小泉今日子、トータス松本、スガシカオも還暦に⋯「いい事ばかりはありゃしない」丙午生まれのミュージシャンたち

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小泉今日子まで、還暦に

2026年3月20日、私は有明にある東京ガーデンシアターにいた。「10年に1度! 丙午の1966年生まれのミュージシャンたちが繰り広げる想像の斜め上ゆくエンターテインメントショー!」と題された「ROOTS66 -NEW BEGINNING 60-」というライブを観るためだ。

もちろん、この「ROOTS66=ルーツ66」というタイトルは、ジャズ、ブルースのスタンダード曲『ROUTE 66』から来ている。

「丙午(ひのえうま)の1966年生まれのミュージシャン」とは、どんな面々なのか。当日の主な出演者を五十音順、ではなく誕生日順で並べると、

--宮田和弥、大槻ケンヂ、中川敬、増子直純、田島貴男、斉藤和義、渡辺美里、スガシカオ、ABEDON、伊藤ふみお、早見優、斉藤由貴、吉井和哉、八熊慎一、永井真理子、トータス松本

泣く子も黙る面々が並ぶ。2日後の大阪公演では、これに小泉今日子が加わったのだから、泣く子は黙るのを抑えられずニコニコしたはずだ。

と書いている私も丙午、1966年生まれである。一応、音楽評論家と名乗ってはいるが、元々は、数十万人はいたであろう「ミュージシャンになろうとした丙午」の1人だった。そんな数十万人の中の「勝利者」が、先の面々となる。

約3時間半に及ぶ、大騒ぎのステージを眺めながら、丙午ミュージシャンと、私を含む丙午リスナーの音楽人生に思いを馳せていた。

ビートルズ来日の年に生まれ、今年60歳になる、なろうとしている私たち丙午世代の音楽人生とは、いったいどのようなものだったのか。

というわけで今回は、2026年丙午記念として、私たち世代の歩んできた音楽人生を俯瞰してみたいと思う。

CDバブル時代にデビューした世代

映画「丙午音楽人生物語」において、主役俳優は丙午のミュージシャンとリスナー。そして助演はCD(コンパクトディスク)と90年代という時代である。

「ROOTS66」に登場した丙午ミュージシャンの多くは、90年代デビュー組だ。

中には「花の82年組」早見優や小泉今日子のように、早々にデビューした人もいるが、他の面々について、メジャーデビュー年を見れば、田島貴男率いるOriginal Loveは1991年(ただし田島自身はピチカート・ファイヴの一員として先行デビュー)、吉井和哉率いるTHE YELLOW MONKEYと、トータス松本率いるウルフルズは1992年、斉藤和義は1993年となる。

そしてスガシカオに至っては、1997年、31歳になる年にデビューしているので、かなりの遅咲きだ。

90年代という時代は、のちに「CDバブル時代」と言われることとなる。CD(短冊形の8cmシングル含む)が売れに売れた時代。街なかにはCDメガストアが立ち並び、シングルCDのカップリング「instrumental」を聴いて練習した歌を披露するために、人々が、カラオケボックスに詰めかけた時代。

つまり丙午ミュージシャンは、今と比べると格段に「恵まれた時代」にデビューした世代なのである。

対して丙午リスナーは90年代、ミュージシャンになら(れ)ずに社会人となる。いわゆる「バブル経済」は崩壊していたものの、クラクラするような音楽シーンの絶好調ぶりを目の当たりにしながら、深夜に垂れ流されるニューアルバムのCMに乗せられながら、CDにライブにお金を使いまくった世代だったといえよう。

その後の結婚や転勤、転居のたびに、溢れかえるCDの山に悩まされた人は多いのではないか。私だよ。

「最後の洋楽世代」でもあった

「90年代=CDバブル時代」とはよく言われる話で、先に書いたように、丙午のミュージシャンやリスナーにとって、決定的な事項だったと考える。

対して、そのような話に対して、ややミクロな視点になるが、ここで洋楽の話をしておきたい。80年代後半に一気に進んだCDメディアの普及が、洋楽名盤のCD化・廉価化をもたらしたという事実を。

つまり、それまで、中古レコード屋の壁に、高い値段で飾られていた洋楽の名盤が、CDとして再発売されることとなり、手軽に入手できるようになったのだ。

結果、古い洋楽(+はっぴいえんどなどの邦楽)に耳年増な若いリスナーが増えることとなる。丙午世代は、そんな洋楽耳年増リスナーのほぼ中心にいたはずだ。

そんな流れが、90年代に勃発したムーブメント「渋谷系」を形成する。洋楽名盤のCD化・廉価化を背景に、(当時)若い洋楽耳年増ミュージシャンによる、(当時)若い洋楽耳年増リスナーに向けられた音楽ムーブメント。

「ROOTS66」で披露された音楽のそこかしこに、洋楽の匂いが立ち込めていたことの背景に、このような流れがあった。あとそもそもジャズ、ブルースのスタンダード曲を元ネタとした「ROOTS66」というタイトルにも。

例えば、斉藤由貴とトータス松本による『夢の中へ』(斉藤が89年にカバーしてヒットした井上陽水の曲)とオーティス・レディング『アイ・キャント・ターン・ユー・ルース』(65年)のマッシュアップは、いかにも90年代的産物だったように感じる。

今や風前の灯のような洋楽市場だが、以上のような意味で丙午は「最後の洋楽世代」といえるかもしれない(ただ実は、ここ10年ほどの音楽サブスクの普及が、Vaundyのような若い洋楽耳年増ミュージシャンを輩出していることも、ここで付記しておく)。

歯を食いしばって生きてきた歴史

「いい事ばかりはありゃしない」とは、丙午ミュージシャンが揃ってリスペクトする忌野清志郎率いるRCサクセションの曲名である(「ROOTS66」では中川敬、斉藤和義、宮田和弥がRCサクセション版『イマジン』を一部歌詞を変えながら歌っていた)。ちなみに忌野清志郎は1951年生まれで、丙午の15歳上。

そう、確かにいいことばかりはありゃしない。映画「丙午音楽人生物語」の後半は、なかなかに暗い。

1998年にピークを迎えた日本の音楽市場は、階段を転げ落ちるように縮小していく。日本レコード協会が発表している「音楽ソフト種類別生産実績推移」(金額)は、1998年に6,075億円を記録、ピークに達すると、その後一気に縮小、10年後の2008年には3,618億円に縮小、20年後=2018年には2,403億円と、ピーク時の約4割に落ち込む(ただし「生産実績」であり配信は含まれない)。

さらにリーマン・ショック、東日本大震災、コロナ禍と、音楽市場は、断続的に大打撃を受ける。

先に「ROOTS66」に出演した丙午ミュージシャンを「数十万人はいたであろう『ミュージシャンになろうとした丙午』の勝利者」と書いた。

しかし1998年以降、32歳以降、つまり彼(女)らの音楽人生の後半は、音楽市場縮小の中で歯を食いしばって生き残ってきた歴史なのだ。

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