が、知床の羅臼岳で登山客が喰い殺されたのをはじめ、秋以降は本州のツキノワグマが近年になく凶暴化し、クマによる人身被害が過去最多を記録している。
これにともない、クマに出会ったときの心得のような特集をあちこちで見かける。
筆者は明治大正昭和と約80年分の北海道の地元紙を通読し、また市町村史、部落史、自伝、林業専門誌などにも目を通して、ヒグマに関する記事、挿話を抽出、データベース化し、拙著『神々の復讐』(講談社)にまとめた。
その中には、実際にクマと出会ったのち無事に生還した事例も数多く存在する(襲いかかってくるクマを「巴投げ」で投げ飛ばして助かったというような都市伝説的な話などもある)。
先人達の体験から、クマと遭遇した時の効果的な対策について考えてみたい。
■助かる確率は五分五分
?「死んだふり」は有効か?
「ヒグマに遭ったら死んだ真似をすると助かる」という俗説は広く信じられているが、これは「クマは動かない物は食わない」という、これまた俗説によるもので、専門家によれば確率は五分五分であるという。実際に助かったケースでも、けっこうな怪我を負わされることが多いようだ。古い事例では明治の初め頃に、次のような事件があった。
結局この男性は27カ所の傷を負って病院に運ばれたそうである。
他にも全治3週間の重傷を負ったり、後遺症が残ったりした事例が以下の二つである。
夕張炭鉱の坑夫、中村理吉(三二)は、炭層調査のため八名の人夫と共に従事中、巨グマが突如、前途に立ち塞がり、咆哮一声したので、理吉は大地に俯伏した。飛びかかったクマは、その後頭部に噛み付いたが、必死に痛みをこらえて仮死の状態を装い、しばらくして静かに頭をもたげてみると、クマはなおかたわらを去っておらず、手を挙げてさらに頭部を掻きむしり、紅に染めて倒れた姿を見て、悠々と立ち去った(後略)(『北海タイムス』明治41年9月3日)
“熊は死んだものは襲わない”と教えられていたのは嘘でした。熊は私の上に腰を下ろして長い爪で尻べたにズブリと刺しました。痛いのでビクッと動くとウワッと唸って咬みつきました。ひっくり返すやら手玉に取ったり、まるで熊のおもちゃでした。追っ手の人が来て仕止めてくれましたが、片目、片手、片足になりました。それでも猟師の人達が熊をなげおいて、病院に運んでくれたので助かりました(吉本国男)(『東三川百年史』平成7年)
■タバコを一服していると…
?静観して生還する
「死に体」を装わないまでも、クマの存在を無視して助かった、つまり「静観して生還した」事例もある。特に、煙草を一服しているうちにヒグマが立ち去ったというケースは多い。
昭和三〇年六月、(中略)二〇林班曲線車道で自動二輪がすぽっと埋まり、動けなくなって降りて押しても動かず煙草を一服してちょっと横を見ると一〇m位先に頭を下げてこちらを睨んでいる、静かに見ると背中毛を立て段々顔のまわりの毛も逆立てかまえる、これはちょっと相手が悪いので自動二輪のエンヂンをとめて煙草をくわえ横を見ながら腰の山刀を持って最悪を考え構える。エンヂンを止め横を向いたので安心して横の藪に入って行った(後略)(六、実話の一遍 及川公『東山郷土史』)
小樽市信香町に住む松嶋慶章が馬に乗って我が家を出て、奥澤村奥字ガビタイの炭焼場見廻りに行く途中、(中略)馬は何物にか驚いて進まず、ハテなと思い四辺を見廻すと、やがて彼方の藪中より丈四尺あまりの大熊が、ガサガサ笹を分けて出て来たので、同氏も驚くこと大方ならず、さっそくマッチを取り出し煙草をスパスパ喫ひ、臆せずにいたところ、熊は十分間ほどヂロヂロ此方を眺めた末、元の笹藪の中へ逃げ入ったので、同氏は駈け通り、用を済まして帰ったという(『小樽新聞』明治28年8月13日)
幌去村の大西松次郎(六一)という者が、同村右左府原野よりの帰途、(中略)わずか十五六間の所から、がさりがさりと笹の音をさせて熊が道路に姿を現し、そのまま不動の姿勢を取った。(中略)かかる時に急いては事を仕損ずると、生死を天に任せ、そのまま地上に腰をおろしマッチをすって煙草を吹き付ける瞬間、熊はいずれかへ姿を隠した(後略)(『北海タイムス』明治43年11月3日)
これらのケースを見ていると、遭遇した当初はクマも警戒し、毛を逆立てているが、こちらに害意がないとわかると、次第に落ちつき、静かに去って行くというパターンが多いようである。

