ロシアがウクライナを攻撃しても、国連が「手出しできない」よう設計されている
ロシアによるウクライナ侵攻、世界的な移民排斥運動、権威主義的国家の台頭、トランプ2.0、そして民主主義制度基盤の崩壊……。
「なぜ世界はここまで急に揺らぎはじめたのか?」。
発売からたちまち重版が決定した話題書、『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』(川北省吾 著)では、共同通信社の国際ジャーナリストが、混迷する国際政治の謎を解き明かすために、国際政治学者や評論家、政治家や現場を知る実務家へのインタビューを敢行。辿り着いた答とは?
本記事では、〈プーチンが狙った「ゼレンスキー排除」…「特別軍事作戦」という言葉に隠された「征服」の企て〉に引き続き、なぜロシアはウクライナを攻撃しても罰せられないのか、国連の「拒否権」という特権について詳しくみていく。
※本記事は、川北省吾『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』より抜粋・編集したものです。
4人の警察官
「1年前には170万人が海外で任務に就いていたが、今日では倍以上に増え、海外任務に就く兵士は380万人に達している」(注2)
1943年12月24日、第2次大戦の戦況を伝える第32代アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトの声がラジオから流れてきた。クリスマスを翌日に控えた国民向けのメッセージ。従軍中の兵士や家族らはどんな思いで聞いたことだろう。
旧日本軍による41年12月のハワイ・真珠湾攻撃後、アメリカが大戦に参戦して既に2年がたっていた。苦しい戦いが続く中、ルーズベルトは人々に団結を訴え、希望を与えようと、穏やかな口調で語りかけた。
だが、この日は慰撫や激励だけでは終わらなかった。30分足らずのメッセージには、戦後の世界構想に関する重要な示唆が潜んでいる。談話が中盤に差し掛かった頃、ルーズベルトはこう述べた。
「イギリス、ソ連(ロシア)、中国、アメリカとその同盟国は、地球人口の4分の3以上を占めている。この4大国が軍事力を背景に結束し、平和維持を決意する限り、新たな世界大戦を引き起こす侵略国家が現れる可能性はありません」
いわゆる「4人の警察官」構想である。ルーズベルトは43年11〜12月、カイロやテヘランで開かれた連合国の首脳会談でも、この考えを話し合っていた。各国の反応を踏まえた上で、米国民にも"頭出し"したのだろう。
「4人の警察官」構想は、戦後世界を支える最も重要な柱となる。二度にわたる大戦の悲劇と惨害を繰り返さないため、米英ソ中の4ヵ国が世界の平和と安全に責任を負うことになったのだ。
当時から、戦後のソ連との対立を見越していたイギリス首相ウィンストン・チャーチルの提案により、ソ連ににらみを利かせる「警察官」をもう一人、ヨーロッパに置くことが後に決まる。フランスである。
この結果、米英仏ソ中の5ヵ国が大戦終結後、新たに創設される国連の安全保障理事会常任理事国となる。「5人の警察官」として、国連の最大の使命である「国際の平和と安全の維持」(国連憲章第1章1条1項)を担うことになったのだ。
ソ連を継承したロシアは「警察官」でありながら、武力による国境変更を禁じた国連憲章に違反し、ウクライナの主権と領土を蹂躙した。無辜の民を殺傷し、筆舌に尽くし難い苦しみと悲しみをもたらし、「犯罪者」に成り下がったゆえんである。
ロシアはウクライナへ侵攻した翌日、安保理に提出されたロシア非難決議案に拒否権を行使した。5常任理事国だけが持つ特権を乱用し、自国に対する非難やウクライナからの即時撤兵要求を葬り去った。
安保理の議場前の壁には、スペインの巨匠パブロ・ピカソの名作「ゲルニカ」の複製タペストリーが掲げられ、戦争と暴力への強烈な抗議が織り込まれている。ピカソの魂はロシアに届かなかった。
