先週、国立競技場で行われた代表メンバー発表記者会見。森保監督の傍らに座る山本昌邦ナショナルチームダイレクターを見て、技術委員長の役割に改めて疑問を覚えるのだった。

 その昔、田嶋幸三会長は強化委員会の一員で、加茂周日本代表監督の続投に反対の立場をとっていた。1995年末の話だが、加藤久氏を委員長とする強化委員会は新監督にネルシーニョ(現柏レイソル監督)を推すことで合意していた。あとは正式な会見が開かれるのを待つのみだった。
 
 協会の当時の規定には強化委員会の役割として、日本代表監督を評価する立場にあることが明記されていた。にもかかわらずだ。ネルシーニョ案は土壇場で反故にされた。時の会長、長沼健氏の鶴の一声で、それはないものとされ、加茂監督の続投が決まった。
 
 強化委員会はその後、技術委員会に名称を変え現在に至っているが、会見場のひな壇に森保監督と共に座る山本ナショナルチームダイレクターの姿を目にすると28年前が蘇るのだった。

 昨年12月28日に行われた森保監督続投記者会見で、同監督の傍らに座っていたのは反町康治技術委員長だった。その職に就いたのは3年前。2020年3月である。だがその時、技術委員長の椅子に座っていた関塚隆氏が、退任に追い込まれたわけではなかった。代表チームを専門に見るナショナルチームダイレクターという新たに設けられたポストに横滑りしたからだ。年代別チームの強化、指導者の育成等を担当するのが技術委員長で、代表チームのみを担当するのがナショナルチームダイレクターと色分けされた。

 つまりこれを機に、技術委員長は代表チームに口を挟みにくくなった。ところが関塚氏は、2020年11月、ナショナルチームダイレクターを退任する。理由は定かではない。だがそれ以上に不可解に映ったのは、関塚氏の退任とともにナショナルチームダイレクターなるポジションが消滅したことだ。わずか8ヶ月足らずで、技術委員長(反町氏)が従来通り、代表チームも担当することになった。

 反町氏にどこまで発言力があったのか定かではないが、代表監督の働きをチェックする1番の人物であることに変わりはなかった。昨年12月28日に行われた続投会見では、森保監督と2時間膝を付け合わせて話しあったことを自ら自ら口にしていた。影響力を持つ人物であることを間接的にアピールしていた。

 そのタイミングで、山本ナショナルチームダイレクターが誕生した。反町氏は主に年代別チームの強化、指導者の育成を担当する半分裏方的な技術委員長に成り下がってしまった。技術委員長であるにもかかわらず、代表監督の働きぶりをチェックする人物ではなくなった。

 技術委員長として最近で1番頑張ったのは2009年に就任した原博実氏だろう。「攻撃的サッカー」を看板に掲げ、アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァヒド・ハリルホジッチの3人を招聘した。その後、専務理事に昇進したため後任の技術委員長には霜田正浩氏が就任したが、原、霜田はコンビとして機能していた。

 しかし原は2016年会長選挙に立候補して田嶋に敗れると失脚。代表強化担当の立場からも外れた。霜田も技術委員長を辞任に追い込まれた。田嶋会長の下でまず技術委員長に就いたのは西野朗氏で、ロシアW杯直前にハリルホジッチが解任されると、今度はその後任として代表監督の座に就いた。

 もっとも西野が技術委員長として、ハリルホジッチの解任にどこまで関与したかは不明である。西野が代表監督に就任すると同時に技術委員長の座に就いたのは関塚隆氏だった。彼はロシアW杯を経て、森保一監督が代表監督に就任しても、継続して技術委員長の座に就いた。