松本典子

写真拡大

デビュー3年目

 歌手・タレントの松本典子(58)は今、保育園で子育て支援員として勤務しながら、芸能活動を行っている。デビューから41年が経つが、1980年代後半には、フジテレビ系コント番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」にレギュラー出演。清純派から一転、体を張ったコメディエンヌとして活躍した。当時のことを振り返ってもらった。(全3回の第2回)【福嶋剛/ライター】

 ***

【写真】可愛すぎる…当時から超「美少女」。幼少期、小・中・高、デビュー、アイドル時代、志村けんさんとの貴重ショットも

「志村けんのだいじょうぶだぁ」にレギュラー出演したのはデビュー3年目の1987年のことだった。1年目は歌手として新人賞レースでトップに上り詰めた松本だったが、その後は伸び悩み、アイドルとしても転換期を迎えていた。

松本典子

「事務所の方からレギュラー出演のお話をいただきました。今までは事務所の指示に全て従ってやってきたのですが、この時初めて事務所から『やるかやらないかは、あなたが決めなさい』と言われたんです。

 ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系)に初めて出演したのが1年目で、もちろんよく知っていますけど、私自身、お笑いを見てこなかったので『なんで私に?』って最初は思いました。ただそれよりもタレントとして大きなチャンスが来たという気持ちの方が大きくて『やります!』とお返事しました」

 正統派アイドルとして世間に知れ渡っていた松本が、志村さんと一緒に臆することなく次々と体を張ったコントに挑戦した。するとお茶の間の爆笑を誘い、一躍コメディエンヌとして頭角を現した。

「今まで人を笑わせたことなんて一度もなくて、お笑い番組もほとんど見ずに育ったので最初は私にできるのかなって心配でした。でも、メイクもコントも全く抵抗がなかったんです。むしろやっている側の私の方が楽しくなっちゃって、どんどんエスカレートしていきました(笑)」

 変顔や特殊メイクは松本の意向もあったという。

「はじめは指示通りやってもらったんですけど、次第に私の方から『(まゆげを)つなげちゃいましょうよ』とか『ひげを書いたら面白いんじゃないですか』とかいうようになりました。違う自分になれるのが面白かったんです。

 パイ投げにしても相手にちゃんと命中させないと面白くないので、外してしまったときはとっても悔しかったですね。頭の上から大きなたらいが落っこちるコントでは、ちゃんと芯に当たらないときれいな音も出ないですし、本当の痛さが伝わらないです。だから私から当たりにいきました」

 新たな才能を開花させたことでバラドルとしての人気を確立した一方、デビューから応援してきたファンにとっては複雑な思いもあったようだ。

「やっぱり初めの頃は『なんであんなことをするんですか』『コントは止めてほしい』というファンのみなさんからお手紙をたくさんいただきました。でも一生懸命やっていたらいつか伝わると信じて続けたら今度は『今までは嫌でしたけど面白いです』とか『これからも応援します』というお手紙に変わっていきました。自分も変わらなきゃという時期だったので挑戦して良かったです。何より志村けんさんのおかげですね」

約5年半レギュラー

 1992年12月まで約5年半という長きにわたり、『だいじょうぶだぁ』ファミリーの一員としてレギュラーを務めた。

「志村さんじゃないとあんな良いチームワークにはならなかったかもしれないですよね。それくらいコントに真剣でしたし、仲間に優しかった方でした。『ウンジャラゲ』というもともとは、ハナ肇とクレージーキャッツのみなさんの楽曲を志村けんさんファミリーで新たに歌ったこともありました。本当に楽しくて一生懸命踊ってましたね。

 そんな今まで見せたことのない自分の姿を見て、おじいちゃんおばあちゃんからお子さんまで笑って喜んでくれて、街でも声を掛けていただいたりして、本当に幸せでした。ただ、水着姿やレオタード姿になるのはめちゃくちゃ恥ずかしかったです(笑)」

 あまりの恥ずかしさから、意を決した松本は、一緒にレギュラー出演していた石野陽子と2人で志村さんに直談判した。

「陽子ちゃんと2人で志村さんの楽屋に向かいました。ちょっとドキドキしながら『すみません!』と言ったら、志村さんが『ん? どうした?』という顔でこちらを見てきたんです。『水着とかレオタードのコントはちょっと恥ずかしくて……』と言うと、志村さんがニヤッと笑って『そう、分かった』と言って、私たちの意見を聞いてくれました。陽子ちゃんと『よかったね!』と言って楽屋を出た思い出があります」

 志村さんが旅立って、はや6年が経つ。今でも志村さんの思い出は尽きない。

「本当に感謝しかなくて、それ以上の言葉が見つかりません。歌手としてすごく悩んでいた時期に私を救ってくださった方で、見ている人を楽しませるためにいつも一生懸命だった方でした。普段はとても物静かで、本とか映画とか音楽とか、いろんなものをチェックされていました。

 スタジオに入るとスイッチが入って、一つひとつの仕事にすごく丁寧に向き合っていたのかなって感じました。たとえばセットひとつとってもちょっとでも違うと思ったら、納得いくまで変えていましたね。そういう見えない努力の積み重ねと、やっている側の私たちも楽しく自由にできる環境をいつも作ってくださった。志村さんとは楽しい思い出しかありません」

「志村けんのだいじょうぶだぁ」降板後の1992年、当時ヤクルトスワローズの内野手として活躍していた笘篠賢治さんと結婚し、長らく芸能活動から離れることとなる。

 ***

 第3回【58歳・松本典子が30年ぶりにステージに立った理由 ヤクルト・笘篠賢治氏との電撃結婚、3人の息子、そして保育園勤務8年目の今】では、松本が芸能活動を再開した理由などを語っている。

松本典子(まつもと・のりこ)
1968年1月30日、群馬県出身。84年7月、「第5回ミス・セブンティーンコンテスト」で網浜直子とダブル優勝を果たし、芸能界入り。85年3月21日、1stシングル「春色のエアメール」で歌手デビュー。87年から92年まで「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)にレギュラー出演し、コメディエンヌとして人気を博した。92年、プロ野球選手の笘篠賢治氏と結婚し、3人の息子をもうける。結婚後、長らく芸能活動を休止していたが、2025年に芸能活動を再開。現在は同期の芳本美代子、網浜直子と3人でユニットID85を結成し、ライブ活動を行う傍ら、子育て支援員として保育園にも勤めている。

福嶋 剛
ライター。1971年生まれ。TV局映像編集、ロケーションコーディネーター、音楽サイトの編集長、ニュースサイトの記者などを経験。ベテランアーティストや元アイドルのインタビューをはじめ、イベントの進行役などエンタメを中心に活動中。

デイリー新潮編集部