日本人にとって最も身近な中国のモノの一つが麻雀であることに異論はないであろう。日本にも麻雀ブームは何度かあったが、1970年代の阿佐田哲也氏著の『麻雀放浪記』に代表される麻雀小説などと共に起こったブームは非常に大きなものだった。

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日本経営管理教育協会が見る中国 第271回−高橋孝治(日本経営管理教育協会会員)       麻雀の起源

 日本人にとって最も身近な中国のモノの一つが麻雀であることに異論はないであろう。日本にも麻雀ブームは何度かあったが、1970年代の阿佐田哲也氏著の『麻雀放浪記』に代表される麻雀小説などと共に起こったブームは非常に大きなものだった。

 麻雀はもちろん中国発祥のモノなのだが、日本への伝来はかなりの紆余曲折を経ている。

 麻雀の起源は、古代中国のカードゲーム「馬弔(マーチャオ)」であると言われている。(もちろん、これと異なる説もあるが、馬弔起源説が最も広く知られている。)古代より伝わる馬弔が骨牌と結びついて麻雀になったと言われている。現在の麻雀の形は、現在の江蘇省寧波で陳魚門という者によって完成されたとされている。そのため、寧波は「麻雀発祥の聖地」、陳魚門は「近代麻雀の発明者」とされている。

日本への導入

 なお、日本に初めて麻雀を紹介したのは夏目漱石と言われている。夏目漱石が執筆した朝日新聞連載の紀行コラム「満漢ところどころ」第19節の中に以下の記述が見られる。

 「たくさん並んでいる部屋の一つでは四人で博奕を打っていた。博奕の道具は頗る雅なものであった。厚みも大きさも将棋の飛車角くらいに当たる札を五六十枚程四人で分けて、それを色々に並べ替えて勝負を決していた」『夏目漱石全集7』(ちくま文庫、筑摩書房)収録

  これが日本人と麻雀の初めての出会いと言われている。

 大正時代に麻雀ブームが起き、昭和2年に日本初の雀荘と言われる「南山荘」が銀座に開店、牌も生産が追いつかないほどのブームが到来する。

戦後の麻雀

 そして戦後になり、旧満州国のローカルルールであった「リーチ」や「ドラ」が引揚者により、アメリカで発明された「七対子」や「緑一色」といった役が進駐軍によりもたらされ、現在我々が知る麻雀の形へと形成されていった。(「リーチ」や「ドラ」もアメリカで発明されたとする説もある。)なお、アメリカで発明された役と述べたが、欧米にはインドおよび東インド会社を通じたルートで麻雀が伝わっていた。

麻雀パイの意味

 ところで、麻雀の牌だが全てに意味がある。数牌のうち筒子(ピンズ)はコインを表し、萬子(マンズ)は金銭の単位、索子(ソーズ)は貨幣を束ねる竹串(もしくは縄)を表している。「東」「南」「西」「北」の風牌は4つの喜びを表し、「白」「発」「中」の三元牌は女性を表している。「白」はおしろいを、「発」はアイシャドーを、「中」は口紅を表しているのである。このように麻雀牌は金銭と喜びと女性を表しており、宮廷女性の遊戯であったという説を有力なものにしている。なお、「白」「発」「中」の三元牌の文字だが、これは元々「白」「龍」「鳳凰」であったとされている。中華民国時代に滅びた清朝を表す龍はよくないとのことで(清の国旗は「龍」がモチーフだった)、「『中』華民国『発』展」を意味する「発」「中」に変更されたという。

日本人は中国麻雀のルールの違いを理解しよう

 先に述べたように、日本の麻雀は、中国麻雀をベースにしつつも旧満州国のローカルルールやアメリカで発明されたルールなどを取り入れ進化してきた。そのため、現在中国で行われている麻雀とは全く異なるルールになっている。2008年の北京オリンピックの際に、中国は麻雀を「頭のスポーツ」という扱いでオリンピック種目にしようとしていた。(当然に中国ルールのものだった。)しかし、オリンピックに現在も麻雀がないことからも分かるように、実現はしなかった。そのため日本人が中国ルールの麻雀に触れる機会などまずないと言ってよい。中国人と軽々に麻雀で勝負しようとしても、ルールが異なっており、恥をかくかもしれないので気をつけてほしい。(執筆者:高橋孝治・日本経営管理教育協会会員 編集担当:水野陽子)