米国と中国の覇権争いはどこに向かうのか。日本工業大学大学院技術経営研究科の田中道昭教授は「米国メディアが『自国の敗北』を語り始めた。トランプ政権には戦略の転換が求められている」という――。
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2025年10月30日、トランプ大統領と習近平国家主席 - 写真=AFP/時事通信フォト

■米国メディアが認めた「覇権の敗北」

2025年10月末、アメリカの二大紙――ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)とニューヨーク・タイムズ(NYT)――が、奇しくも同じ結論を示した。

「トランプは中国との貿易戦争に敗れた」(NYT、2025年10月29日)
「アメリカは貿易戦争で中国経済を変えようとしたが、結局変えることはできなかった」(WSJ、2025年10月31日)

アメリカ自身が、“自国の敗北”を語り始めた。

▼WSJ:米中貿易戦争は中国を変えられなかった

WSJの記事タイトルは、象徴的にこう記されている。

「The Trade War Couldn’t Change China’s Economy」
(貿易戦争は中国経済を変えることができなかった)

記事はこう指摘する。

「トランプ大統領の関税戦争は、中国の構造を動かすことができなかった。

中国政府はレアアース支配を武器に、米国企業の重要素材供給を締め付け、米国産大豆の購入を停止することで、農業部門を直撃した」

■「剛」を誇る者が「柔」に制された

トランプ政権は、中国を“輸出依存の重商主義国家”から国内消費主導型に変えるという壮大な目標を掲げた。アメリカの関税政策が中国の輸出を圧迫すれば、中国は内需を拡大し、アメリカからの輸入が増える――そんなシナリオを信じたワシントンの戦略家たちは、結果的に読み誤った。関税や大豆、レアアースをめぐる駆け引きに双方が行き詰まるなか、本来の目標であった構造的課題は棚上げされてしまっている。中国との貿易協議の目的は“新たな進展を切り開くこと”ではなく、“緊張緩和そのもの”になってしまった。

WSJは冷徹に書く。

「中国は、米国主導の西側に依存していると見なした自らのボトルネックを特定し、そうした米国主導の影響力ポイントをひとつずつ無力化した。貿易戦争は中国に教えた。アメリカを揺さぶるには、関税ではなく“サプライチェーン”を使え、と」中国は製造業のモデルを「完成品」中心から「部品・中間財」重視へと転換。その結果、中国は、世界のサプライチェーンの中に以前よりもはるかに深く組み込まれた。

関税で中国を封じ込めようとしたアメリカ。

サプライチェーンでアメリカを取り込んだ中国。

結果は、「剛を誇る者が柔に制された」構図だった。

■「覇権の領域を誤った」

▼NYT:戦わずして制されたアメリカ

NYTは、トランプ外交の誤算をさらに厳しく描く。

「トランプは米中貿易戦争を始めたが、アメリカは負けており、今停戦合意に至るとするなら、中国がアメリカに対して権力を握り、我が国の影響力を弱めたままになるだろう」

記事は続く。

「中国は“レアアースのOPEC”のような存在になっており、アメリカは他に代替供給源がない状況に置かれている。習近平は、戦わずして米国を制する術を身につけた」

NYTは、「孫子の兵法」に言及しながら、習近平の思考をその構図になぞらえた。

「戦わずして敵を制圧すること、これが技の極みである。

ミサイルを1発も撃たずして、中国は西太平洋に影響力を拡大している」

アメリカはミサイルを並べ、中国は鉱物とサプライチェーンを並べた。戦場は経済であり、武器はサプライチェーンだった。

二大紙の論調が交差するのは一点だ。

「アメリカは覇権の領域を誤った」

トランプ政権は、経済・貿易で覇権を維持できると信じ、その戦場で敗北した。

そして中国は、資源・製造・サプライチェーンという“静的覇権”を築き上げた。

この瞬間から、世界は再び構造を変えた。アメリカは“技術と軍事”に収斂し、中国は“資源と製造”に集中する。

世界は今、「ハードパワーvs.サプライチェーン・パワー」の時代へと移行しようとしている。

■「経済兵器」としてのレアアース

2025年の米中会談を読み解く上で、最も重要なポイントがある。それは、「中国が世界のレアアース供給を事実上支配している」という現実だ。この一点だけで、中国は軍事的には一発も撃たずに、経済と安全保障の“喉元”を握っている。

