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令和8(2026)年度より、在職老齢年金制度の支給停止となる基準額が「月51万円」から「月65万円」に引き上げられました。これにより、高齢者の“働き控え”解消が期待されています。しかし、手放しで喜べることばかりではないようで……。68歳夫婦の事例をもとに、制度改正がもたらす変化とその実態をみていきましょう。

年金を受け取りながら働く68歳男性

「あら、もっと働けるじゃない」

マサノリさん(仮名・68歳)が朝食をとっていると、向かいでテレビを見ていた妻のヒサコさん(仮名・68歳)が何気なく呟きます。画面では「在職老齢年金制度」の改正に関するニュースが流れていました。

夫婦は、都内郊外の分譲マンションに2人で暮らしています。35歳のひとり娘は数年前に結婚して家を出ました。

マサノリさんは、60歳で定年を迎えたあとも再雇用で働いています。月収は約45万円と現役時代より少ないものの、「家族のために」と責任感をもって勤めていました。

また、65歳以降は老齢年金も受給しています。本来は月20万円(老齢基礎年金:約7万円、老齢厚生年金:約13万円)ですが、65歳以降も働いていることから在職老齢年金制度が適用され、老齢厚生年金のうち月約3万5,000円が支給停止に。したがって、実際の受給額は月16万5,000円(老齢基礎年金:約7万円、老齢厚生年金:約9万5,000円)となっています。

この在職老齢年金制度の支給停止基準額が、2026年(令和8年)度から引き上げられるようです。

「どうせならもっと働いて、将来のために、もう少し余裕をつくっておいたら?」

妻の無神経なセリフに、マサノリさんは「やる気が一気になくなった」と言います。

「在職老齢年金制度」の仕組み

在職老齢年金制度は、60歳以降も厚生年金に加入して働きながら老齢厚生年金を受給する場合に、給与と年金の合計額に応じて年金額が調整される仕組みです。

マサノリさんの場合、給与45万円と老齢厚生年金13万円の合計は58万円。2025(令和7)年度の基準額は51万円のため、超過した7万円の半額である3万5,000円が支給停止となっていたのです。

日本の社会保障制度は、社会全体で支え合う「相互扶助」の考え方が土台になっています。在職老齢年金制度も、一定以上の収入がある人は「支える側」に回ってもらうという趣旨で設けられているようです。

一方、この制度は「働くほど年金が減る」という構造ゆえ、労働意欲の低下や収入調整(働き控え)を招く要因と指摘されてきました。

こうした状況を踏まえ、制度の対象となる基準額はこれまでたびたび見直されており、令和8年度からは基準額が65万円に引き上げられました。つまり、従来よりも年金が減額されにくくなったということです。

マサノリさんの場合、給与が月52万円以下であれば、老齢厚生年金は全額支給されます。

制度改正の影響は?

厚生労働省「年金制度改正の全体像」によると、2025(令和7)年時点で約50万人が支給停止の対象となっているそうです。そして、今回の改正によってそのうちの約20万人が全額支給に転じるとみられています。

ただ、65歳以上で厚生年金に加入しながら働く人は約308万人です。このうちの20万人は約6.5%相当であり、今回の改正で直接的に年金額が変わる人はあくまで少数派であると言えるでしょう。

とはいえ、本改正を通じて高齢者の働き控え解消が期待されています。

家族のため」をやめた日

基準額の引き上げによって、収入を増やしても年金が減額されにくくなったマサノリさん。しかし、働く意欲はむしろ削がれているようでした。

「そんな単純な話じゃないんだよ……」

過去の肩書きやプライドを手放し、現役時代よりも少ない給与で、現役時代と同じような仕事をこなす……。再雇用で働き続けること自体が、マサノリさんにとって大きな負担となっていたのです。

また、収入が増えれば税金や社会保険料の負担も増える可能性があり、増えた分だけ手取りが増えるとは限りません。

さらに、最近は身体の衰えも如実に感じていたところでした。

そんな夫の状況を一切考慮しない妻に、マサノリさんは「『家族のために』と無理して働くのはもうやめよう」と、密かに心に誓ったのでした。

損得だけを考えると迷う

今回取り上げた在職老齢年金制度の改正は、高齢者の就労を後押しすることで、社会保障を支える側としての役割を担ってもらうことを目的としたものです。

しかし、収入を増やせる環境が整ったからといって、それがそのまま最適な選択になるとは限りません。

年金制度は、今後も見直されることが予想されます。そのたびに“損か得か”だけで判断していては、迷いが尽きないでしょう。だからこそ、収入や働き方、生活のバランスを踏まえて、自分なりの判断軸を持つことが大切です。

石川 亜希子
CFP