サラリーマンの娯楽「酒席」までもが仕事に…会社のカネで飲み食いする厄介な「接待」が日本で生まれた背景
※本稿は、右田裕規『「酔っぱらい」たちの日本近代』(角川新書)の一部を再編集したものです。

■「社用族」は戦時経済が生んだ
接待のための酒宴が、会社人にとっての「仕事」となりはじめたのは、比較的早い時期に遡る。
たとえば1898年、農商務省の諮問会議(農商工高等会議)において衆議院議員・井上角五郎は、次のように社費による役人接待の頻繁化を述べている。
(『農商工高等会議議事速記録』)
会社の交際費を用いたこの種の酒宴がとくに増えたのは、太平洋戦争前後の時代においてであった。この時代になって、企業による接待関連の濫費がことに目立ってきたことは、多くの資料が語っている。
およそあらゆる物資の需給が、「軍人官吏」によって計画的に管理されはじめたことで、かれらの歓待が企業にとって必須の工作となったためである。戦後のいわゆる「社用族」の原型も、この時代に成立したものだった。1953年、元慶應義塾塾長の小泉信三が、以上の点について的確な説明を行っている。
(小泉信三「社用族」)
■「労働的な酒席」が日常に
20世紀後半期の社用飲酒のひろがりについては、飲酒動向調査などをつうじて、より判明に捕捉できる。1956年、麦酒酒造組合が行った「ビール需要についての世論調査」(全国の成年者3629人が回答)は、その最も早いものである。調査前日にビールを飲んだという764人に、飲んだ動機をただした設問の結果では、14%が「客を接待して」と答えていた(『ビール需要についての世論調査』)。
内閣総理大臣官房広報室の「酒類に関する世論調査」(1987年実施。全国の20歳以上の2410人が回答)でも、「接待」を「お酒を飲む主な理由」にあげる人びとは多かった。飲酒習慣がある回答者1439人のうち、「仕事上の交際や接待のため」に酒を飲むというのは16%、「管理・専門・事務職」(339人)の人びとに限ると28%にのぼっていた(『酒類に関する世論調査』)。
勤労者たちの余暇が、労働的な酒席でしばしば埋められるのは、21世紀になっても変わらない。2010年、全国の既婚男性1796人を対象とした内閣府の余暇調査を参照すると、勤務後に「仕事に関連しない飲食・飲酒をする」と回答したのは21%、対して「仕事に関連した飲食・飲酒をする」はさらに多く30%にのぼっていた(『「ワーク」と「ライフ」の相互作用に関する調査報告書』)。
■企業の交際費はパンパンに膨れ上がった
一方、前世紀後半の社用宴会の多さを何よりよく物語るのは、国内企業が接待にあてた年間総額の巨大さである。『余暇と青少年労働者』(1962年)によると、「企業が経営をスムーズ化するのに支出する〔略〕社用交際費は、昭和三十五年度には全国(資本金二千万円以上の全企業)で一、二〇〇億円にのぼっている。これは、その年のわが国全体のレジャー消費額一兆二千億円の一割に相当する」。
会社法人の交際費は、この後も急テンポで膨張し続けた。国税庁が示した数字によると、1970年度には1兆円台、75年度には2兆円台、80年度には3兆円台に達していた(『税務統計から見た法人企業の実態』など)。
小泉信三が適切に指摘していたように、以上の社用化の進展に伴って、都市社会の酒宴は、ホスト役による富の誇示や消尽の場などではなくなる。むしろ、富のさらなる増殖をめざして、ホスト役が招待客から諸々の便宜を引き出そうとする、生産的な空間へと変貌する。
ここにおいて勤め人たちは、酒の席にあってすら、理性的かつ禁欲的に働く必要にしばしば迫られることになる。労働的な性質をおびるのは、レジャー活動全般にあてはまる傾向ではあるものの、こうした酒宴の純労働的ありようをふまえると、余暇飲酒の労働化は、他の余暇活動と比較しても、その程度がはなはだしかったと思われる。
■サラリーマンは「ほろ酔い」を好む
20世紀の都市飲酒者たちにおいて、醒めた飲み手となるための努力は、酒に強くなる訓練とは別の方向でも行われた。酒量の節制という、より現実的な方途である。
酒の量を控えめにすることで、飲酒時にも理性を堅持しようとするこの方法は、「特訓」によってどれだけ飲んでも理性を失わない身体を得るよりも、ずっと容易で科学的なものだった。
戦後の場合、世論調査や飲酒動向調査によって、節酒派の優位がより具体的に判明する。
1954年、全国の20歳以上の男女を対象とした国税庁の酒類世論調査では、「清酒を飲む者」1734人に対して1人で飲む時の「普通1回の丁度いい量」をたずねている。