■「貴様は俺を食うつもりかあ!」
?「気合い」で助かる
次に紹介するのは、クマに立ち向かって撃退した事例である。
この事件は、かの日高山脈で福岡大学ワンゲル部員3人が喰い殺された事件とほぼ同時期に起きているが、それはともかく、絶体絶命の状況で「気合い」を放つことで死地を免れた人は意外に多い。

小栗さんが熊を撃って手負わせ山の中腹に居たところ、熊が峰の頂上に現れ、小栗さんを見ると十数間を一直線に突っ込んできて、鉄砲を構える隙も与えず、両前足で小栗さんを抑えつけてしまった。小栗さんが絶体絶命と思い、「貴様は俺を食うつもりかあ」と精いっぱいの声を出しで絶叫すると、熊は驚いて手を放した。その一瞬、小栗さんは鉄砲を持ったまま下の谷底にとびおりた。(中略)小栗さんは重傷を負いながら山小屋に辿り着いて救いを求め、辛うじて生命が助かったのである(『サロベツ原野 ―わが開拓の回顧―』佐々木登)
浦河町の平野清博も決してヒグマを恐れず、いわば「度胸勝ち」でヒグマを逸走させたが、ある年の秋、野深の奥にマイタケ採りに入って、ヒグマに出遭った。(中略)彼は山用に改造したマキリ一丁をふりまわしながらなおも進んだ。立ち止まったらやられる。頭のどこかに“熊なんて弱いものなんだ”という父のことばが聞こえる。その時ヒグマは鼻から勢いよく白い液を、かれめがけて飛ばした。かまわず進む。(中略)「こら、オレみたいな強い男に向かってくるのか……」叫びかけたかれの声にヒグマが驚いたように立ち止まり、クルッと後ろむきになると逃げだした。かれがなおも追いかけると根曲がり竹の上を飛ぶように逃げ失せたという。(文責 高田)(『続浦河百話』)
相手を「手強い」とみると、クマもひるんで退散する。まさに「気合い」でクマに勝つわけである。
■指を噛み切る、口に手を突っこむ
?戦って生還する
次の記事は、ヒグマの指を噛み切って助かったという珍しい事例である。
指を噛み切らないまでも、口に手を突っこんで助かったケースも散見した。
ある年、中宇津々部落では多くの緬羊が熊の被害にあい、ハンターがアマッポー(仕掛け銃)をかけたところ、クマが手負いのまま逃げた。傷を負った熊は、ところどころで休んだらしく血痕の跡が草や土にベッタリ付着している。ハンターの一人が「近いぞ」とささやいて間もなく、待ち伏せしていた熊がハンターめがけて飛びかかり、体をかわす暇もなく熊に押さえつけられてしまった。熊が大きな口を開け、ハンターの頭に噛みつこうとした時、身を捨てる思いで握りこぶしを作った腕を熊の口の中におもいっ切り入れた。腕を噛まれたが、噛み切るところまではいかず、熊の方が息苦しくなってハンターを離して逃げた(後略)(熊狩り逸話[昭和31年6月15日、16日]『紋別市宇津々部落開基九十周年記念事業宇津々郷土史』昭和61年)
布部部落の渡辺代次郎は、富良野沿線で知られた狩猟家で、十数頭のヒグマを撃ち取っているという。渡辺が九死に一生を得たのは、昭和三十八年九月末のことであった。(中略)突然、大木の根元に潜んでいた熊が飛びかかってきた。不意を突かれて組み伏せられた渡辺は、咄嗟に右手を熊の口中深く差し込んだ。その状態で左手だけでライフル銃を操作して、熊の喉元に銃口をあてがい、不発でないことを念じながら引き金を引いた。弾は見事に咽喉を貫通して、熊がひっくり返った。(後略)(大西松次)『富良野こぼれ話』(富良野市郷土研究会 昭和54年)

■「どうか熊さん親子三人の命を助けて下さい」
?拝んで助かる
「クマに拝んで命拾いした」という事例も、数は少ないが記録されている。
クマに説教するエピソードはアイヌの逸話にもよく出てくるが、語りかけることで気が立っているクマを落ちつかせる効果があるのかもしれない。
■クマを“撃退”したアイテム?
?奇抜な方法で助かる
傘が有効だという話は都市伝説的に知られているが、以下はその実際にあったという事例である。

■クマが嫌がるニオイとは
変わったところでは香水のおかげで助かった例もある。
現代であれば洗濯用柔軟剤の、いわゆる「香害」も効果的かもしれない。

■古老が語った「遭遇したときの心得」
最後に筆者が調べた中で、もっとも参考になる、クマと出くわしたときの心得を、古老の談話より以下に転載しよう。
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中山 茂大(なかやま・しげお)
ノンフィクション作家、人喰い熊評論家
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。
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(ノンフィクション作家、人喰い熊評論家 中山 茂大)
