「私から柔道を取ったら何もない」最高峰・九段の山中圏一さん死去 柔の道、生ある限り…柔道界の発展に生涯捧ぐ
柔道界に多大な功績を残した「秀鋭館道場」(大分市)師範の山中圏一さんが去年10月、すい臓がんのため亡くなりました。81歳でした。正しい柔道、そして人を思いやる心を説き続けた山中さんの足跡をたどります。
【写真を見る】「私から柔道を取ったら何もない」最高峰・九段の山中圏一さん死去 柔の道、生ある限り…柔道界の発展に生涯捧ぐ
世界選手権「銀」、大分国体で優勝
1943年生まれの山中さんは、大分県豊後高田市の中学時代に柔道と出会いました。その後、高田高校から天理大学へと進み、世界選手権で銀メダルを獲得するなど日本を代表する選手として活躍します。
1966年、郷土の誇りを胸に1巡目の大分国体に出場。団体戦で見事優勝を果たしました。
山中さん(当時のインタビュー):
「その当時はあまり感じなかったんですけど、やはりすごいことなんだなと。重かったですよね、あれを取るためにみんな汗水流してがんばってきましたんで。やっぱり優勝するというのは難しいことですね」
その後、大分工業高校や大分上野丘高校で教壇に立つかたわら、1976年には自宅の一角に「秀鋭館道場」を開設しました。
さらには県内で初めて碩南高校に女子柔道部を創設。各世代の教え子たちを幾度も全国の舞台へと導きました。
指導者としての信念
山中さんが指導するうえで心がけていたことがあります。著書『示道柔懐(しどうじゅうかい)』には次のように綴られています。
《指導者として生徒や子どもたちに礼節、忍耐、思いやりの心を教え、柔道技術を体得させ選手育成、強化に励み、社会に貢献できる人間づくりに取り組んでいこうと思った》
《柔道をしていた子どもたちが親となり、その子どもたちが柔道をしてくれるようになってほしい》
その指導理念は「勝ち負けを優先させるのではなく、正しい柔道を伝えること」。最大の自慢は、過去の輝かしい戦績よりも「一度入門した子どもがほとんど辞めない」ことでした。
海を越えフランスへ――世界に蒔かれた教えの種
その教えは世界へと羽ばたきます。2010年世界選手権王者で、ロンドンオリンピック代表の穴井隆将さんもその一人です。現在、天理大学で師範を務める穴井さんは、恩師の教えをこう振り返りました。
穴井さん:
「努力・工夫・感謝。これを何度も言われました。先生は安きに流れず、小手先で勝っていない。組んで投げるということに徹していました」
数々の実績を残してきた秀鋭館道場の教えは、海を渡り、遠くフランスの地にも受け継がれています。
「九段」の栄誉…赤帯に誓う次代の成長
去年夏、病に倒れるまで畳の上に立ち続けた山中さん。10月に惜しまれつつ世を去りましたが、その直前には、柔道家として屈指の高段位である『九段』への昇段が決まっていました。
今年3月21日、大分市で開催された「山中圏一先生を偲ぶ会」には教え子ら200人が参列。会場には柔道着姿の山中さんの写真と、九段の証である『赤帯』が飾られていました。
穴井さん:
「一人の柔道家として挨拶、返事といった当たり前のことを当たり前にできる人間、人を思いやれる人間、そういったところを強く教えてもらいました。その教えを多くの人が感じとってもらえれば、先生も喜ぶと思います」
秀鋭館フランス 佐々木光さん:
「山中先生の精神は大分の秀鋭館、そしてフランスの秀鋭館に脈々と培っていくと思いますので、お互いに切磋琢磨して、いい道場にしていければなと思います」
道場の子ども:
「道場で学んだことはやっぱり礼儀です。上の人に対しての礼儀を学んだり、接し方を学んだりして中学校でも活用できた」「山中先生の隣に立てるような人になって、誰もが知ってるような柔道選手になりたい」
「柔らの道を生ある限り永遠に勉強」
柔道に生涯を捧げた山中さん。著書の最後にこう結んでいます。
《我々指導者もただ技を教えるだけでなく、礼儀、規律、苦しいけいこを通じての忍耐力、あるいは友情をこれからも体が続く限り指導していきたいと思っている。私から柔道を取ったら何もない。柔らの道を生ある限り、永遠に勉強だ》
秀鋭館道場では、今も16人の小中学生が汗を流しています。山中さんが築いた礎は、これからも世代を超えて力強く受け継がれていきます。