レアアース(希土類)とは、スマートフォン、電気自動車、風力発電、ミサイル誘導装置――あらゆるハイテク産業と軍需装備に不可欠な17種類の金属群である。つまり、現代の産業と安全保障の「血液」である。

1隻の潜水艦にはおよそ4トンのレアアースが使われ、1機の戦闘機には数百キロの磁性材料が必要とされる。この供給が止まれば、アメリカの軍需産業もシリコンバレーも、即座に麻痺する。

中国の強さは、単に鉱山を多く持っているからではない。真に恐るべきは、採掘から精製・加工・輸出までを垂直統合した構造支配にある。

この構造により、中国は「鉱石」ではなく「産業」の生命線を握った。他国が鉱山を掘っても、最終的に精製を中国に頼らざるを得ない。アメリカのネバダ州マウンテンパス鉱山も、精製は結局中国で行われている。

まさに「資源覇権ではなく、構造覇権」である。

■常に発動可能な「静かな核兵器」

2010年、中国は尖閣諸島沖の漁船衝突事件を契機に、日本向けのレアアース輸出を事実上停止した。その瞬間、東京市場は混乱し、世界の製造業が震え上がった。この事件が示したのは、レアアースが“静かな核兵器”であるという事実だ。

2025年、習近平がレアアース輸出制限を「1年間停止」すると発表した背景には、まさにこの戦略がある。解除ではなく、「停止」という表現がミソだ。いつでも再び締め付けられる――つまり、レアアースは常に発動可能な抑止兵器なのだ。「沈黙の核抑止力」でもある。

アメリカは、関税や制裁を繰り出しても、中国のレアアース依存から逃れられない。制裁を強めれば強めるほど、そのサプライチェーンが締め付けられていく。それはもはや“戦争”ではなく、“依存の人質構造”である。

■中国が実現した「戦わずして勝つ」

WSJが指摘するように、「中国は、米国主導の影響力ポイントをひとつずつ無力化した」

レアアースはその最も象徴的な「無力化」の武器の一つである。

経済戦争を仕掛けたアメリカが、最終的に供給戦争で追い詰められた。

そしてこの構造は、今後のAI・量子・再生可能エネルギーの時代にもそのまま延命する。なぜなら、これらの産業すべてがレアアースを基盤にしているからだ。

「百戦百勝は善の善に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なり」(孫子)

中国は、まさにこの“戦わずして勝つ”を実現している。ミサイルを撃たず、兵を動かさず、鉱物と構造で相手を縛る。それが現代の覇権であり、レアアースこそ21世紀の「核抑止力」である。アメリカが覇権を失ったのは関税でなく、“化学精製技術”を軽視した瞬間だった。

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アメリカが真に対抗するには、軍備でも関税でもなく、構造を奪い返す戦略(精製・技術・同盟・規範)が必要だ。それが次ページで論じる「攻勢から防勢への転換点」の核心となる。

■「攻めの帝国」から「守りの帝国」へ

冷戦後のアメリカは、“攻める帝国”だった。市場を開き、ルールをつくり、技術を輸出することで世界を動かした。覇権とは、軍事力よりも「規範を創造する力」だった。

だが、トランプ以降のアメリカはその構造を維持できなくなった。自由貿易という理念を掲げながら、関税と制裁を乱発し、結果として「自由を守る帝国」から「自国を守る帝国」へと転じた。

その変化を最も端的に示したのが、貿易戦争の終結である。トランプが仕掛けた関税攻勢は、中国を屈服させるどころか、中国の「サプライチェーン覇権」を強化する結果に終わった。

