「負の遺産」原爆ドームの世界遺産登録から30年 保存のきっかけとなった少女の日記
2026年は原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録されて30年の節目の年です。核兵器による抑止力に頼ろうとする国々が世界で増えつつあるいま、原爆ドームが「負の遺産」として残されている意味を考えます。今回は解体を望む声もあったドームの歩みを振り返ります。
被爆地ヒロシマのシンボル、原爆ドーム。その姿を一目見ようと、日々、世界中から人々が訪れています。
1996年12月。それはヒロシマの悲願が実現した日でした。
■外務省職員
「今回の世界遺産委員会において、つい先ほどの審議の結果(世界遺産への)記載が決定されました」
■県被団協理事長(当時) 坪井直さん
「政府を動かしたのは、何万人の署名とか、そいうものみな多くの人々の力によってできたのだと思いますよ」
かつて県の産業奨励館として異彩を放っていた建物は、あの日を境に姿を変えました。上空600メートルでさく裂した原子爆弾。ほぼ直下にあったため、爆風の直撃を逃れ、奇跡的に形が残りました。爆心地に静かにたたずむ廃墟。いつしか人々は「原爆ドーム」と呼ぶようになりました。
■被爆者 才木幹夫さん(93)
「やっぱり、思い出したくないから、こんなものは見たくないってね、崩れるままに崩れるほうがいいと思っていた」
当時12歳、旧制広島第一中学2年生で8月6日は建物疎開の作業に行くはずでした。空襲による火災の広がりを防ぐため、木造家屋を取り壊す建物疎開。戦況の悪化に伴い、中学生も駆り出されました。
■才木さん
「担任の戸田先生という方がね、突然『2年生は6日は休め』となって『やった』というような調子で」
学校には向かわず爆心地から2キロの自宅で朝食をとった直後でした。
■被爆者 才木幹夫さん
「家の中にいても真っ白なすごい明るさ」
助かった、命。一方で、登校した1年生のほとんどが命を落としました。
■才木さん
「1年生は全滅。紙一重の差、私たちだけが助かって何か後ろめたい気持ちが、いつもある」
93歳。今も罪悪感を抱えています。
■才木さん
「記憶に残るものは、みんな消し去りたいという気持ちがあった。私だけじゃなくて被爆者はほとんどそうだった」
広島市が終戦の4年後に、原爆ドームの存廃を問うた世論調査では「取り払いたい」という声が3割を超えました。また、保存には莫大な費用がかかります。広島の復興を支えた当時の浜井市長も保存には後ろ向きでした。広島市の判断は「存置保存」。「保存」とは名ばかりで、何も手を加えることはなく、そのままの状態での「放置」でした。
原爆ドームの運命を変えたもの…そこには一人の少女の存在がありました。解体か保存か…
原爆ドームの運命を変えるきっかけとなった資料が原爆資料館に残されていました。日記の持ち主は、楮山(かじやま)ヒロ子さん。1歳で被爆し15年後、急性白血病により16歳で亡くなりました。亡くなる前年の8月6日。楮山さんは日記に、こう記していました。
“あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろうか”
楮山さんの遺志を受け継ごうと立ち上がったのが、地元の高校生たちでつくる「広島折鶴の会」でした。
■楮山さんと同じ学校に通っていた三上栄子さん
「これは折鶴会に入ってたときの、 みんなが書いた日記かな」
高校2年生のときに折鶴の会へ加わり、「原爆の子の像」の前でドームの保存を訴えてきました。
■三上さん(1996年)
「運動しようということになっても、私たちどのように、どうすればいいのかがわからなくて、その日記があるからこそ頑張れたっていうのはあると思うんですね」
彼女らを影で支えたのは「原爆の子の像」の建設にも尽力した被爆者・河本一郎さんでした。
■河本一郎さん(1996年)
「ヒロ子さんの日記を見るまではね(ドームを)遺すために行動しなくちゃいけないということは、恥ずかしいですけどね、眠っていたわけです。本当に叩きのめされたような、16歳の被爆した女の子がここまで思っていたのかと」
■三上さん
「私たちに募金・署名運動するときも楮山さんの心を受け継いでほしいという気持ちが、すごく河本さんは強かった」
しかし、署名集めは順調にはいきませんでした。
■三上さん
「たくさんの人に言われました。なんで遺すんかって。ドームを見たら原爆当時のことを思い出すから、ドームは壊してほしいんだいう人は、かなりおりましたよ」
支えになったのは、原爆ドームの保存に強い信念を持っていた河本さんの言葉でした。
■三上さん
「河本さんが『目から消えるものは、心から消えるんですよ』って。原爆ドームがなくなってしまったら、原爆の恐ろしさを伝えていくものがなくなるって。だから絶対に遺すんだって」
高校生たちの執念が広島市を動かします。署名は全国から集まり、被爆から21年後の1966年、ついに原爆ドームの永久保存が決まりました。
『原爆ドームは崩れてしまえばいい』そう思っていた被爆者の才木幹夫さん。楮山さんの存在は、これまで知りませんでした。才木さんもまた、保存を求める声の高まりを受け、考え方が変わっていきました。
2月、特別な許可を得て、60年ぶりに原爆ドームの中へ足を踏み入れました。
■被爆者 才木幹夫さん
「若いときに1度ね、このドームの真ん中に入ったことがある。ここへね。あ~、きれい、すごい」
かつて被爆者にとって「忌まわしい記憶を呼び起こす」存在だった原爆ドーム。戦後81年のいま、あの日のヒロシマを伝える「物言わぬ証人」として、人々に語りかけています。
■才木さん
「(見るのも)つらいけれども被爆者の感情だけで、やる時代じゃないなと「壊したいけど壊されないという、被爆者の心情がそこにあるわけですよね。つらい思いをしてだけど、これは残さなければいけないっていうね」
人類の過ちを刻む「負の遺産」、原爆ドーム。ヒロシマの教訓を世界へ訴え続けていきます。
【テレビ派 2026年3月19日 放送】
