サッカー部を除籍処分になった前田大然が、地元に帰らなかったワケ。「誰よりも走り続ける男」を突き動かす“責任感”のルーツは高校時代に
さて、5月に『がむしゃら なぜ俺は、こんなに走るのか--。』(幻冬舎)を上梓した前田大然は、同書で懸命に走り抜けてきた半生を振り返っている。発売に先立った本インタビューでは、自身のルーツに加えて、ワールドカップでの抱負を本人の口から語ってもらった。
「誰かのためにっていう想いはあるのかな」
前田大然は常に誰かを思って「がむしゃら」に走ってきた。誰かのためであって、誰かのせいではない。誰かからの期待を背負うと同時に、期待への責任も背負う。そして、一生懸命に走り続けることで、自身の責任を果たしてきた。
期待への責任を大きく感じた出来事として、高校時代にサッカー部を除籍処分になったエピソードを著書のなかでも明かしている。
サッカーのために大阪から山梨学院高へ越境入学したのだが、友だちとのじゃれ合いが問題視されて、サッカー部を除籍処分となった。
サッカーに懸けて一心不乱になっていたなかで、サッカーを取り上げられることになった。絶望に等しい世界へ一変したというのは想像に難くない。それでも「自分がやってしまったことの責任を取れるのは自分しかいない」と、地元には戻らずに山梨に残ることを決意した。いつかサッカー部へ戻れるかもしれないという保証のない一縷の望みに懸けたのだった。
◆大阪に帰らず、山梨に残ったワケ
「振り返ると、大したものではないのですがプライドのようなものがありました。山梨で頑張ってくるといって大阪から出てきたのに、すぐには帰れないという責任感も感じていたので、残る決意をしました」
両親は、「いつでも大阪に帰っておいで」とこぼしつつも、彼の意思を尊重してこれまで以上にサポートしてくれるようになる。そんな期待に応えるべく、発奮する。
「両親の励ましを受けて、山梨で頑張るという想いを強めたように記憶しています。反抗期らしい反抗期があったわけではありませんが、今にして思うとそれが最初で最後の反抗期だったのかもしれませんね」
反抗期という言葉を使って表現しているが、山梨へ快く送り出してくれた両親の気持ちに応えようとする責任感こそが行動指針となり、原動力になったことが真意なのは明白である。
◆「がむしゃら」に「誰かのために走る」
その後も大なり小なりのさまざまな困難や壁と向き合うことになるのだが、前田大然はその度に誰かを思い、誰かのために「がむしゃら」になって走ってきた。その基軸は今も全く変わっておらず、今夏迎えるFIFAワールドカップ26の舞台でも、「誰かのために走る」という姿勢は崩さない。
「ワールドカップでは、ただただ頑張っている姿を見せたいですね。著書のタイトルだからではないですけど、『がむしゃら』になって戦っている姿をこれまで支えてくれたすべての人、日本から応援してくれている人に見てもらいたいです」
世界で最も大きな舞台で頑張っている自身の姿を見せることが、これまでの恩返しにつながり、喜ばせることができる。そう信じて、大舞台でも走り抜けることを誓っている。
「誰かが誰かのために一生懸命になって頑張っている姿は、グッとくるものがあります。おかげさまで日本のために戦っている姿を見せられる体現できる立場になりました。僕がワールドカップの大舞台で頑張れている姿を見せることで、今まで壁にぶつかる度に助けてくれる人たちを喜ばせることができると思うんです。もちろん、ファンやサポーターの期待に応えるためにも、『がむしゃら』になって走ります」
