新シーズンの南葛SCの指揮を執る島岡新監督。指導者としてのキャリアは母校の関西大から始まった。写真:滝川敏之

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 関東社会人リーグ昇格を果たすべく、“新生南葛SC”が動き出した。今季からチームを率いるのは島岡健太監督だ。関西大で長きにわたって監督を務め、2016年からは名古屋グランパスでトップチームのコーチを務めるなど実績は十分。新指揮官の手腕に興味は尽きない。

 では、島岡監督は今シーズン、いかなる道を歩みチームを強化していくのか――。新参の将に直撃した今回の特集では3回に分けて、新天地に懸ける想いや目標の実現に向けた意気込みをお届けする。シリーズ1回目の今回は、新監督のキャリアについて紐解いていく。

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 名古屋から上京して早1か月。新指揮官は新たな挑戦に胸を踊らせているが、気になるのはそのサッカーキャリアだ。

 島岡は四日市中央工高の出身。1991年度の高校サッカー選手権では小倉隆史(元名古屋ほか)、中西永輔(元横浜Mほか)中田一三(元横浜Fほか)らと、同校史上初の優勝に貢献した。卒業後は関西大に進み、96年に鳥栖フューチャーズに入団。翌年から名称変更したサガン鳥栖の一員としてJ2でプレーし、01年に現役を退いた。ここから母校の関西大でコーチになるのだが、当初はそのつもりはなかったという。

「まさか指導者になるとは思っていなかったんです(笑)。指導者になりたくてなったわけではなかった。現役引退後のプランは正直に言うと何も考えていなかったんですよ」

 では、なぜ教える側になったのか。その理由を尋ねると、シンプルな答えが帰って来た。

「僕が引退するタイミングで母校の関西大に『指導者をしたい気持ちはないか』と、声をかけてもらったんです。誘われるまで僕自身はやる考えを持っていなかったけど、チャンスがあるならと思ったのと、母校のために新たな自分を作るチャレンジをさせてもらえるのであれば、やってみようという気持ちになって一歩踏み出しました。そこが始まりですね」
 
 母校のために――。その想いで関西大のコーチになったが、最初は苦労の連続だった。島岡も苦笑いを浮かべながら、当時をこう振り返る。

「指導者をやったことがないから、何をしていいか分からなかった。なので、学生に『俺は外を走っておくから、いつも自分たちがやっていることをやってくれ』と。そこから始めて、最初の1、2週間は様子を見ていました。その中で『もう少しこうすればいいのに、これができたらいいのに』というのをその当時のキャプテンと話すようになって、そこから僕がちょっと指導に入っていたんです」

 手探りから始まった指導者の道。選手の兄貴分として密にコミュニケーションを取り、日々グラウンドに足を運んで汗を流した。在籍9年目となった09年からは監督となり、翌年には全日本大学サッカー選手権で優勝。順風満帆の日々を過ごした。

 だが、島岡は15年度に大学を去る決断を下す。自身と学生の成長を考えた故の退任だった。

「大学に来て15年目。いつまでも大学にいても自分自身にとっても、学生たちにとっても良くない。同じチームを長く指導される方もいるので、それを否定するわけではないけど、自分と学生の年齢差がどんどん離れていくなかで、このままで果たしていいのかなという考えもありました。最終的には、自分が新たに外に出て挑戦したいという気持ちが強くなったことが決め手になり、15年目を区切りに大学側とOBの方に今年で大学を離れさせてもらいたいと話したんです」

 15年の秋前までに想いを固めたなかで、次は何をするのか。頭を巡らせていると、高校時代の盟友で名古屋のGMに就任した小倉氏と話す機会があった。直々に誘いを受けると、翌年から小倉氏が監督に就任した縁もあって名古屋のトップチームコーチに就任したのだ。