ものまねタレント・コロッケが明かす「新型コロナがなかったら、コロッケ店は出さなかった」

コロッケ(2020年撮影)
「コロナ禍の状況で、町おこし、村おこしの一環になれば」
2月16日、東京・新小岩にオープンした「コロッケのころっ家」の事業説明会でこう話していた、ものまねタレントのコロッケ(60)。今回「SmartFLASH」は、新型コロナ禍での新事業立ち上げに込めた思いを聞いた――。
「前々から『コロッケ店を出しませんか?』という話はあったし、じつは、以前にもコロッケ店はやったことがあるんです。2015年12月に浅草に『滝川コロッケ本舗』という店を出しました。
ですが、わかりにくい場所にあって、店自体も所属事務所の社長に任せきり。自分は名前(本名・滝川広志)を貸しているだけのような状態でした。経営は、うまくいきませんでした。自分で味を確かめる、といったことを疎かにしていたことを、僕の中で反省点にしていたんです」
今回は、40年来の親交がある人物と、新会社「株式会社コロッケエンターテイメントフーズ」を立ち上げた。肝心の商品の味についても、「特製 和牛ビーフコロッケ」(税込み150円)だけでなく、小松菜とお揚げなどを使った「新小岩コロッケ」(税込み180円)など、一つ一つをみずからが監修しているという。
記者も「特製 和牛ビーフコロッケ」と「特製 和牛入りジューシーメンチカツ」(税込み290円)を食べたが、油が重すぎず、それでいて食べごたえがあって美味しかった。
新小岩に1号店をオープンした「コロッケのころっ家」はテイクアウト専門店。新型コロナ禍で初期費用、固定費を抑えられるように考えたという。そして、全国的には知名度がそこまで高くない新小岩への出店も、地域との結びつきが強い商店街の中に出店できるという立地条件から選んだ。
コロッケ本人も今回の事業は、「これまで、飲食店で失敗した反省点を思いっきり詰め込んでいます」と話す。
「2016年1月に麻布十番で『CROKET MIMIC TOKYO』というショーパブを開店したときは、出店したテナントがあまりにいい場所で、賃料が高くて大変でした。
それに『お客さんにモノマネをゆっくり見てもらおう』と思い、席数を少なくしたのも裏目に出ました。団体の予約もいただいたんですが、そうすると団体客だけで席が埋まってしまって。『コロッケの店は予約が取れないらしい』というふうに思われて、客足が遠のいてしまいました」

オープンした「ころっ家」の店頭に立つコロッケ
ショーパブは、2019年1月に一度閉店し、同年6月に六本木に移転した。
「このまま続けても厳しいと思ったので、麻布十番に固執せず、規模を縮小しようと思ったんです。移転の会見でも、変に詮索されたくないので、『赤字でした』と白状しましたよ(笑)。
ショーパブは『後輩のモノマネ芸人が働ける場所を作りたい』という思いがあって作ったんです。でも六本木に移転して、予約も入り始めたというときに新型コロナ禍に遭い、その思いを叶えるのも難しくなってしまいましたね」
この一年、エンタメ業界は大きな被害を受けた。コロッケ自身も50本近く予定されていたコンサートのうち、実現したのは4本だけだったという。そんななかで、新規事業を立ち上げた。
「コロナ禍になって、少ないながらもコンサートを開いているうちに、『何か新しいことをやらないと、生活が成り立たない』という話を、いろんな人から聞いたのが大きな理由でした。
今回、新小岩にオープンしたのは “1号店”。フランチャイズ展開して事業者を募集するつもりです。僕たちからも援助をしつつ、コロナ禍で職を探している人とか、別の仕事をやらなきゃならなくなった人に事業をおこなってほしいんですね。
だから、コロナ禍じゃなかったら『コロッケ店をやる』という決断はしてなかったと思いますし、責任を持たなきゃならないということで会社を作り、自分も役員に入ることにしました」
じつは、ここまでの覚悟で飲食事業をおこなうコロッケの想いには、ある “ルーツ” が関係している。
「僕の祖父は、故郷・熊本で初めてのパン屋『滝川パン』(戦争で焼失し、2014年にコロッケも関わり復活)を作った人だったんです。戦前には工場があって、従業員も80人ほどいた県内一のパン屋でした。
僕は最初は芸能界からだけど、『お客さんに喜んでいただきたい』という部分は、祖父から受け継いでいると思います」
新小岩の店も、「商店街に溶け込んで、地域を盛り上げる店になれたら嬉しい」とコロッケは言う。自身のモノマネ同様、長く地元に愛される店になってほしい。