ワシントンの戦略家たちはいま、自嘲気味にこう語っているはずだ。

「アメリカはもはや世界を変える国ではなく、世界の変化を“管理”する国だ」

■「強さの演出」が「脆さの証明」に変わった

トランプ政権の外交は一見、強硬だった。核実験再開の示唆、韓国原潜の承認、台湾問題での圧力――表面的には「強さの再現」を狙ったように見える。

しかし、その実態は“力でしか示せなくなった焦燥”である。経済で説得できず、理念で導けず、残されたのは軍事と制裁的経済政策という「ハードパワーの演出」だった。

かつてのアメリカは、他国の構造を変えることで覇権を維持した。だがいまは、自国の構造を守るために防御する覇権国家になっている。

トランプ外交の最大の特徴は「ディール(取引)」である。彼は外交をビジネス交渉として捉え、政治を利害の交換として設計した。だが、その「取引主義」は次第に“被害を抑える外交”へと変質していった。

ドナルド・トランプ大統領が金海国際空港ターミナルで中国の習近平国家主席と二国間会談に参加(写真=ホワイトハウス/CC-PD-Mar/Wikimedia Commons)

本来、ディールとは“変化を創るための交渉”である。ところが、トランプ政権後半の外交は“損失を最小化するための取引”に転じた。アメリカが「攻めるための交渉」から「守るための交渉」に後退した瞬間である。

■「守るためのディール」への後退

具体的には次の3つの“防御的ディール”が象徴的だ。

▼中国との貿易停戦
表向きは「関係改善」だが、実態は関税戦争による国内物価上昇と株価不安の回避策。
中国のレアアース支配を黙認したまま、休戦に追い込まれた。

▼TikTok規制緩和
国家安全保障の名目で圧力をかけながらも、最終的には譲歩。
世論と経済界の反発を恐れた“象徴的後退”。

▼台湾支援の慎重化
武器供与や要人接触を抑え、緊張のエスカレーションを避ける。
「台湾カード」を交渉材料として扱う姿勢は、戦略的一貫性を失った証左。

これらはすべて、“攻める取引”ではなく、“守る取引”。トランプ政権の取引主義は、攻勢外交から防勢外交への転換点を象徴している。

さらに驚くのは、今回の交渉で、エンティティリストという国家安全保障上の理由で特定の外国企業に対してアメリカの先端技術を輸出・販売できないようにする安全保障措置の中国企業への適用拡大を1年間停止したことである。これまでこの制度は「安全保障目的」であり、貿易交渉の“取引材料”にはしないのが原則だった。中国の強固な交渉戦略を招き、アメリカが安全保障を貿易交渉の取引の対象にした前例を作ってしまったとの批判も出ている。

ワシントンは、もはや「変化を起こす」ためではなく、「失点を減らす」ために、さらには「失点を重ねている」ように動いているように見える。それは、ディールで未来を作る国から、ディールで時間を買う国への転落だった。

■トランプ外交が示した「覇権の形の転換」

関税戦争も、核発言も、トランプ外交における“演出の双子”である。関税は経済の武器、核は軍事の武器。どちらも「強さの再現」を狙ったが、結果はどちらも「構造の喪失」だった。

関税で中国を屈服させられず、核発言でも中国のサプライチェーン抑止には届かない。経済的敗北を軍事で補おうとする姿勢は、覇権国家がしばしば陥る“過剛則折”の典型である。

ハードパワーを誇示すればするほど、ソフトパワーと信頼は失われていく。

だが、アメリカの時代は終わっていない。終わったのは、「攻めることで覇権を保つ」という旧時代の論理だ。いま求められているのは、構造を再設計する知の覇権である。

もはや経済力の単独優位は望めない。だが、ルール・規格・制度・技術・同盟――これらを束ね、世界の構造をデザインする力を取り戻すことはできる。

攻勢の終わりは、構造の始まり。そして防勢とは、構造を守りながら流れを作る「静の攻勢」である。

トランプ外交が示したのは、覇権の衰退ではなく、覇権の形の転換である。

■防勢の時代に必要なのは「構造戦略」

トランプ外交の本質は、強さを誇示しながら構造を失ったアメリカの鏡像である。アメリカが再び勢いを取り戻すために必要なのは、「力を使う戦略」ではなく、「構造を作る戦略」である。

すなわち、

同盟によるサプライチェーン再設計(小畜・大畜の発想)
経済制裁から規範形成への転換(謀を伐つの実践)
ハードパワーから構造抑止への移行(易の革・鼎の段階)

