彼らを見て、FWではなくて、ポジションを変えようと思いました。私、右利きですけど、左足が器用なほうだったんですよね。筑波大学が、左サイドバックが手薄だったので、左サイドバックにコンバートしたのですが、それでもトップチームには上がれませんでした。

 さらに、左サイドバックに一学年下に東京ヴェルディユースから羽山拓巳(元東京Vなど)が入部してきて、勝てないのを悟りますよね。その翌年には羽生直剛(元千葉など/元日本代表)も入ってくると、どんどん敵わなくなってくる。それでも、そんな環境で切磋琢磨できたのは楽しかったですし、今考えても良い進路だったと思います」
 
――その後、私が以前聞いたお話では、教員になって、チームの指導をするなら審判員の資格を取らないといけないため、審判資格を取得。そして、日韓ワールドカップでレフェリーを務めた上川徹(現・JFA審判マネージャー)さんの講演を聞いて、審判員への道を意識された。同時に、サッカーダイジェスト誌の「レフェリーカレッジ生徒募集」の記事を見て、Jリーグの審判員を目ざすことになったと仰られていました。

「そうですね。確かゴールデンウィーク明けくらいに記事を見て、『そんなのあるんだ』と興味を持ちました」

――レフェリーカレッジに入り、2004年に一級審判員になります。以前、お話をお伺いした時に、「JFLやJ2よりも、トップの選手が怪我明けでいたり、次の契約のシビアさのあるサテライトが難しかった」と仰られていて、さらにJ1では「注目度もあり、ひとつの判定の怖さがある」と。そして、国際審判員となり、2009年にはU-20のカタール国際大会の割り当てを受けます。国際審判員の活動はいかがでしたか?

「2009年にプロフェッショナルレフェリー(PR=JFAと契約するプロの審判員)になり、その年の1月に行なわれたカタール国際大会に参加しました。

 ただ、その大会の試合よりも印象に残っているのは、同年の3月に韓国で行なわれた国際親善試合の韓国代表対イラク代表戦です。韓国代表は、南アフリカ・ワールドカップのアジア最終予選直前の試合で、バリバリのフル代表でした。選手はもちろん、スタッフの表情も、満員のサポーターが作り出すスタジアムの雰囲気も、今まで経験したことがなかった。

 今思えば、もっと盛り上がるような試合や痺れる状況の試合はあります。ただ、初めての満員のスタジアムでの国歌が流れた時の緊張度、『国際審判員として、こういった環境で笛を吹いていくんだ』という気持ちをすごく覚えています」