漫画『美少女戦士セーラームーン』には、麻布十番の街並みが度々登場する。この街が“月野うさぎ”を生んだとも言えるその訳を、連載開始前からの担当編集者に聞いてみた!




港区の下町といえる独特の土地柄が物語を生んだ

1991年から1997年まで、少女漫画雑誌『なかよし』に連載され、その後、アニメやミュージカル、実写版なども展開、現在も絶大な人気を誇る『美少女戦士セーラームーン』。

幼少期に慣れ親しんだという20代後半〜30代前半の女性も多いだろう。



昼はドジで泣き虫な中学2年生、月野うさぎ(連載開始時)。夜はセーラー服美少女戦士「セーラームーン」に変身して、街を襲う妖魔と戦う。決め台詞は「月にかわっておしおきよ」


熱心なファンにとっては周知の事実だが、この作品にはキミちゃん像や氷川神社、仙台坂など、おなじみの麻布十番の風景がたびたび登場する。

その訳を連載開始前からの担当編集者であった小佐野文雄氏に直撃したところ、ズバリ、作者である武内直子先生がかつて住んでいたというのが一番の理由らしい。



火野レイが通う『T.A女学院』は、鳥居坂にある某お嬢様学校がモデル。読者の憧れの対象となるには必要な設定だった


当時は大江戸線も南北線も開通しておらず、麻布十番は言うなれば、忘れられた“陸の孤島”。先生との打ち合わせに出向くのにも手間がかかる土地だったという。

しかし、昔ながらの商店街や学校、神社、公園など、其処此処にありふれた生活感が残っていたからこそ、中学生の月野うさぎのライフスタイルともリンクし、ストーリー展開がしやすかったのだ。



うさぎが変身する前にたびたび登場する麻布十番の風景。商店街には、今はなきゲームセンター『クラウン』が描かれている


そして結果的に、麻布十番に生まれ育った女子学生ならではの洗練されたセレブ感と、現在は『マクドナルド』がある場所にあったゲームセンター『クラウン』に度々集まったりする庶民らしい感覚の、絶妙なバランス感をもったセーラー戦士たちは、読者である小学生女子たちの羨望の的となった。

同時にセーラームーン人気は、子どもたちだけでなく、“大きいお友だち”と呼ばれるいわゆるオタク男性たちにも拡大。連載開始の翌年ぐらいから彼らが麻布十番に押し寄せるようになった。

今でこそ珍しくなくなった、漫画や映画の舞台となった土地をめぐる“聖地巡礼”の走りとなったのも、実在の街と作品が忠実にリンクしていたからこそだ。


「タキシード仮面」のモデルは、麻布十番の夜の街にいた!



ディスコの黒服がモデルだったという、セーラー戦士をサポートする「タキシード仮面」。正体は、うさぎの運命の恋の相手、地場 衛


また、昼は普通の中学生が夜に美少女戦士セーラームーンに変身して戦うという設定上、当初から夜のイメージの強い作品だったということも、夜の街・六本木にほど近い麻布十番と無関係ではないと小佐野氏は言う。

バブル時代から、そのクローズドな土地柄を生かして隠れ家的な飲食店が増え、六本木のディスコから麻布十番へ、という人の流れができた。そのうち麻布十番にもディスコができ、商店街で黒服の男性たちが闊歩する姿が頻繁に見られるようになった。

ちなみに、うさぎの運命の恋の相手・地場 衛が変身するタキシード仮面は、黒服にインスパイアされて生まれたという衝撃の事実も発覚!



セーラームーンの仲間のひとり、セーラーマーズの火野レイが巫女を務める『火川神社』は、仙台坂上手前にある氷川神社をもじったもの


以上の点から、やはり麻布十番という街以外では、『美少女戦士セーラームーン』という作品は成立しなかったと言える。

武内先生が連載を始めたのは、ちょうど20代後半の頃。幼かったファンたちが、当時の先生と同世代の女性となって麻布十番を訪れれば、この街が憧れの作品の舞台になった理由に納得できるはずだ。




月野うさぎは大人になっても、
麻布十番から離れなかった!?


セーラー戦士たちが大人になったら、という仮定で物語が展開するスピンオフ漫画『ぱられるせぇらぁむ〜ん』では、うさぎは地場 衛と結婚し、ふたりの子を持つ母親として描かれる。明言されていないが、家はきっと麻布十番にあるはず。

Text/Maya Imagawa,Special Thanks to Kodansha