長崎300年の歴史が刻む味!「カステラが歩いた道」
カステラと言えば長崎!? 長崎と言えばカステラ!? こんなにも地名と結びついた「甘いもの」はほかにないだろう。ポルトガルから日本に伝わって以来、愛され続けている飾り気のない和菓子。今も一枚一枚職人が手で焼くという老舗「松翁軒(しょうおうけん)」でその伝統を知り、魅力を味わう。
■平たく硬い姿で日本にやって来た
世の中に「カステラ」というお菓子が存在するということを教えてくれたのは、『ぐりとぐら』だった。幼い頃、わたしは毎日のようにこの絵本のページをめくっては、ゴクリと唾を飲み込んでいた。だから今でもカステラを口にするときは、あの頃の懐かしい気持ちが甦るのだ。
日本にカステラが伝わったのは、室町時代の終わり頃、交易を求めて長崎港へとやって来たポルトガル人によってもたらされたという。その頃の名は「カスティーリャ」。カスティーリャとは当時スペインにあった王国の名前で、カスティーリャ王国のパンとして紹介された。ただし、当時のカスティーリャは、今わたしたちが口にしているカステラとは、趣の異なるものだった。
カスティーリャからカステラへと進化してきた歩みを知ろうと、カステラ発祥の地、長崎へ飛んだ。
カステラの老舗「松翁軒」の初代・山口屋貞助が本大工町で店を始めたのは、江戸中期の天和元(1681)年。長崎にカスティーリャの製法が伝えられてから、およそ百年後のことである。
創業当時は、どんなカステラだったのだろうか。松翁軒の十一代目となった山口喜三(きぞう)さんに話を伺う。
まず、材料が今ほど豊富ではなかったので、当時は、卵と砂糖と小麦粉のみでつくられていた。どれも大変貴重な物で、手に入れるだけでも難しかったという。
「出島に出入りする遊女に頼んで、砂糖を入手していたという逸話が残っています」と喜三さん。鎖国していた当時、出島への出入りが制限される中、遊女たちはある程度、自由に中に入ることが許されていた。そこで、遊女はお金を受け取る代わりに砂糖をもらい、松翁軒ではそれを譲ってもらっていたらしいのだ。
しかも、機械式のオーブンもなければ、ミキサーもない。すり鉢とすりこ木を使って混ぜた生地を、炭で温めた鉄の窯で焼いていたので、当時のカステラは、平べったくて硬いビスケットのようなお菓子だったらしい。
カステラが、今のカステラの姿へと一気に近づいたのは、材料に水飴が加わるようになった明治から大正の頃。水飴が入ることで柔らかくてきめの細かい生地となり、わたしたちがイメージする、いわゆるカステラの味になった。
現在つくられているカステラの材料は、卵、砂糖、小麦粉、水飴。これら4つの配合や生地の合わせ方、焼き方により、あの、ふわふわ、しっとりのカステラが生まれる。カステラは、本当にシンプルなお菓子なのだ。バターなどの乳製品は入らないし、ベーキングパウダーも使わない。だから、カステラはれっきとした和菓子である。
そのカステラを、松翁軒では今でも一枚一枚、職人さんが手で焼いている。機械化をすれば、もっと効率よく、大量生産できるかもしれない。けれど、それでは味が落ちる。カステラは材料がシンプルな分、繊細で、ちょっとした気温や湿度の変化にも敏感に反応するのだ。だから職人さんたちは、その日のお天気を見ながら、日々、焼き時間や温度を微調整している。職人さんが自らの感覚のすべてを総動員して丹念につくったカステラでなければ、納得のいく味が生み出せない。
長崎市郊外にある工場では、十数人の職人さんたちが、みな、黙々とカステラを焼いていた。緊張感が漲(みなぎ)っている。彼らは、分業ではなく、材料の計測から焼き上げるまでの作業を、一人ずつつきっ切りで行なう。それぞれが自分のカステラに責任をもって仕事をするためだ。ゆえに道具も窯も、自分専用の物を使っている。
まずは、雲仙島原から毎日届く新鮮な卵に、上白糖と水飴、ざらめを混ぜる。ざらめを入れると焼きにくくなるが、糖度が高い分、口に入れたときに余韻が残るそうだ。
粉を混ぜる作業も、当然ながら手作業だった。カステラは、卵白のコシの強さだけでふっくらさせるから、この作業にも手が抜けない。ただし、小麦粉にはグルテンが含まれるため、混ぜすぎてもいけない。職人さんが自らの感覚だけを頼りに混ぜていく。生地が完成したら、和紙を敷いた木枠の中へ流し入れ、窯の中へ。
カステラづくりは、ここからが正念場である。途中、泡切りという手間を加えることで、表面と中心の温度が均一になり、余分な泡が消え、きめの細かなカステラが出来上がる。カステラの良し悪しの七割は、この泡切りの作業で決まると言われている。
そのため職人さんたちは、常にカステラのことだけに集中する。イライラしたり、ましてや夫婦喧嘩をした後では、正しい判断ができない。「無理をすれば必ず無理が出る」という、この道23年の工場長、岡部義孝さんの言葉が印象的だった。
工場には、続々とカステラが焼き上がっていた。ほんのりと甘い香りが漂い、今にもかぶりつきたいような衝動を抑えるのに苦労した。焼き上がったときは6cmほどの高さが、一晩休ませることで5.6〜5.7cmになる。表面が艶やかに光り、断面が黄色くてきめの細かいカステラが理想だという。
本店の2階にある喫茶室「セヴィリヤ」で、カステラをいただく。カステラは、見ているだけで幸せな気持ちになる。きっとそこには、カステラを取り巻くすべての人たちの、平和への祈りが込められているからかもしれない。長崎のカステラには、その思いを強く感じずにはいられなかった。
かつて、洋菓子として日本に上陸したカステラは、およそ4世紀の時を経て、和菓子としてわたしたちの暮らしに根を下ろした。少しずつ変化を遂げて今のカステラが出来上がったように、これからもきっと、美しく進化し続けることだろう。
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長崎県長崎市魚の町3-19/TEL 095-822-0410/営業時間 9:00〜20:00/休業日 無休/長崎電気軌道「公会堂前駅」より2分
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(文・小川糸 撮影・高橋宗正)
