レフェリーも育てる時代へ。「場数や経験数も大事」サッカーの母国イングランドとの違いは?【審判員インタビュー|第4回・佐藤隆治】
罰するために競技規則を適用しているわけではなく、良い試合を作るために競技規則を適用していく。それが審判員だ。
そんな審判員のインタビューを、『サッカーダイジェストWeb』と『週刊レフェリー批評』(株式会社ダブルインフィニティ)が前編と後編に分け、隔月で連載していく。
取材・文●石井紘人@targma_fbrj
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――サッカーを始めたきっかけを教えてください。
「私が通っていた名古屋の小学校は、一学年に2クラスしかない小さな学校でした。人数が少ないこともあり、男子は春から夏は野球、夏休み期間は水泳、秋に陸上大会があって、その後の冬から春はサッカーとひとつに絞らずにスポーツをしていました。
小学校5年生からは本格的にサッカーを始めましたが、野球のほうが好きだったんですよね。母親が言うには、低学年の時はサッカーボールが怖くて逃げ回っていたらしいです(笑)。全然覚えていないんですけど、『ボールが怖い』って言っていたらしくて」
――(笑)にもかかわらず、サッカーにハマったのは?
「ピッチャーをやっていた時に肩を壊して、しばらくボールを投げられなかったのがひとつ。もうひとつは中学校に入って、部活を絞らないといけなくて、野球部に入部すると坊主にしないといけない。坊主が嫌だから、野球ではなくて、サッカーを選んだ感じです(笑)」
――サッカー部ではどのポジションでしたか?
「身体は大きかったですし、足も速かったのでFWでした。中学時代は市大会で負けて、県大会に進めませんでした。高校時代は県大会に進んだのですが、一回戦で敗退。尾張地区の選抜に入ったこともありましたけど、並の選手でした」
――進学した筑波大学サッカー部は凄い選手層ですよね。同期にJリーガーもいると思います。
「はい。5軍までありました。私はトップチームには上がれず、Bチーム止まり。同期は、現在は川崎フロンターレのコーチの戸田光洋(元FC東京など)、徳島ヴォルティス強化部の谷池洋平(元徳島など)、福島ユナイテッドFCスタッフの井上敦史(元鳥取など)、北陸大学監督の西川周吾(元水戸など)です。
