理論上の天体「ホワイトホール」は存在する?『時間は存在しない』著者による常識を覆す宇宙論
2019年に観測され、ついに存在が明らかになった「ブラックホール」。光さえも吸い込むこの天体は、どのような運命をたどるのか?
『時間は存在しない』で世界に衝撃を与えた天才物理学者、カルロ・ロヴェッリが提唱するループ量子重力理論を推し進めると、ブラックホールは長い時間を経たのちに、あらゆる情報がそこから噴出する「ホワイトホール」に変わる可能性が浮かび上がる。ブラックホールは時の経過とともに細く長く引き絞られる漏斗のような構造を持ち、最も深い領域では量子現象による時空の歪みの影響を受け、時間が反転するのである。そして黒い穴は、白い穴へと変わる――
『ブラックホールは白くなる』
第一部 黒い穴(ブラックホール)
出だしがもっとも難しい。冒頭の言葉が、空間を切り開く。少女のふとした眼差しを受けて恋が芽生えるように――かすかな微笑みによって人生が決まる。実際に筆を執るまで、わたしはずいぶん長くためらっていた。ここカナダの自宅の裏に広がる森を、幾度となく、長い時間歩き回りながら。
自分がどこに向かおうとしているのか、今なお確かなことはわからない。
ここ数年、わたしの研究の焦点は黒い穴(ブラックホール)の摑み所のない弟妹である白い穴(ホワイトホール)に絞られていた。これは、ホワイトホールに関するわたしの本である。まず最初に、今では天空に何百も存在することがわかっているブラックホールのなんたるかを、できるだけ上手に述べたいと思う。それらの奇妙な星の縁(へり)、すなわち地平線(ホライズン)で、いったい何が起きているのかを。かの地平線では、時間は遅くなり、ついには止まって、空間も終わるとされているのだが……。それからどんどん内へと降りてゆき、内部のもっとも深いところ――時間や空間が溶ける領域に至る。時間が反転する領域――ホワイトホールが生まれる領域に。
これは旅の物語。であるとともに、今も続く冒険の顚末(てんまつ)。どんな旅にもいえることだが、最初はどこに連れて行かれるのかはっきりしない。誰だって、初めて微笑みを交わした直後に、どこで同棲しようかなどとは尋ねられない。
それでもわたしの頭のなかには、自分なりの飛行計画がある。わたしたちはまず、地平線の際(きわ)に赴く。そこから中に入っていちばん下まで降りてゆき、――〔『鏡の国のアリス』の〕アリスが鏡を抜けたように――底を突き抜けて、向こう側のホワイトホールの中に出る。そこで、時間が反転するというのがどういうことなのかを自問した後に……再び姿を現して星たちと見(まみ)える。見慣れた星たちと、ほんの数秒――でありながら何百万年もの時間――の後に。あるいはそれは、この短い本を読み終えるまでの時間なのかもしれない。
さあみなさんも、ご一緒しませんか?
マルセイユにて。ハルは、わたしの研究室の黒板の前に立っている。わたし自身は大きな背もたれのある椅子に腰を下ろし、机に両肘をついて、じっとハルを見つめている。窓からは地中海のまばゆく澄んだ光が射し込み……。ホワイトホールを巡るわたしの旅は、こんなふうに始まった。
ハルはアメリカの人である。とはいえ生来の優しさゆえに、その天才的な着想も決してどぎつく感じられない。今では大学で講師をしているが、当時はまだ学生だった。思いやりがあって厳密で、年のわりに成熟した落ち着きと冷静さを感じさせる。彼は何かを伝えようとしていたのだが、わたしにはどうもそれがうまく呑み込めなかった。ブラックホールが長い一生を終えようとする、まさにその瞬間に起きる事柄に関する着想だというのだが。
ハルのポートレート by Fausto Fabbri
彼の言葉が蘇る。「わたしたちが時間を反転させても、アインシュタインの方程式は変わりません。跳ね返りを起こすには、時間を反転させて、解を貼り合わせればいいんです」。何のことやらさっぱりだった。
それから突然、ハルのいっていることが腑に落ちた。いやあ、お見事 !(わたしはイタリア人だから、冷静でなんかいられない) 黒板のところに行って、ざっと図を描いてみる。胸が高鳴る。
彼がちょっと考えてから「そうです、だいたいそんな感じで」といいかけるのを、わたしが引き取って「……ブラックホールは、内部の量子トンネルによってホワイトホールに変わる――でも、外部は同じままでいられる」と続ける。彼はさらにもう少し考えてから、「そうですねえ……どうなのかな。こう……なると思われますか?」といった。
そう……なるのだ。少なくとも理屈のうえでは。マルセイユの澄んだ光のなかでのあの会話から、九年が経った。その間、わたしは学生や同僚たちとともに、黒い穴(ブラックホール)が白い穴(ホワイトホール)になり得るという仮説を検討してきた。じつに美しい着想だ、とわたしは思っている。今から、その考えについてお話ししたい。
この着想が正しいのかどうか、わたしにはわからない。ホワイトホールが実際に存在するかどうかもわからない。ブラックホールに関しては、今では多くのことがわかっていて、実際に「見る」こともできる。しかし、ホワイトホールは誰も見たことがない。今のところは……。
パドヴァ大学の博士課程に在籍していた頃、わたしはマリオ・トーニンに理論物理学を教わった。彼はわたしたちに「善き『神』は、毎週あの有名な物理学雑誌、『フィジカル・レビューD』を読んでいるんだと思う。そして何か気に入ったアイデアに出くわすと、ジャーン! とばかりにそれを実行に移して、適宜宇宙の法則を書き換えるんだ」といった。
もしそうであるのなら、親愛なる神様、わたしには一つお願いがあります。どうか、ブラックホールが結局はホワイトホールになるように、取りはからっていただけないでしょうか……。
