丸山選手がサイクルヒットを達成した神宮球場

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 ヤクルト・丸山和郁が5月1日のDeNA戦でNPB史上73人目(78度目)のサイクル安打を達成した。単打、三塁打、本塁打でリーチをかけ、迎えた7回の5打席目。左中間に打ち上げた打球が強風にも助けられ、飛び込んだ左翼手のグラブのわずか先に落ち、二塁打になった。快記録の達成には運の占める要素も大きいことを改めて印象づけたが、過去には超難関の条件を見事にクリアし、快挙を実現した男たちも存在する。【久保田龍雄/ライター】

【快挙】ヤクルト・丸山和郁選手がNPB史上73人目のサイクルヒットを達成し、弾けた笑顔

どうしてサイクルヒットのことを聞かないんだ

 最後に本塁打を残したまま延長戦に入り、12回のサヨナラ弾で史上10人目(11度目)のサイクル安打を達成したのが、西鉄時代の大下弘だ。1954年7月15日の阪急戦、1打席目から二塁打、単打、5回の3打席目に右中間への同点三塁打でリーチをかけたが、4打席目は投ゴロに倒れ、試合は2対2のまま延長戦へ。5打席目にも中前安打を放った大下は延長12回、6打席目にして右中間場外に劇的なサヨナラ弾を放ち、勝利、快挙の両手に花となった。

丸山選手がサイクルヒットを達成した神宮球場

 ただし、当時の日本球界ではサイクル安打は認識されておらず、まったく話題にならなかった。

 日本にサイクル安打の存在を初めて紹介したことで知られる阪急のダリル・スペンサーも、65年7月16日の近鉄戦で史上23人目(24度目)のサイクルを達成している。初回の1打席目に三塁内野安打で出塁したスペンサーは、2打席目四球のあと、2点を追う5回1死二塁、右中間に値千金の同点2ラン。7回の4打席目にも右中間二塁打を放ち、リーチをかけたが、最後に残ったのが一番難しい三塁打とあって、達成は至難の業と思われた。

 だが、試合が3対3のまま延長戦に突入し、打席が増えたことが、結果的に幸いした。5打席目は三ゴロに終わるが、延長12回の6打席目、先頭のスペンサーは左翼フェンスを直撃する三塁打を放ち、サイクル安打を達成。次打者・山口富士雄の中前タイムリーでサヨナラのホームを踏んだ。

 ところが、試合後、新聞記者たちは5回の本塁打の談話しか取ろうとしない。業を煮やしたスペンサーが「君たちはどうしてサイクルヒットのことを聞かないんだ」と逆質問すると、みんなキョトンとした顔になった。

 当時の日本球界にはサイクル安打という言葉すらなく、スペンサーの説明で記者たちはようやく納得した。これがきっかけで、長い間日本で見過ごされていた記録に光が当たり、スペンサー以前に達成した22人の記録も陽の目を見ることになった。

みんなのおかげ

 通常は9回までに4、5回打席が回る中で達成される例が多いサイクルだが、史上最短の5回途中で達成したのが、ヤクルト時代の稲葉篤紀だ。2003年7月1日に長野県の松本市野球場で行われた横浜戦、稲葉は1回2死、チーム初安打となる右越え三塁打を放つと、0対5の4回の2打席目に右越えソロで追撃の狼煙を上げる。

 稲葉の一発で火がついたヤクルト打線は、この回一気に1点差に迫ると、5回にも打者一巡の猛攻で7点を挙げ、11対5と逆転する。稲葉も1イニング2打席で右前安打と右越え二塁打を記録し、一気に史上56人目(60度目)のサイクル安打を達成した。

 だが、雨が降りつづき、いつ中止になってもおかしくない悪天候だった。5回裏を守りきらなければ、ノーゲームでせっかくの記録が幻と消えてしまう可能性もあった。

 そして、5回の横浜の攻撃をゼロに抑え、試合が成立すると、稲葉はライトの守備位置から全力でベンチに戻り、ナインとハイタッチを交わしながら喜びを爆発させた。結局、試合は6回コールドで打ち切られ、まさに駆け込みセーフ。稲葉も「最速?たまたまだよ。みんながつないでくれたおかげ」と5回までに4打席回してくれたチームメイトに感謝しきりだった。

僕みたいな足の遅い選手が三塁打とはね

 NPB史上唯一3度にわたってサイクルを達成したのが、横浜のロバート・ローズだ。しかも、1、2度目は三塁打、3度目は本塁打で達成するという、いずれも超難関の条件をクリアしての快挙だった。

 1995年5月2日の中日戦、ローズは1回1死一、二塁で、センター上空に高々と飛球を打ち上げた。中堅手が目測を誤って捕球に失敗し、この幸運な安打が快挙の呼び水となる。3、5回に連続二塁打を記録したあと、7回に左越えソロを放ち、最後に最難関の三塁打が残った。

 だが、この日のローズは強運だった。8回2死三塁の5打席目、打球は左翼フェンス直撃の“二塁打コース”。ところが、左翼手がフェンスに激突して転倒した結果、“棚ぼた”三塁打になった。史上46人目(48度目)のサイクル達成に、本人も「まさか僕みたいな足の遅い選手が三塁打とはね」と目を丸くしていた。

 2度目は97年4月29日のヤクルト戦。1打席目から本塁打、二塁打、安打、安打を記録し、またしても三塁打が最後の難関となった。8回の5打席目、ローズはあわや本塁打という打球が中堅フェンスの最上部を直撃し、名手・飯田哲也がクッション処理を誤る間にヘッドスライディングで三塁へ。「最後に三塁打が打てる確率は100万分の1くらいだろう」と満面に笑みをたたえた。

 3度目は1999年6月30日の広島戦、2回に二塁打を放ったローズは、横浜打線が5回に一挙12得点の猛攻を見せるなか、この回に安打と三塁打を記録してリーチをかける。そして、6回無死一、三塁、小林幹英からダメ押しの右中間3ランを放ち、史上初の3度目のサイクル安打を達成した。

「ホームランが出るとサイクルというのはわかっていたよ。でも、自分のスイングをしようと心掛けて、打席に入った。素晴らしいチームメイトに助けられて、記録を達成できた」

 球史に残る大記録は、打者自身の実力だけでなく、強運や試合展開、チームメイトのアシストが重なって初めて生まれる。丸山の快挙もまた、サイクル安打という記録が持つ不思議な魅力と難しさを改めて浮かび上がらせた。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)

デイリー新潮編集部