「虫の知らせ」はなぜ起きるのか
複雑な対象についてデータを集め、統計的に傾向を見る。「ビッグデータ」の下での現代のビジネスにとっては欠かせない方法論である。
このような顧客は、次にこんな商品を買う確率が高い。あるいは、特定の家族構成の人は、こんなサービスを必要としている。そのような統計的な傾向は、ビジネスにとっての貴重なヒントとなる。
脳は、もともと、環境について統計的な推理をしている。確実にわかるわけではない場合にも、生きる上で必要な情報を拾ってくるのだ。
出張先で、どの店に入ろうかとあれこれと探しているときも、結局は統計的な推理をしている。このような店構えのレストランでは、こんなサービスを受けられるだろうと、過去の経験というデータに照らして、推測しているのだ。
人間の脳は、大量の言葉にできない情報を得て、そこから推理をしている。「第六感」とか、「虫の知らせ」と呼ばれるのは、このような脳の無意識の情報処理の結果である。
感性を研ぎ澄まし、推理するという経験を積み重ねると、常人では想像できないような感知能力を持つようになることもある。例えば、店の販売員が、客が入ってきた瞬間に、何を買うか直感的にわかってしまう、という場合である。
マジックやトリックを仕掛ける「メンタリスト」の世界では、客の微妙な動きや表情を通して、さまざまなことを読み取る。意識的に行われる場合もあるが、無意識に読み取ってしまうこともある。
あまりにも見事に読み取れるようになったため、自身が特別な能力を持っていると信じてしまう場合、そんなメンタリストを「シャットアイ」と言う。実際には相手に関する情報から推測しているのに、そのことに自分で気づかなくなってしまうのだ。『第三の男』などの映画での演技で知られ、また監督としても『市民ケーン』などの名作を撮った俳優のオーソン・ウェルズが、「シャットアイ」について興味深い証言をしている。
ウェルズは、ステージ・マジシャンに、相手の様子からさまざまなことを探る「コールド・リーディング」の手ほどきを受けた。あるとき、女性が部屋の中に入ってきた瞬間に、彼女の夫が最近亡くなったのではないかとピンときて、そう言ったら実際に当たっていたのだという。
コールド・リーディングの訓練を重ねるうちに、ちょっとした仕草や服装から、相手のことがわかるようになったのだろうと、ウェルズは言う。そして、この「事件」をきっかけに、何だか怖くなってしまって、ウェルズはコールド・リーディングをするのをやめてしまったのだそうだ。
オーソン・ウェルズの域にまでいかなくても、私たちは多かれ少なかれ、相手の振るまいから統計的な推測を重ねている。データ解析のためのコンピュータの助けを借りなくても、脳の中にはもともと「勘ピュータ」があるのだ。
ある日本在住のイタリア人のナンパ師は、長年の経験から、声をかけて成功するのは、手に複数の指輪をしている女性であるということに気づいたのだと言う。そのような女性は、自分の魅力をアピールしたいという気持ちがあるからだそうだ。
ナンパはともかく、人間観察は、円滑なコミュニケーションの最大のポイントである。
ビジネスにおいても、人生においても、1番大切なことの1つは「人間」を知ること。どんなにデジタルのデータを積み重ねても、生身の人間に向き合うことからくる実感には敵わない。
(茂木 健一郎 写真=AFP/時事)