ここまでの文章に目を通す。初めてホワイトホールに出合ったときの話だ。すべてを順序立てて説明したい。ハルとわたしがどんな対象について論じていたのか。それらについて何を知っていて、何を知らなかったのか。どのような問題を解明しようとしていたのか。ハルの着想が正確にはどのようなもので、そこから何が言えそうだったのか。時間が反転するということは何を意味していて(決して複雑なことではない)、時間が方向を持つということは何を意味しているのか(意外に思われるかもしれないが、こちらのほうがややこしい)。
みなさんが付いてきてくれるのなら、ブラックホールの地ホライズン平線の際(きわ)までお連れして、ともに中に入り、奥底まで降りる。そこを抜けるとホワイトホールの中に出るのだが、そこでは時間が反転している。それから今度は上がってゆき、ついには外に出て、再びお馴染みの星に見まみえることになる。
では、旅を始めよう――ホワイトホールを目指して。
第一章 ブラックホールとは何か
一般相対性理論に導かれて
じつはまず、ホワイトホールではなくブラックホールを目指さなくてはならない。ホワイトホールのなんたるかを理解するには、ブラックホールが何なのかを明確に知る必要があるのだ。ブラックホールとは、いったい何なのか。
最初に間違えたのは、アインシュタインだった。アルベルト・アインシュタインは十年にわたる「まさに死にものぐるいの」作業の末に一九一五年、自身のもっとも重要な理論の最終的な方程式を発表した。その理論は一般相対性理論と呼ばれ、今なお世界中のありとあらゆる大学で研究されている。
その式が発表された数週間後、アインシュタインのもとに若き同業者から一通の手紙が届いた。当時ドイツ軍の中尉だったカール・シュワルツシルトは、その数か月後に東部戦線で命を落とすことになる。
彼の手紙は、次のような美しい言葉で締めくくられていた。「あなたもご存じのように、絶え間なく砲撃が続いていますが、今のところこの戦いはわたしを優しく遇してくれています。と申しますのも、ほんの短い時間ではありますが、そういったすべてを逃れてあなたの着想の地に踏み入り、散歩を楽しむことができているからです……」
シュワルツシルトが東部戦線の戦いの合間に、当時も今も猛威を振るう人間の愚かさゆえに無残に殺された(国境争いで命を落とすほど愚かなことがあるだろうか)ドイツやロシアの若者たちの亡骸(なきがら)に囲まれながら行ったアインシュタインの着想の地の逍遥(しょうよう)は、アインシュタインが発表したばかりの方程式の一つの厳密な解として実を結んだ。
それらの方程式には、アインシュタインもかなりてこずらされた。問題の方程式が一連の論文を通じて発展していく様子からも、その苦闘が偲ばれる。どの論文にも、異なる式が記されていたのだ。しかも、すべて間違っていた。
だがついに、一九一五年に正しい式が示された。そしてそれらの方程式を目にした物理学者たちは、時間と空間の性質に関する自分たちの考えを見直す必要がある、と納得した。それらの式が、山では平地よりも時計が速く進み、宇宙は膨張しており、空間には波が立つ、といったことを示していたのだ。これらは、今日わたしたちが宇宙を調べるのに用いている方程式であり、おそらく物理学全体のなかでもっとも美しいといえる式なのだ(拙著『すごい物理学入門』(河出書房新社)に唯一含まれている式でもある)。
わたしたちはこの先の旅で、これらの方程式と親密な――それでいて不穏な――関係を持つことになる。これらの式が、ダンテの『神曲』に登場するヴェルギリウスのように、わたしたちの道案内となるのだ。なぜならそこには、今現在のわたしたちの空間、時間、重力を巡る最良の理解が要約されているから。これらの式は、わたしたちが物事を理解するためのツールであり、ブラックホールの縁へりで、さらにはその内部で何が起きるはずなのかを教えてくれる。そしてまた、ホワイトホールのなんたるかも。要するに、これらの奇妙な領域を進んでゆく道を指し示してくれるのだ。
だがそれでいて、わたしがこれから語ろうとしている話の核心は、これらの方程式がもはや機能しない場所――これらの方程式を放棄しなければならなくなったその場所――でいったい何が起きるのかを、行って、見てくるところにある。それが、科学なのだ。
わたしたちは旅の中ほどで、心強い道案内だったこれらの方程式を手放さなければならなくなる。そして、より甘やかな何かに導かれることになる。ちょうどダンテがかの旅の中ほどでヴェルギリウスと別れ、より魅惑的な何かの虜(とりこ)になったように……。
(了)
カルロ・ロヴェッリ Carlo Rovelli
理論物理学者。1956年、イタリアのヴェローナ生まれ。ボローニャ大学卒業後、パドヴァ大学大学院で博士号取得。イタリアやアメリカの大学勤務を経て、現在はフランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いる。「ループ量子重力理論」の提唱者の一人。
『すごい物理学講義』(河出書房新社)で「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞。『すごい物理学入門』(同)は世界で150万部超を売り上げ、『時間は存在しない』(NHK出版)はタイム誌の「ベスト10ノンフィクション(2018年)」に選出、『世界は「関係」でできている』(同)は世界23か国で刊行決定など著作はいずれも好評を博す。本書はイタリアで10万部以上を売り上げ、世界27か国で刊行予定の話題作。
