33歳のときに10万人に1人の難病「脳動静脈奇形」を発症した、俳優の間瀬翔太さん(40)。

【写真】手術後に左目の周りなどが腫れてしまった痛々しい姿の間瀬さん。病室を訪れた“よく似た”母親とのツーショットも

 レコーディング中に急激な頭痛に襲われ、自分がどこにいて何をしていたかがわからなくなり、即日入院。開頭手術を経て一命をとりとめたものの、現在も後遺症であるてんかん・記憶障害と戦っている。生まれつき抱えていた病気に33歳までまったく気づかなかった恐怖や、医者からも「風邪」と言われ続けた経験、そして手術後に感じた仕事と人生への大きな不安について話を聞いた(全3回の1回目)。


10万人に1人の難病「脳動静脈奇形」を発症した間瀬翔太さん ©文藝春秋 撮影・榎本麻美

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--間瀬さんが33歳のときに発症した「脳動静脈奇形」は、どんな病気なんでしょう?

間瀬 人間の血管って、普通は動脈から毛細血管を通って静脈に繋がるんですけど、僕の病気は生まれつき動脈と静脈がくっついてしまっていて、血管への負担が大きいため、脳卒中などの病気が発生するリスクが高いと言われています。

 先天性なんですけど、僕自身は33歳で発症するまで気づきませんでしたし、死ぬまで発症せず気づかない人もいるそうです。

--最初はどうやって気づいたんですか?

間瀬 まぶたの上や首元、おでこなど、頭の周りの痛みが1つずつ増えていって、ずっと肩を誰かに押されているような感覚がありました。耳が聞こえなくなることもあって、気持ち悪さを感じていました。

3つの病院で「風邪です」と言われ、我慢の日々

--病院に行ったりはしたんですか?

間瀬 最初に行った街のクリニックでは「風邪です」と言われました。でもあんまりにも痛みが続くので、もう少し大きな病院に行ったんですけど結果は同じで、その後、大学病院に行っても診断は「風邪」。3カ所で風邪と言われたので、じゃあもう我慢するしかないなって。

--たしかに大きな病院で言われたら信じてしまいますよね。

間瀬 それでも1日中頭が痛いし、日を追うごとにどんどん強くなる。でも不思議なことに動いてる時は痛みが引くので24時間マラソンの企画に出たり、あとはお酒で痛みを麻痺させていました。

--お酒は飲んでいいんですか……?

間瀬 いま思うと脳には負担がかかっていたはずなので、だいぶ危なかったと思います。毎日のアルコール量も増えていましたし。

--その生活を続けて、最終的に倒れてしまった。

間瀬 倒れたのは2019年の7月20日で、新曲のレコーディングをしているときでした。サビを歌っている途中で、急に強い頭痛を感じたんです。何もガードせずに後ろに倒れて床に頭を打ったような経験したことがない痛みで「これはマズいな」ってすぐ思いました。

--レコーディングは続けたのでしょうか。

間瀬 痛みに耐えてどうにかレコーディングは乗り切りました。それで終わってすぐにマネージャーに電話したんですけど、「どこにいるの?」と聞かれたときになぜか答えられなくて。

--自分がいる場所がわからなくなってしまった。

間瀬 しかも場所だけじゃなくて、誰といたのかもわからなくなってました。一緒にレコーディングしてた中学の同級生の名前も思い出せなくて、さすがにこれは絶対におかしいと思いました。

--それからすぐに病院へ?

間瀬 マネージャーがどうにか僕の居場所を見つけてくれて合流して、一緒に近くの病院へ行きました。ただ、それでも最初は「風邪じゃないかなぁ」と言われたんです。

--そこまで普通じゃない症状が出ているのに。

間瀬 さすがに痛みの度合いが明らかにおかしかったので「自費になってもいいからCTを撮ってください」とお願いしたんです。

「脳出血しているので、すぐに入院してください」

--自分で頼んだんですか?

間瀬 実はその1週間前、親友のお母さんが、もやもや病が原因による脳出血という状況で亡くなったという話を聞いていたんです。

 親友のお母さんはずっと頭痛があったんだけど、病院に行かず家で休んでいた。それで仕事から帰ってきて親友が「お母さん大丈夫?」と声をかけたら、すでに亡くなっていたんです。

--それで絶対に検査を受けようと思った。

間瀬 先生は「何も変わりませんよ」とぶつぶつ言いながら撮ってくれたんですけど、結果が出たら慌てて駆け寄ってきて「脳出血しているので、すぐに入院してください」と言われました。

--急展開ですね。

間瀬 正直、「やっぱり!」と思いました。その後すぐにお父さんも来てくれて、ICU(集中治療室)に入りました。

 もしあのまま帰っていたら、左側頭葉の出血だったので右半身が全部麻痺になっていた可能性がありますし、最悪の場合は死んでいたと言われました。

--恐ろしいですね……。ICUに入ってからは?

間瀬 急にICUに入れられたので、どんだけ危ない状況なんだろうってとにかく怖かったです。ICUのガラスの向こうでマネージャーとお父さんが医者から説明を受けながら僕のことをチラチラ見るんです。その視線がどこか不安そうで、自分は死んじゃうのかなってずっと考えていました。

--病名はいつわかったのですか?

