『あんぱん』に登場『詩とメルヘン』とは? やなせたかし&サンリオの精神示す名雑誌
『アンパンマン』の生みの親で漫画家・絵本作家のやなせたかしが、人生の支柱と自認しているものが4つある。『アンパンマン』シリーズ、『手のひらを太陽に』『やさしいライオン』とそしてもうひとつ、長く編集長を務めた『詩とメルヘン』という文芸雑誌だ。ほかの3本は絵本やアニーション、楽曲といった作品として今も残ってやなせの創作者としての才能を感じさせてくれるが、『詩とメルヘン』でやなせはいったい何をしたのか。今に何を残したのか。
参考:『あんぱん』第125話、嵩(北村匠海)が草吉(阿部サダヲ)との再会を喜ぶ
NHK連続テレビ小説『あんぱん』で、やなせたかしをモデルにした柳井嵩がキューリオから創刊し、編集長として采配を振るうようになる雑誌が『詩とメルヘン』だ。実際はやなせが最初の詩集『愛する歌』を刊行したサンリオで1973年に創刊したもので、2003年に休刊するまで、やなせが編集長を務めて刊行され続けた。
サンリオといえば、「ハローキティ」や「マイメロディ」といったキャラクターで世界中に知られる会社だが、1966年にやなせの詩集を出したことをきっかけに出版事業に取り組み始めた。『詩とメルヘン』の創刊はその延長線上にあるものだが、単なる一事業という枠組みを超えて、サンリオがキャラクターを生み出すだけでなく、それらを楽しむ文化そのものを育んでいることを体言する役割も果たした。
やなせの自伝『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)で、やなせは「サンリオ社はそのうちに巨大な会社になったから、『詩とメルヘン』は眼に見えないほどの小さな存在にしか過ぎなくなった」が、「しかし、ぼくは思う。数字じゃない、スピリットなんだ」と訴えている。「サンリオ社はこの時、精神の部分にひとつの核ができた。それは幸いにして、詩や童話の好きな辻信太郎社長の気質にぴったりと適合したのだ。だから、それが後のキティの大ヒットにつながっていったと、ぼくは思っている」。
それだけのことを成し遂げた『詩とメルヘン』を、やなせが『アンパンマンシリーズ』『やさしいライオン』『手のひらを太陽に』と並ぶ支柱とまで言う(『ボクと、正義と、アンパンマン なんのために生まれて、なにをして生きるのか』PHP出版)理由も分かるだろう。
それでは、『詩とメルヘン』はどのようなスピリッツを残したのか。想像するなら、やなせが好んで作り出そうとした叙情的な詩と絵の世界を、世の中に広め定着させることに貢献したことがありそうだ。2024年に刊行された論文集『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』(小平麻衣子・井原あや・尾崎名津子・徳永夏子編、慶應義塾大学出版)の中で、サンリオが残してきた数々の出版物、例えばサンリオSF文庫であり漫画雑誌『リリカ』であり『いちご新聞』といったものとともに、『詩とメルヘン』が幾人もの研究者によって取り上げられている。
その中の大島丈志(文教大学教育学部教授)による論文「詩はだれのものか?『詩とメルヘン』におけるやなせたかしの叙情と編集方針」というには、やなせが『愛する歌』の刊行時に、「詩に定型があるはずはなく、難解な詩が高級であるとは限らず、いずれにしても心にふれるかふれないかということが重要」と書いていたことが紹介されている。
そして、『詩とメルヘン』の創刊号の「編集後記」で、やなせは詩壇や詩論といったものから離れ素人っぽくても楽しめるものを掲載していく方針を打ち出している。大島の論文に引用された1975年2月号の「編集後記」では、「いい詩とは決してうまい詩ではなく、なにかしらひたむきなもの、ユニークなもの」と書き、1975年8月号の「編集後記」では「むしろ稚拙の中に人生の真実に触れた作品を掲載したい」と書いている。