職業別の結果によると、事務職も労務職も、63%の人びとが2合未満を「1回の丁度いい量」と見なしていた。つまり、微酔程度の酒量である(『酒類についての世論調査』)。
さらに時代をくだると、都市勤労者たちの「ほろ酔い」志向はいっそう明瞭になってくる。1980年、全国の30代「サラリーマン」1000人を対象とした酒量調査の結果では、「『翌日の仕事にさしつかえない量を飲む』(44.8%)や『ほろ酔い程度の量を飲む』(30.3%)という“健全型”が7割を占め〔略〕『とことんまで飲む』(4.8%)といった“暴飲型”は影をひそめがち」だったという(『先見労務管理』634号、1981年)。
■「二日酔いで翌日欠勤」は過去のもの
そのため、出勤時に二日酔いを隠す演技も、20世紀後半の勤労者たちにとってはあまり必要がなくなる。「健全型」の飲み手が大半を占めた世紀後半の会社員たちは、そもそも宿酔しなくなるからである。

1991年、第一製薬が「日頃お酒を飲むことがある」東京都内の男女会社員500人を対象にした調査では、「二日酔になる頻度は、「年に1回未満」が29.7%でトップ。次いで「年に2回」17.3%、「年に3回」12.1%、「年に5回」10.1%」という結果になっていた(『アンケート・データブック』)。
二日酔いで自主欠勤する、かつての鉱工業従事者たちの慣行も、20世紀の終わり頃までには、ほぼすたれることになる。1997年、労働省・産業医学総合研究所の原谷隆史が発表した、重工業部門の従業員の飲酒実態調査(2604人が回答)では、「2日酔いで仕事を休んだり、大事な約束を守らなかったりしたことがときどきある」という回答者は、7%しかいなかった(原谷隆史「勤労者の問題飲酒行動」)。
■20世紀の飲み手たちに普及した「節酒」
20世紀後半の都市社会で、節酒型の飲酒スタイルが完全に主流化したことの意義については、文化人類学者の石毛直道が、適切な同時代的分析(1980年)を行っている。石毛は、自制的な飲み方の歴史的な革新性を、近代的な職業倫理とからめて次のように述べている。
(石毛直道「飲み物とナルコティックス」)
つぶれるまで飲み、労働できない心身を生起させることを目途とした伝統的な飲み手たちとは反対に、20世紀の飲み手たちは、翌日の労働への配慮から、酒量をおさえ、軽微な酔いにとどめようとする。このような意味でも、節酒の普及と定着は、近代的な職業倫理に拘束された、労働従属的な飲酒様式のひろがりの重要な徴候なのだった。
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右田 裕規(みぎた・ひろき)
山口大学准教授
1973年、島根県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。山口大学時間学研究所講師を経て、現在は准教授。専門は社会学。近代社会固有の時間経験・知覚について、社会学的な視座から研究を続けている。著書に、『夜食の文化誌』(共著、青弓社)、『現代社会と時間』(共著、恒星社厚生閣)、『夜更かしの社会史』(共編著、吉川弘文館)などがある。
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(山口大学准教授 右田 裕規)