間瀬 最初は出血の原因もよくわからなかったんですが、3日後に脳専門の病院に転院して、そこで初めて脳動静脈奇形と説明を受けました。そして「開頭手術をします」と言われたんです。

--いきなり開頭手術は衝撃ですね。

間瀬 「死ぬ可能性はありますか?」と聞いたら、先生は「あります」とはっきり言いました。取り乱してしまって「そんなはずがない」と騒いだり「もう一度調べてほしい」と言ったりしていたようなんですが、だんだん体のコントロールができなくなって、車椅子の上で気を失ったようで気づいたらベッドの上でした。

「何が大丈夫なんだ、嘘つくな!」と看護師の気づかいに反発することも

--手術まではどう過ごしていたんですか。

間瀬 自暴自棄になって「手術せずに死にたい」と思っていました。それで看護師さんに八つ当たりして、毎日ご飯をひっくり返したり点滴を倒したり……。

 看護師さんが食事を持ってきてくれると「大丈夫ですよ」「死なないですよ」って声をかけてくれるんです。不安にならないように言ってくれているのですけど、「何が大丈夫なんだ、嘘つくな!」と思ってしまって当時の僕はその優しさを受け取れませんでした。

--「死ぬかもしれない」と言われてナーバスになる気持ちはわかります。

間瀬 でも少し時間が経つと「悪いことをしたな」って冷静になるんです。僕が当たり散らしてもニコニコしながら片付けてくれるし、数時間後には「早く治しましょうね」とご飯を持ってきてくれる。

 看護師さんが僕の味方でいてくれようとしているのはわかっているのに、イライラして当たってしまう。怒りと罪悪感と不安とが入り混じって、自分が自分じゃないみたいでした。

--何に対するイライラが大きかったんですか?

間瀬 「死ぬかもしれない」というのがもちろん一番大きかったんですが、ちょうど大きな仕事が決まりそうだったのも辛かったです。選考も最終段階まで進んでいて、最初は先生も「その撮影には間に合うと思うよ」と言っていたのに、手術の日程がわかり、更に術後は簡単に飛行機に乗れないことがわかり……とだんだん現実が押し寄せてきて、人生終わった……と思いました。

--その仕事にかけている部分が大きかったんですね。

間瀬 僕は10代の頃は家庭環境もあってグレちゃってたんですけど、芸能界に入れてもらってやっとちゃんと頑張れるものができた気がしていました。真面目に生きてればいつか報われると思ってやってきて、大きな仕事が決まりかけたタイミングでこんなことになるなんて……と腐ってましたね。

--その後、どう気持ちの変化が訪れたのですか?

母親が闘病中に書いたノートを読むと驚きの内容が…

間瀬 お母さんが病院に、お母さん自身が乳がんの治療をしてたときの日記を持ってきてくれたんです。僕がずっとイライラしていてまともに話もできない状態だったので、「暇だったら見ていいよ」と日記を置いていってくれて。

 読み始めたら「夫に話をして泣けてスッキリした」と書いてある日もあれば「怒って暴力をふるってしまった」と書いてある日もあって……。

--そのときの間瀬さん自身と重なった?

間瀬 闘病中でも僕自身はお母さんの涙を一度も見たことがなかったので衝撃でした。むしろいつも笑わせようとしてくる人だったのに、実は感情の起伏があって泣いたり怒ったりしていた。自分と同じ気持ちを味わった人がいるのが心強いなと思いました。

 それで僕も覚悟が決まって、とことん病気と向き合ったうえで死ぬならそれは仕方がないと思い、遺書のつもりでブログを書くことにしたんです。

--とても大きな話題になりましたよね。

間瀬 ブログをアップして寝て起きたらスマホの通知が止まらなくて、「なんだろう?」と思ったら「大丈夫ですか」「応援しています」と続々とメッセージが届いて。何十万人という人が読んでくれて、驚くと同時にこんなに関心を持ってくれる人がいるならまだ生きていく道がある、とも思えました。

 それからは毎日病気についてのブログを書くようになりました。当時僕が調べた中では同じ病気を公表している芸能人が日本にはいなくて、それなら僕がみんなに届けていこうと。気づいたら自然と「死にたくない」と思っている自分がいました。

--その状況で手術が近づいてくるのは怖くなかったですか?

間瀬 最初はむしろ早く来てほしいと思ってたんですけど、手術で歯が折れたり目が見えなくなるかもしれず、最悪脳死状態になる可能性もある、という後遺症の説明を先生から聞いて、2日前ぐらいから一気に恐怖心が増してきました。

 でも担当医が「失敗する可能性が20%はある手術だけれど、俺が手術するんだから0%だ」と言ってくれて、その言葉を頼りに手術に臨みました。

「急に眠気に襲われることが増え、起きると全身が…」難病手術の後遺症で“てんかん”を発症した間瀬翔太(40)が今も苦しむ“記憶障害”の実態〉へ続く

(雪代 すみれ)