ゼンショー創業者・小川賢太郎氏死去で問われる2代目の手腕 父が目指したMMD構想を発展させられるか
「すき家」を展開するゼンショーホールディングスの創業者、小川賢太郎氏(77=写真)が6日に心筋梗塞のため死去した。
【写真】やはり万博EVバスは現場でも悪評ふんぷんの“いわく付き”だった…販売元が負債57億円で再生法申請
小川氏は1968年に東京大学に入学後、学生運動に参加して中退。横浜の港湾荷役会社に入社し、労働運動を展開した。だが後に自身の信条を資本主義へと転換し、78年には当時成長していた吉野家に入社した。
82年に独立し、ゼンショーを設立して弁当屋と牛丼屋「すき家」を開業。吉野家の1号店が59年で、松屋が68年であり、すき家は後発だったが、2008年に吉野家を店舗数で抜き、首位に立った。
競合2社の成長が鈍化する中でも拡大を続け、現在は国内で約2000店舗を展開。1000店舗台前半の吉野家や松屋を大きく上回る。
「他社が駅前に集中する中、すき家はロードサイドを押さえて成長した。トッピングの豊富さやテーブル席の拡充により、ファミリー層や女性など幅広い層の獲得に成功した」(飲食業界関係者)
一方、10年代前半には過重労働が社会問題化。12年と14年にはブラック企業大賞にノミネートされるなど、かつての労働運動の信条に反する事態も発生。22年には深夜にワンオペ(1人勤務)で働く従業員が倒れ、3時間発見されずに死亡する事故も起きた。
牛丼市場が飽和状態で、00年代からは積極的に他業態へ進出。02年に「はま寿司」を開発、05年に「なか卯」を、19年に「ジョリーパスタ」、20年に「ココス」の運営会社を子会社化。23年には「ロッテリア」を取得して、バーガー事業に参入した。
海外では寿司店の拡大が著しい。18年以降、欧米で持ち帰り寿司店を次々と買収し、同業態で約9000店舗を展開する。25年の異物混入事件で「すき家」の客離れが進んだ際も、多角化戦略によりグループ全体への影響は限定的だった。
だが、すべてが順調なわけではない。12年以降、「マルヤ」や「マルエイ」などの食品スーパーを取得し、小売事業に参入したが、今期第3四半期時点の売上高は584億円で全体の6%にとどまる。同事業は前期に続き赤字だ。
「原料調達から販売までを一貫して手掛ける『MMD(マス・マーチャンダイジング・システム)』構想の一環だが、外食の規模に比べ小売りの規模は小さく、相乗効果は限定的。小規模チェーンが乱立し、認知度不足から規模拡大につながっていない」(流通業界関係者)
小売事業は約120店舗にとどまり、近年は閉店が続く。14年以降は介護事業も強化しているが、セグメント別では「その他」に分類され、柱となる事業確立には至っていない。
ゼンショーの経営は、25年6月に社長就任した次男、洋平氏が引き継いでいる。父が目指したMMD構想を発展させ、赤字事業を黒字化できるか。2代目の手腕が問われている。
(山口伸/ライター)
