『豊臣兄弟!』浅井・朝倉と激突した<姉川の合戦>。苦戦する信長を救った「救世主」とは――激戦の裏側を濱田浩一郎が解説
天下人・豊臣秀吉…ではなく、その弟・秀長が主人公!これまでになかった視点からダイナミックに描く大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合、日曜午後8時ほか)。兄を支え続けた“もう一人の豊臣”にスポットが当たることで映し出される新たな戦国の世界が話題です。そこで歴史家で作家・評論家の濱田浩一郎さんに、ドラマをもっと楽しむための”ツボ”を解説していただきました。
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姉川で決戦の時を迎え
大河ドラマ『豊臣兄弟!』第15話は「姉川大合戦」。
元亀元年(1570)6月、織田信長・徳川家康連合軍と浅井・朝倉の連合軍は決戦の時を迎えていました。
近江国(現在の滋賀県)姉川(長浜市)における両軍の合戦は、「姉川の戦い」と呼ばれています。
信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記『信長公記』には、次のような記録が。
「推し返しつ散々に入りみだれ、黒煙立て、しのぎをけずり、鍔をわり、ここかしこにて思い思いの働きあり」と簡潔に記されています。
織田軍の危機を救ったのは…
そしてついには織田・徳川方が浅井・朝倉方を追い崩したと書いてあるのです。

『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(著:濱田浩一郎/内外出版社)
激闘が展開されたが、それほど苦戦はせずに、織田・徳川方が勝利したとの書き振りに見えます。
しかし、江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵が記した『信長記』には、浅井勢の猛攻により「信長卿の本陣既に危く見えしかば」と、織田方が苦戦を強いられている様子が記述されているのでした。
その信長方の危機を救ったのは徳川家康の軍勢だったとされます。
「一番」を望んだ家康
江戸時代初期の旗本・大久保彦左衛門の著作『三河物語』では、徳川家康は合戦前に信長に徳川勢の「一番」(先陣)を希望し、叶えられていたとの記述が。
織田の武将も「一番」を希望していましたが、家康が強硬に「一番」を望んだのでした。
『信長公記』には、信長方が大勝し、敵勢千百人余を討ち取ったとあります。
しかし、戦国期の公家・山科言継の日記『言継卿記』には、「徳川衆・織田衆も多く死すと云々」と記されています。
「合戦は家康の手柄」
さらに『三河物語』には、このような記述も。
信長は敵方に旗本近くまで攻め寄せられたが、家康の方は敵勢を切り崩し、敵陣深く攻め入ったため敵は「敗軍」したとあります。
信長も、「今日の合戦は家康の手柄であり、天下の誉れである」と賞したのでした。
姉川合戦勝利の立役者は徳川家康だったと言えるでしょう。
(主要参考文献一覧)
・桐野作人『織田信長』(KADOKAWA、2014年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