この三点こそ、アメリカが“防勢の時代”を乗り越える唯一の鍵である。

アメリカは今、世界を動かす力を失ったのではない。世界を動かす“やり方”を変えなければならない時に来ているのだ。

トランプ政権が仕掛けた関税戦争は、表面上は“攻勢”に見えた。「アメリカ・ファースト」の旗印のもと、関税・制裁・サプライチェーンの再編を矢継ぎ早に打ち出し、かつての覇権国家の自信を誇示した。

だが、2025年の今、その実態は“防勢の外交”として終着しつつある。経済で中国を変えられず、軍事・技術という「硬い力」にしがみつく構造――それがアメリカの現実のように見える。

※注:「小畜(しょうちく)」「大畜(たいちく)」は、易経六十四卦の中でも“力をためる”ことを教える二つの卦(か)。「同盟によるサプライチェーン再設計(小畜・大畜の発想)」とは、単なる“デカップリング(分断)”や“サプライチェーンの再構築”ではなく、易経の「小畜」「大畜」に基づいた“蓄勢(ちくせい)型戦略”としての同盟経済設計を意味する。

■孫子の兵法で「関税戦争」を読み解く

サプライチェーンとAIという見えない戦場で、孫子の兵法は再び蘇った。これは何を意味しているのか。

孫子の兵法原典竹簡巻物の複製版(写真=Popolon/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

トランプの関税戦争は、表面的には“攻撃”に見えた。だが孫子の兵法で言えば、それは「形(かた)を攻めて勢(せい)を見失う」行為である。兵法の核心は、敵の力を真正面から叩くことではなく、敵の構造を崩すことにある。

「上兵は謀を伐ち、その次は交を伐ち、その次は兵を伐ち、その下は城を攻む」(孫子・謀攻篇)

孫子は、戦争を「謀(戦略)」→「交(外交)」→「兵(軍事)」→「城(物理戦)」の順に分類した。

最上の戦いは戦わないこと、すなわち敵の戦略を崩すことである。現代の米中対立をこの原理で読み解くと、中国は上兵、アメリカは下兵となる。上兵は戦わずして勝つ知略の戦い、下兵は力任せに戦って疲弊する戦いだ。

■「次の覇権」を握る国の条件

▼「謀を伐つ」中国の戦略――構造で制す

中国の戦略は、孫子の言う「謀を伐つ(敵の戦略そのものを無効化する)」に該当する。関税・輸出規制・デカップリングといったアメリカの「攻め」を、中国は構造の入れ替えで受け流した。

・レアアース支配:資源の“戦略的関節”を握る
・製造モデルの転換:完成品から部品支配へ
・国家資本主義+民間ネットワークの融合
・サプライチェーンと技術基盤を不可分化し、代替不能な構造を築く

こうして中国は、アメリカが自国の運命を決定できないまま、やりたいことをする自由を最大化するという戦略的目標を達成しつつある。

これはまさに、「戦わずして敵を制する」孫子の実践である。アメリカが核実験を示唆しようとも、関税を上げようとも、中国の“サプライチェーンの静的抑止力”の前では、軍事的威嚇は空を切る。

▼「兵を伐つ」アメリカの戦略――力で攻めて構造で負ける

一方、アメリカの戦い方は「兵を伐つ」、すなわち直接的な攻撃である。関税、制裁、制限、同盟包囲――いずれも可視的な手段。孫子の基準で言えば、「城を攻む」に近い最下層の戦法だ。

アメリカは敵の形を攻め、敵の心を読まなかった。トランプ政権が「中国は輸出依存で脆い」と判断したとき、すでに中国は内需と国家補助金、そして部品供給の支配で、“相互依存の逆利用”という戦略構造を完成させていたのだろう。

