「寝ずに頑張った」がいまだに評価される驚きの理由。脳科学者・中野信子が語る「誠意の免罪符」

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「なぜ、相手や周りの気持ちがわかりすぎる人ほど生きづらいの?」――。

職場や学校で、「空気」という暗黙のルールの中で生きなければならない私たち。さらに今、激変し続ける社会情勢を受け人々の不安はいや増し、空気の圧力は強まるばかりです。

そこで、中野信子さんが日本人の心性と強みを、脳科学・遺伝学・行動科学をとおして初めてひもとき、多くの共感を呼んだ大ベストセラーに、対処法を加筆したのが『新版 空気を読む脳』です。

日本人に特有の「空気を読む」能力を知ることが、賢く生き延びるための武器となります。空気の支配の中で最強の免罪符となるのが「誠意」です。第3回(後編)ではその理由と使い方をお伝えします。

「和」の社会で重要視される「誠意」

「空気」の支配力を通して山本七平が分析した「日本教」は、特定の経典や教祖を持ちませんが、強力な教義として機能している要素があります。人間(じんかん)至上主義、情況倫理(ケースバイケース)、現世中心主義の3つです。

日本教において最も尊いのは、神でも仏でもなく「人間関係」です。一文字で表現するなら「和」そのものです。真理や正義よりも、「周囲とうまくいっているか」「和を乱さないか」が最優先されるのです。この中で重要な役割を果たすのが「誠意」です。理論的な正しさよりも「誠意(一生懸命やっているか)」という情緒的な姿勢が評価の対象となります。

また、十戒などの絶対的な神の掟を持たないため、善悪の基準が「その時の状況や空気」によって柔軟に(あるいは節操なく)変化します。これが情況倫理です。

そして、死後の世界や、日常の人間関係を超克する聖域などではなく、「今、ここ」の利益を最優先するのが現世中心主義です。多くを語る必要はないと思いますが、目に見える範囲で役に立たないものは「迷惑」であるとされ、放置されるか、悪くすれば排除の対象になります。

この日本教における神が「空気」です。

このパラダイムの中では「誠意」が何よりも強力な免罪符となり、「彼には誠意があった」「一生懸命だった」と周囲が認めれば、日本教の論理では許されます。逆に、どんなに正論を言っても「誠意が感じられない」とされれば、日本教における背信者としてさらなる反感を買い、排除されます。

山本は、日本社会では「何をしたか(結果・客観的事実)」よりも、「どのような精神状態でそれを行ったか(主観・誠意)」が究極の判定基準になると指摘しました。これは、何かを「やらかした」ときの日本における謝罪のあり方のガイドラインになるものです。たくさんの方がこのマニュアルを必要としていることでしょうが、この原理に則って謝罪すればほぼ乗り切ることが可能でしょう。構造はシンプルなものです。

「誠意」はどんな正論も駆逐する

通常、組織や社会での失敗は「原因の究明」と「責任の所在」を明らかにすることで解決を図ります。しかし、日本教の論理ではプロセスが逆転します。

論理的な思考では、「失敗した」→「方法が間違っていた」→「責任をとるべきだ」となりますが、日本教的な思考では「失敗した」→「しかし彼は一生懸命(誠意を持って)やった」→「ならば責めるのは酷だ(水に流そう)」となります。

ここでいう「誠意」とは、具体的な解決策のことではなく、「対象に対して自己をどれだけ没入させたか」という情緒的な純粋さを指します。この純意(まごころ)が認められると、たとえ壊滅的な実害を出したとしても、その罪は「浄化」されてしまいます。

日本教において「誠意」を証明するためには、しばしば「自己犠牲のポーズ」が必要になります。

徹夜・過労など自分を痛めつける行為や深々とした謝罪、つまり、腹を切る文化の残滓です。「寝ずに頑張った」という事実は、仕事の効率よりも高く評価されますし、会見での涙や、徹底的な低姿勢は、事実関係の説明よりも「誠意の証明」として機能します。「腹を切る」文化の残滓は、具体的な、辞任や降格といった「身を削る行為」のデモンストレーションにより、周囲の「空気」を「もう許してやろう」という方向に誘導するのです。

なぜ「誠意」はこれほど強力なのでしょうか。それは、「誠意」が「共同体の空気」を維持するための装置となっているからです。

もし論理だけで責任を追及し続けると、人間関係に修復不可能な亀裂が入ります。しかし「誠意があった」と認定して水に流せば、組織の和は保たれます。日本教の教義は「真理」にあるのではなく「和」であり神は「空気」であるため、それを維持するための「誠意」はどんな正論よりも尊いという扱いになるのです。

この構造の恐ろしさは、「誠意さえあれば何をやっても許される」という原理を生むことです。これは失敗からの学習を不可能にし、健全なフィードバックを無効化してしまいます。失敗の原因は「技術や戦略の欠如」ではなく、「気合や誠意の不足」とされ、一生懸命やった結果なら誰も責められないため、同じ構造的なミスがくり返されることになります。

戦時中の「精神力(大和魂)で物量差を補う」という発想や、現代企業の不祥事における「トカゲの尻尾切り的な謝罪」は、すべてこの日本教の「誠意の免罪符」が発動している例として山本の論では分析されます。この日本教的構造が「平時」には驚異的な団結力と効率を生む一方で、「非常時」には誰も責任をとらず、根拠のない空気に流されて破滅に向かう脆さを持っていると結論づけました。

次項では、空気の支配下で「言葉」の力がどう働くか、空気という謎ルールの社会で、どうやって生きていくかを述べていきます。

日本人はなぜ空気に支配されるのか。脳科学者・中野信子が伝える「支配力の源」3つの要素