日本のサッカー界には、依然として浸透していない常識がある。かつて筆者は欧州で監督、指導者、評論家などこの道のオーソリティから様々なレクチャーを受けた。それ以前も国内で監督等と接してきただけに、絶対聞くことができない話が、欧州では普通に語られているという事実に驚愕した。

 欧州に出向き専門家を訪ね、話をうかがうことは、そこで一流のサッカーを観戦することと同じぐらい楽しい時間だった。現地でサッカーを見て、話を聞く。この作業をくり返していると、多くの発見に遭遇することが出来た。カルチャーショックとはまさにこのことで、当時の筆者は、本場にやってきたお上りさんのごとく、異文化を満喫しながら取材活動に励んだものだ。

 頻繁に往復し始めたのは30年ほど前の話だが、以降、日本と欧州との間に潜む差は、少しずつ確実に埋まっていった。こちらはその進化の過程を確認することも出来た。差を埋めるための原稿もせっせと書いてきたつもりだ。

 布陣はその代表的なものになる。当初はサッカーゲームとの関係性を訴えても「サッカーは布陣でするものではない」と、拒否反応を示すような反論も多く聞かれた。ネットの普及にとともに、そこに溢れる断片情報に対して、悪く言えば盲目的に飛びつこうとする人も現れた。今日まで紆余曲折をくり返しながら、まずまずのレベルまで漕ぎつけたという印象だ。

 しかしすべてのギャップが埋まったわけではない。漏れは確実に存在する。ひとつ挙げるとするならば、ポジションをカバーする概念だ。

「試合が始まれば、選手は流動的に動くので布陣は変わる。プレーするのは選手ですから」

 さらりとこう述べる、選手の流動的な動きに対して、問題意識を持ちあわせていないテレビ解説者は普通にいた。ジーコが常々、口にした「自由な動き」も、それを後押しする言葉になっていた。

 2010年南アフリカW杯を目指した岡田ジャパンは、その典型的なチームだった。任期の半ばから布陣こそ、欧州で流行っていた4-2-3-1を使用したが、アタッカーの4人の動きはそれこそ自由で流動的だった。

 岡田さんだけが時代から遅れていたわけではないところが、この話のポイントだ。その流動的な動き、自由な動きに苦言を呈すテレビ解説者、評論家は誰もいなかった。日本の指導者の間で、それが問題意識として共有されていないことが、その瞬間、明らかになったというわけである。

 もっとも、4-2-3-1の3の右を任されたはずなのに8割方、真ん中でプレーした中村俊輔は、南アフリカW杯本大会ではわずか1試合の出場に終わった。ポジションをカバーする概念について、岡田監督は最後の段になって気がついた。日本のベスト16進出とそれは密接な関係にある。

 プレッシングを語る時に外せない考え方である。ピッチに穴を作っては、プレスは有効に掛からないのである。

 だが、続くザッケローニはダメだった。攻撃的サッカーを標榜する監督として招かれたが、4-2-3-1の3の左を任せたはずの香川真司が、真ん中に入ることを放任した。そしてそれがブラジルW杯初戦の対コートジボワール戦で逆転負けを食らう直接的な原因になった。

 ザッケローニの招聘に尽力し、その時、協会の専務理事職に就いていた原博実氏は大会後に行ったこちらのインタビューで、「日本の左サイドの特殊事情(香川の動き)について、相手に知られていた可能性がある」と、ぽつりと呟くように答えている。原サンは後悔していた。つまり戦前からそこに問題認識を持っていたと考えるのが自然だ。

 自らが招聘した監督になぜ、進言できなかったのかとの疑念は湧く。協会の要職に就きながら、代表監督に意見することが出来ない姿に、両者の力関係を見る気がする。