だが、漆黒の深い闇から、一条の光が差し込む。「力こそ正義」と言わんばかりの大国の蛮行に対し、中小国が「ノー」を突き付けたのだ。中心となったのはヨーロッパの超小国リヒテンシュタインだった。
超小国のイニシアチブ
クリスチャン・ウェナウェザーはギリシャ彫刻のような顔立ちだ。彫りが深く、洗練された気品を漂わせ、映画俳優を名乗っても通用する。彼と会ったのは2023年10月下旬、秋のニューヨークだった。
ガザのイスラム組織ハマスから大量のロケット弾を撃ち込まれ、約1200人を惨殺されたイスラエルが報復に乗り出して間もない頃だ。ウェナウェザーは面会時間を何度も変更した末、国連本部のテラスに現れた。
「遅れて申し訳ない。ガザ対応で忙殺されていたものだから」。あいさつもそこそこに、イーストリバーを望む一角に腰を下ろすウェナウェザー。秋の陽光は陰り、あたりは少し暗くなっている。
1963年、スイス北部チューリヒ生まれ。2002年からリヒテンシュタインの国連大使を務めている。スイスとオーストリアに囲まれた超小国。人口は4万人、面積は香川県の小豆島ほどである。
だが、ウェナウェザーの存在感は大国の大使にも劣らない。20年を超す大使の経験に加え、深い学識を持つ国際法の専門家。安保理改革作業部会の副議長や国連総会副議長、国際刑事裁判所(ICC)締約国会議議長などの要職も歴任した。
「『警察官』の犯罪」について尋ねると、「『犯罪者』でも安保理の決定に参加できる現状が問題だ」と即答した。「だからロシアは侵攻翌日の2月25日、非難決議案の採決に臨み、拒否権を行使できたのだ」
紛争当事国の拒否権行使
とはいえ、是正するのは簡単ではない。議事手続きに関する決定なら、安保理の15理事国(常任5、非常任10)のうち、9ヵ国の賛成で成立する。しかし、それ以外の決定は9ヵ国の賛成に加え、5常任理事国が反対しないことが条件だからだ。
つまり、常任理事国のロシアが反対し続ける限り、「『犯罪者』でも安保理の決定に参加できる現状」を変えることはできない。それが国連憲章の定めである。憲章を改正しない限り、常任理事国の特権は法的に保障されている。
憲章改正も難事である。米英仏ロ中を含め、193の国連加盟国の3分の2の批准を経て初めて実現する。「改正を可能にする法的な道筋は見いだせない」とウェナウェザーは率直に認める。
「だから私は別の方面に注力してきた。拒否権の行使国に理由説明を求める試みだ。大虐殺や人道に対する罪が起きた場合には、国連憲章第27条3項の趣旨に鑑みて行使を自制するよう促している」
憲章の第27条3項は、紛争当事国の拒否権を制限する規定だ。ウクライナ侵攻の場合はロシアが当事国となる。この条項は安保理の一部の決定について「紛争当事国は投票を棄権しなければならない」と明記している。
大規模な侵略や大虐殺、人道に対する罪には、この規定が当てはまるとウェナウェザーは考えている。ウクライナ侵攻についても、この「投票棄権」規定を適用し、拒否権行使を認めるべきではないと主張する。
ただ、各国の立場は一様ではない。そもそもロシアがウェナウェザーのような解釈を受け入れない。ウクライナ侵攻を巡り、27条3項がロシアに適用され、拒否権行使に「待った」をかけられる見込みはない。
それでもウェナウェザーには腹案があった。27条3項を適用できなくても、拒否権の行使国に心理的・外交的圧力をかける方法はある。行使国を国連総会に召喚し、理由の説明を求める決議案の作成だった。
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さらに〈なぜロシアの暴走を止められないのか?…「大国の特権」に異を唱えたウェナウェザーが仕掛けた「一計」〉では、ウェナウェザーが挑んだ拒否権説明決議の採択までの舞台裏を詳しくみていく。
注2 https://www.presidency.ucsb.edu/documents/fireside-chat