孫子は言う。

「勝兵は先ず勝ちて而して戦いを求む。敗兵は先ず戦いて而して勝ちを求む」

中国は戦う前に勝ち、アメリカは戦いながら勝ちを探している。勝者の構造とは、戦場の外で作られるものだ。

▼「勢」を読む者が未来を制す

孫子の思想において、「勢(せい)」は最も重要な概念である。勢とは、時と流れの力――つまり、時代の潮流を読む力と、その流れに自国を乗せる能力を指す。

現在の世界において、勢はどこにあるか。

・グローバルサプライチェーンの再編
・資源とエネルギーの再定義
・AI・量子・再生可能エネルギーの台頭
・同盟ネットワークの再構築

これらの“流れ”を味方につける国が、次の覇権を握る。アメリカが取るべきは、もはや関税でも軍備でもなく、勢を作り、構造を整えることである。

つまり、孫子が言う「形を以て勢を制す」ではなく、「勢を以て形を導く」戦略へと転換しなければならない。

■孫子が2500年前に予言したこと

孫子はこうも言う。

「百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」

アメリカは勝利を積み上げてきたことを誇る国だ。だが、いま必要なのは“勝ち続けること”ではなく、“負けない構造”である。

覇権の時代から、構造の時代へ。

戦争の勝敗ではなく、依存と独立の構造をどう設計するかが問われている。

戦略的防勢とは、軍縮でも孤立でもない。それは、敵に攻めさせて勢を奪う「静の攻勢」である。レアアース、AI、再生可能エネルギー、データ基盤。これらを制度と同盟で包み込むことが、「戦わずして勝つ」現代版孫子の戦い方だ。

トランプ外交の失敗とは、孫子の言葉を借りれば「形を攻めて勢を失った」ことに尽きる。

経済・関税・核発言――いずれも可視的な“形”を動かそうとする行為だった。だが真の覇権とは、形ではなく「勢」、すなわち構造の流れを支配することである。

孫子の兵法を現代に訳せば、アメリカが再び勝つ条件はこうなる。

「謀」:経済から制度への戦略転換
「勢」:AI・資源・気候・価値連合という新しい流れの創出
「静」:戦わずして抑止する構造の構築

アメリカがこれを体得したとき、初めて「戦略的防勢」は「構造的攻勢」へと転化する。それこそが、孫子が2500年前に予言した「戦わずして勝つ」道である。

■「泰」から「否」への世界的転換

かつて世界は「泰(たい)」の卦の時代にあった。天地が交わり、上と下が通じ、交易と情報がめぐり、世界が通じ合う繁栄の時代――それがグローバル化であり、WTO体制であり、いわば“通じる世界”である。

だがいま、易の流れは明確に「否(ひ)」へと転じた。天地交わらず、上と下が通ぜず――。アメリカと中国が互いに遮断し、経済も技術も情報も“断絶の構造”に入った。

「否」:天地不交、上下不通。君子以て徳を積み、小人を退く。
(天地が交わらず通じない時、君子は内に徳を積み、時を待つべし)

つまり、世界が通じない時代は、外を責めず内を整えるべき時である。この原理こそ、今日の米中の姿を最も深く照らしている。

■覇権の衰退ではなく、「剛」の過剰

▼米国:乾為天(けんいてん)の「亢龍有悔」

アメリカは、易で言えば「乾(けん)」=天の卦である。乾は「剛健・創造・主導」の象徴であり、冷戦後のアメリカそのものだ。

だが、乾が極まるとこうなる。

「乾・上九:亢龍有悔(こうりゅうにくいあり)」――高ぶる龍は悔いあり。

トランプ外交はまさにこの局面にあった。関税、制裁、核実験示唆。すべては「剛」の極致であり、過剛則折(かごうそくせつ)――強すぎて折れる。アメリカは、陽が極まって陰に転じる「老陽」の状態にある。

剛に傾いた龍は、視野を失う。相手の構造を読む柔らかさを失い、自己の力を信じすぎて流れを見誤る。トランプ外交が象徴したのは、覇権の衰退ではなく、剛の過剰だった。

2025年10月30日、韓国・釜山で米国のドナルド・トランプ大統領が中国共産党の習近平国家主席と二国間会談に参加(写真=ホワイトハウス/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

