「これ以上、私の人権と尊厳を傷つけないで」(前編)水俣病の被害を訴え″国と闘うことになった″女性の叫び 【水俣病公式確認70年、続く苦しみ】
熊本県水俣市、不知火海を望む乙女塚では、水俣病犠牲者慰霊式と同じ時間、法要が営まれていました。人だけでなく、公害で失われた全ての生き物に、毎年この場所で鎮魂の祈りを捧げます。
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胎児性患者 坂本しのぶさん「もう70年経ったなと思う。自分と同じ歳だなと思う。水俣病はこれからも続いていくんだろうと思う」
参列者の一人、熊本県八代市出身の藤枝静香さん(63)は、水俣病の被害を訴えています。
幼い頃から手足がしびれて
1962年6月8日に生まれた藤枝さんは、幼い頃から手足がしびれ、思ったように言葉を発することができず、「脳性小児麻痺」と診断されました。
しかし8年前、56歳の時にその診断が揺らぎます。
藤枝静香さん「診察に行ったときに先生が『水俣病』と」
水俣病被害者の支援団体に紹介された医師から、「胎児性水俣病」の疑いが強いと告げられたのです。
ただ、驚きはありませんでした。
「脳性小児麻痺の人たちと自分は『少し違う』」と長年、感じていたからです。
藤枝静香さん「養護学校の時は寄宿舎にいて、脳性小児麻痺の人はたくさんいたけど、私のように体が弱いとか、しょっちゅう頭が痛いとか、体の不調を訴える人はいなかった」
現在も、症状に悩む日々
熊本市に1人で住む藤枝さん。毎日の食事は自宅を訪れるヘルパーが準備します。
藤枝静香さん「ヘルパーさんには申し訳ないけど、そんなに味が分からない。でも、私は塩辛いのは敏感に反応するんです。だから、薄味にしてもらっている」
小さい頃から味をあまり感じない一方、塩味だけは過剰に感じてきました。
さらに、手足のしびれや頭痛、めまいなどにも、毎日悩まされています。いずれも、水俣病の典型的な症状として挙げられるものです。
両親は魚の行商、毎日魚を食べた幼少期
藤枝さんは、公式確認から6年後の1962年、熊本県八代市に生まれました。
幼い時、両親が魚の行商をしていたこともあり、毎日のように不知火海で取れた魚を食べていたと言います。
藤枝静香さん「今では考えられないけど、曲がった魚もたまにあった。それは売り物にならないからうちで食べていた。貧しかったから他に食べるものがなかった」
2019年に藤枝さんは、母・有枝さん(享年90)と一緒に、水俣病の認定申請をしました。しかし、結果は共に棄却。
『魚を売った証拠もない』と言われた
藤枝静香さん「『あなたの家族には水俣病になった人はいない』『あなたの地域でも水俣病になった人はいない』と。『魚を売った証拠もない』と言われた」
国の認定基準に阻まれた人は多くいます。
熊本県内で申請されたのは、のべ2万2624人。そのうち水俣病と認められたのは1791人です。
藤枝さんは今、亡くなった母の分も引き継ぎ、再申請を続けています。
<藤枝さんが環境大臣と対峙した後編>
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