「関西大学のエース」が突然失踪して大騒ぎ…「お前のせいで負けた」と𠮟責した監督との軋轢

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プロ野球史上最大のミステリー「KKドラフト」から41年、いま初めて明らかになる物語――。あのとき、球界に渦巻く虚々実々に翻弄されたのは桑田真澄と清原和博だけではなかった。脚光を浴びた2人の周縁で、誰が動き、誰の運命が書き換えられたのか。本当の主役は誰だったのか。  

連載『1985 英雄たちのドラフト』

第11回「村瀬雲隠れ事件」(前編)

資金力がものを言う選手獲得競争

プロ野球の世界は1965年にドラフト制度が導入されるまで、新人選手の獲得は自由競争が認められていた。資金の豊富な球団は大金を積めば有望な選手をのべつ入団させることが出来た。

さほど語られないことだが、長嶋茂雄は南海ホークスへの入団がほぼ決まっていたし、王貞治は熱心なスカウトにほだされ阪神タイガースに傾きつつあった。それが土壇場になっていずれも巨人軍に入団したのは、幾許かの事情はあったろうが、契約金の多寡も無関係ではなかったはずだ。1965〜73年の巨人軍のV9は、親会社の膨大な資金力を背景とした自由競争の恩恵に与ったものと見てまず間違いない。

「伊藤菊」こと伊藤菊雄が、近大野球部助監督から巨人軍関西担当スカウトに転身した1960年はまさに自由競争の只中にあった。かと言って選手の獲得が楽だったわけでは決してない。法外な現金が飛び交う熾烈な獲得競争が繰り広げられ、伊藤菊もその渦中に否応なく巻き込まれた。いや「自ら渦を巻き起こした」と言うべきかもしれない。

旧日本軍の階級意識が残っていた野球界

この頃、関西大学野球部に村瀬広基という本格派投手がいた。

関大入学直後の1960年、いきなり関西六大学野球のマウンドに立ち、春・秋季リーグでそれぞれ4勝ずつ挙げ、翌61年の春季リーグでは6勝無敗、防御率0.82という圧倒的な数字で関大の優勝に貢献した。

実はこの時点で伊藤菊は村瀬広基に接触し「卒業後は巨人に入る」という内諾を得ていた。近大職員の頃より村瀬と面識があったからだ。──しかし、事態は急変する。

6月18日、真の大学野球日本一を決める全日本大学野球選手権大会の決勝が日本大学と関西大学の間で争われることになった。場所は神宮球場である。

卒業後は巨人軍に入団し「8時半の男」と呼ばれることになる日大のエース、宮田征典と、プロのスカウトの評価は宮田以上の村瀬広基による投手戦が予想されたが、序盤から日大が試合を優勢に進め、6回で村瀬をマウンドから引きずり下ろした日大が10対2の大差で大学野球日本一の栄冠を掴んだ。

このとき、関大野球部監督の高木太三朗は村瀬をねぎらうどころか「お前のせいで負けた」と強くなじった。4月の春季リーグ戦から投げ通してきたエースに対して言う言葉ではない。この時代の野球関係者は旧日本軍の階級意識が多分に残っていたのかもしれず、村瀬が感情的になるのは当然で、この情報は伊藤菊の耳にも入った。

一方、監督就任初年度となる川上哲治率いる巨人軍は、ペナントレース序盤から中日ドラゴンズ、国鉄スワローズとの三つ巴の争いから抜け出せずにいた。一時は2位の国鉄に4・5ゲーム差をつけ首位をキープしたかに見えたが、その後は負け越しが続き、8月下旬には3位に転落してしまう。

低迷の理由ははっきりしている。投手陣の不調である。エースの藤田元司が肩を痛め、堀本律雄もここ一番で勝てず、唯一気を吐いていた中村稔も終盤に来て疲労は隠せなくなっていた。中日には35勝という驚異的な勝ち星を挙げていたルーキーの権藤博がいたし、国鉄には大エースの金田正一が控えていた。投手力の差が制するのは混戦の常で「おそらく巨人が真っ先に脱落する」とマスコミの多くは予想した。

「野球部を辞めたいのは本心か」

急ぎ上京した伊藤菊は、監督の川上哲治に進言する。

「関大の村瀬がいます。村瀬を今すぐ入団させましょう」

「そんなこと出来るのか。卒業まで2年もあるんだぞ」

「すぐに中退させます。本人もその気でいます」

この頃、村瀬広基と関大野球部監督の高木太三朗との仲は完全に修復不可能となっていた。村瀬は「もう大学を辞めたい。あんな監督の下で投げる気がしない」と周囲に洩らすようにもなっていた。

8月の終わり頃、伊藤菊は村瀬を呼び出すとこう耳打ちした。

「野球部を辞めたいのは本心か」

「本心ですよ」

「わかった。じゃあ、身柄を俺に預けろ」

9月3日の夜、伊藤菊は関大野球部の寮から村瀬を脱出させ、大阪駅までハイヤーに乗せると、そのまま東京行きの夜行列車に乗せた。関大は突然のエースの失踪に大騒ぎとなった。

球界を驚愕させた「村瀬雲隠れ事件」である。

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