▼中国:坤為地(こんいち)の「小畜(しょうちく)」

対照的に、中国は「坤(こん)」=地の卦である。地は「柔順・受容・蓄勢」。長年、外資と技術を受け入れ、地のように“下に潜って力を貯める”時代を生きてきた。

そしていま、中国は坤の満ちた後、「小畜(しょうちく)」の段階に入っている。

「小畜:雲は天にありて、雨未だ降らず」――雲が天に満ち、雨を降らす力を秘めながら、まだ放たぬ時。

この「雨未だ降らず」の構造こそ、今の習近平体制の真骨頂だ。AI、半導体、宇宙、量子、レアアース――あらゆる分野で「雲」を満たしながら、まだ本格的な“雨(行動)”を降らせない。それは焦らず、時を待つ柔の戦略。剛を持たずして、剛を制する道である。

▼乾と坤、交わらず――「否」の卦が意味するもの

乾(天)と坤(地)は、易の原点であり、陰陽の象徴である。それが交わらない状態が「否」。天地不交とは、覇権国家同士の対話が成立しない状況を示す。

しかし、否は滅びではない。否の次にくるのは「同人(どうじん)」である。同人とは、「志を同じくする者が火のように上に昇る」卦――共通の理念と価値で再び通じる時代を意味する。

つまり、否の時は滅びの前兆ではなく、再生の前夜である。アメリカが剛を和らげ、中国が柔を開く時、再び天地は交わり、「泰(たい)」の世に戻る。

■覇権の時代から、構造と徳の時代へ

▼米国が進むべき卦:「謙」「革」「鼎」「大有」

アメリカが再び勢を取り戻すために通るべき卦は、「謙(けん)」「革(かく)」「鼎(てい)」「大有(たいゆう)」の四段階である(図表2)。

この四卦の流れこそ、易経が説く「剛から柔への再構築プロセス」である。覇権を維持するのではなく、覇権の形を変えること。それが、乾の「悔い」を超える唯一の道だ。

「泰」から「否」へ――世界は通じる時代から断絶の時代へ。だが、否の後には必ず「同人」と「大有」が来る。

アメリカが乾の剛を柔に変え、中国が坤の受容を開かれた“風”に変える時、再び天地は交わり、世界は「泰」に戻る。

そのとき新しい覇権を握るのは、もはや「力の国」ではなく、「信頼の国」である。

易経はこう告げる。

「天行健なり、君子は以て自強不息なり」
「地勢坤なり、君子は以て厚徳を載す」

天のごとく強く、地のごとく厚く――。剛と柔を両立させた国こそ、次の覇権を手にする。いまアメリカに求められているのは、力の再演ではなく、徳の再構築である。徳とは、制度と信頼の透明性のことであり、それは21世紀の温故知新的な覇権通貨となるはずだ。

■孫子と易経が示す「静の戦い」

孫子は「戦わずして人の兵を屈する」を理想とし、易経は「否の時には内を修めて徳を積む」と説いた。この二つを合わせて現代に翻訳すれば、「戦いは戦場でなく、構造の中で決する」ということになる。

経済で敗れ、軍事で威圧し、それでも勝てない。――このループから抜け出すために、アメリカが取るべきは“静の攻勢”である。それは、声を荒げずに相手の行動を制約し、武力ではなく構造で主導権を握る戦い方である。

第一段階:「内を修める」――謙・觀・節・需

易経の「否」のとき、君子は外で争わず、内を整える。トランプ外交で生じた最も大きな損失は、「外への過剛」よりも、「内の不均衡」だった。

? 謙(けん):力の引き算。
国内分断を癒し、連邦と産業を再接続する。政治的二極化は、国家戦略を最も弱体化させる。→政治的透明性、サプライチェーンの公的資金管理の徹底。