『詩とメルヘン』に掲載された作品は、新川和江や安房直子といったすでに創作の世界で名を挙げていた人たちのものもあって、素人っぽくも稚拙でもなかったが、その作風は鮎川信夫や田村隆一といったモダニズム詩とは違って、読む人の心にストレートに響くところが多く、やなせが指向する『詩とメルヘン』の叙情性に沿うものだった。やがて読者からの投稿が始まり、その中から後に小手鞠るいとして作家デビューする川滝かおりや、第1回「詩とメルヘン賞」を受賞するきのゆりなどが登場して人気者となっていくに連れ、叙情性は濃さを増していく。
それはイラストレーションについても当てはまる。『ボクと、正義と、アンパンマン』の中でやなせは、「ボクは『詩とメルヘン』という本の中でイラストレーターを育てていくとき、他の本のコンペとちがって、大衆性があり、実用性がある事をえらぶ条件にしています」と書いている。「少数の知識人にわかるよりも誰でもわかる通俗的なものの質を向上させたほうがいい」「『詩とメルヘンに使う絵は、詩を助けてあげる絵です。つまり、詩の足りない部分を補って、見た人にこれはいいなあと思ってもらう」。こうした言葉から、やなせが『詩とメルヘン』を通して人の情動を誘う詩や絵を世の、中に届けようとしていたことが伺える。
これは、やなせが『アンパンマン』の絵本や漫画で伝えようとしていたことにも通じる。「アンパンマンのような絵本は一度も批評家に褒められた事がなく、完全に無視されていて子供たちだけに人気のある通俗絵本というレッテルが貼られ、ボクもそれでよかったのです」(『ボクと、正義と、アンパンマン』より)。『詩とメルヘン』と『アンパンマン』は雑誌と絵本という違いこそあれ、ともにやなせが思いを込めて作り出した“作品”に他ならないと言えるだろう。
『藤女子大学紀要』第43号に掲載された児童文学作家の柴村紀代による論文「『詩とメルヘン』の30年―その叙情性の行方」には、『詩とメルヘン』を支えたイラストレーターや画家についての言及がある。さだまさしのアルバム『私花集』のジャケットを手がけたことで知られる味戸ケイコが、『詩とメルヘン』クリスマス増刊号に掲載されたノヴァーリス原作の『ヒヤシンスと花薔薇のメルヘン』」に付けた絵についてのものだ。
そこで柴村は、「かつての叙情画が、もの言えぬ少女の愁いを象徴していたのに対し、味戸ケイコの少女は、自身の意志で自己の中に閉じこもろうとする強さを感じされる」と評し、「やなせは、そこに自らの絵とは異なる新たな叙情を感じて」安房とのコンビによる作品を送り出すようになったと指摘している。
おおた慶文という、1980年代に叙情的な少女のイラストで絶大な人気を誇った画家も『詩とメルヘン』の出身者で、第1回イラストコンクールで最優秀賞を受賞して登場した。『サンリオ出版大全』に収録の論文「言葉を送ること、受けとること―『詩とメルヘン』における共鳴の方法」で、日本大学スポーツ科学部専任講師の徳永夏子は、コンクールの応募時に荒削りで未熟だった絵が、『詩とメルヘン』の誌上でだんだんと洗練されていく様子をやなせや読者が応援していく中で、支持を集めていったことが紹介されている。
誰でも自由に飛び込めて、その中で読者の共感を得ながら成長していくさまは、今の小説投稿サイトや画像投稿サイトのようなUGC(ユーザー生成コンテンツ)で人気が出ていく状況に似ている。やなせの感覚が入ってはいるが、ユーザーの評価に重きを置く創作の状況を、『詩とメルヘン』ははるか昔に詩とイラストの世界で実現してしまっていたと言えそうだ。その意味で、やなせの感覚は凄まじいばかりに未来をとらえていた。
『詩とメルヘン』はやなせにとって4本ある支柱の1本だが、サンリオにとってスピリッツの源泉であり、クリエイティブの世界にとって作品が生み出される状況を先取ったものとして、大いに意味のある存在だったと言えそうだ。(文=タニグチリウイチ)