? 觀(かん):まず観る。
どこが本当に脆弱なのかを測る。鉱物、精製、輸送、AIインフラの国家脆弱性診断を可視化する。

? 節(せつ):過剰制裁を減らす。
中国封じ込めではなく、“精密封じ込め”(点で刺す)に切り替える。広すぎる規制は同盟国も巻き込み、信頼を失う。

? 需(じゅ):時を待つ。
即効性を求めず、構造投資に集中する。安易な関税拡大ではなく、同盟国の供給基盤が整うまで待つ胆力。

■米国が本領を発揮するには…

第二段階:「勢を養い、同志を束ねる」――小畜・大畜・同人

アメリカが本領を発揮するのは、“個の力”ではなく、“ネットワークの力”である。冷戦の勝因も、単独の優位ではなく、同盟の統合的勢(せい)にあった。

▼小畜・大畜(しょうちく・たいちく):静かに力を貯める。
豪州・日本・カナダ・ASEANとの精製・鉱物共同投資を加速。
資源ではなく、精製工程こそ覇権のボトルネック。

▼同人(どうじん):志を同じくする仲間と立つ。
QUAD・AUKUSを「安全保障」から「サプライチェーン同盟」へ。
資源・規格・金融を一体運用する“同盟経済圏”を構築する。

同人の卦曰く、「同人野に在り、咎なし」――野(グローバル市場)で志を同じくする者は、敵ではなく同志である。

アメリカが“孤独な覇権”から“協調的構造覇権”へ転じたとき、初めて「戦わずして勝つ」条件が整う。

第三段階:「構造を変える」――革・鼎・泰復

アメリカが次に目指すべきは、単なる修復ではなく構造そのものの刷新(革)だ。

易経は言う。

「革は天命を順うなり。天地革りて四時成る」

変化は偶然ではなく、天(時代)の理法に従う必然である。革新とは、天の流れ(時代の必然)に従って起こる変化である。天地が変わることで四季がめぐるように、変化こそが秩序を生む。すなわち、時代が変われば構造も変えねばならない。アメリカはかつて「力の覇権」で世界を動かした。だが今や、天命(時代の理法)は「構造と信頼の覇権」に移っている。

? 革(かく):
旧来のドル基軸・関税・補助金モデルを刷新。
国家資本主義ではなく、“民主的産業戦略”という新しい形を設計する。

? 鼎(てい):
新しい構造を支える「器」をつくる。
AI・量子・再生エネルギー・教育投資の国民的インフラファンドを創設。
覇権とは、技術そのものではなく、社会がその技術を支える制度の器に宿る。

?泰復(たいふく):
断絶のあとに再び通じる「泰」へ。
アメリカが覇権を取り戻すのは、中国を打倒するときではない。
世界をもう一度通じさせる器をつくったときだ。

■必要なのは、軍事でも経済でもない

第四段階:「徳を積み、信を築く」――大有(たいゆう)

易経が最終的に到達する卦は「大有」である。

「火天大有。君子以て悪を抑え、徳を揚ぐ」――大きく持てる者は、力ではなく徳によって治める。

「火天大有」とは、火(離)が天(乾)の上にある状態を指し、光が天を照らし、万物を明らかにする――つまり豊かさと支配の完成形を象徴する。しかし易経はここで、「大きく持つ者(大有)は力ではなく徳によって治めよ」と諭しているのだ。

トランプ外交が失ったのは、まさにこの“徳”である。同盟国への信頼、国際社会からの尊敬、制度の透明性――これらを回復しない限り、どれほどの軍事力を積んでも覇権は空洞化する。

「大有」とは、所有ではなく共有の覇権。それは、力で支配する覇権から、信頼で包み込む覇権への転換を意味する。アメリカが再び世界の中心に立つためには、軍事でも経済でもなく、“徳の戦略”が必要だ。

■戦略的防勢から「構造的攻勢」へ

アメリカが次に進むべき戦略は、もはや「攻める」ことではない。

否の時は内を修め、同人で器を作り、革と鼎で構造を変え、大有で徳を積む。

これが、易経が示すアメリカ再生の方程式である。

トランプ外交は、力を示して折れた“亢龍”の時代だった。次の時代は、力を蓄え、時を見極め、構造を変える“謙龍”の時代である。

トランプ外交が失ったものは力ではなく、“構造を設計する知”である。

戦わずして勝つ国。それは、相手を屈服させる国ではなく、世界を再び通じさせる国のことだ。そしてアメリカしか資格要件をもつ国はないのだ。

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田中 道昭(たなか・みちあき)
日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント
専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。
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(日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント 田中 道昭)