OverTone、解散 8年間の活動に終止符を打った4人の葛藤と“有難う”

OverTone
八上和希・GUCCHI・NOWAR The 匠・アマノからなる4人組ボーカルグループ OverToneが、年内をもって活動を終了することが、去る9月6日に発表された。2017年の結成以来、一貫してセルフプロデュースにこだわり、その高い歌唱力と個性的なリリックで支持されてきた4人組。
活動終了を目前に控えた彼らが、10月1日にラストデジタルシングル「手紙」、11月2日には「ALL TIME BEST」をリリース。現在開催中の東名阪ツアー『OverTone Last Live Tour 〜8年間ありがとうございました〜』のファイナルが、11月22日に東京・原宿RUIDOで開催される。そして、12月6日の大阪・梅田CLUB QUATTROでのラストライブ『OverTone Last Live 〜倍恩〜』をもって幕を閉じる。
voisでは、グループの解散を決めた瞬間の率直な思い、そして共に過ごした日々の光と影について、メンバー4人へのインタビューを敢行した。なぜ彼らは活動休止ではなく「解散」を選んだのか--ファンへの感謝と、それぞれの未来への決意が詰まった言葉を届ける。(取材=村上順一)
突然の発表、解散に至った経緯
――突然の発表で驚かれたファンも多いと思いますが、解散はメンバーが話し合い、納得できる形で決断に至ったことだと思います。解散を決めた瞬間の思いを教えていただけますか。八上和希
解散に関してはある日突然「やめよう」となったわけではないんです。コロナ禍では何回も解散が頭をよぎったり、「でもまだ頑張れる」という波がありました。コロナ禍で心が折れかけ、音楽を仕事にはしていけないのかな、と思ったりもしました。メジャーデビューで一旦その思いはなくなったのですが、活動していく中で思うように結果が出ないということもあり、自分に嘘をついているんじゃないかと思い始めて。「これ以上続けるのは...」という気持ちが募っていきました。解散を自分で決めてから、メンバーに話そうと決断するまでは、時間がかかりました。実は僕とGUCCHIが、ほぼ同じタイミングぐらいで解散について話そうとしていたんです。GUCCHI
八上がそう思っているとは知らずに、僕もちょうど八上に話そうとしていたタイミングで、「ちょっと話そう」と八上から声をかけられて驚きました。僕は結果が出ていないこと自体は「まあ、そんなもんでしょう」と思っていて、あと一つ何かきっかけがあればドンと行く可能性はあるとは思っていました。でも、それとは別に、自分自身の問題として、ステージに立つことよりも、裏で曲を作っている時の方が「自分のやりたいことだ」という思いがどんどん強くなってきたんです。それと同時にチーム内の「頑張ろうぜ」という士気も薄れてきて。NOWAR The 匠
コロナ以降、チームの勢いが確実になくなっていたのを感じていました。全員が「このまま進んでいくと解散というのも見えてくるぞ」と思っていたとは思います。でも、口に出してしまうと現実味を帯びてくるので、僕はずっと胸に秘めて活動していました。僕らは「誰かが抜けたらOverToneは解散」という認識があったので、GUCCHIから抜けたいという話を聞いて、決意が固まっているのを感じ、「いよいよか」と受け止めました。そこから解散を発表するまでの間、お客さんの前で「ライブに来てください」「僕ら頑張ります」と言わなければならないのが、すごく心苦しかったです。最終的には「今まで信じてついてきてくれてありがとう」という一心で、全力でライブをやるしかない、と思うようになり、少し気持ちが楽になりました。アマノ
数年前から解散という言葉はちょくちょく出ていたのは事実です。僕は匠くんから解散の話を聞いたんですが、「あ、解散か」とすんなりと入ってきたというか、驚きはなかったです。「ついに来てしまったか...」という感覚に近いかもしれないです。
――活動休止ではなく、「解散」という道を選んだのはなぜでしょうか。八上和希
はっきりさせたかったというのもあります。活動休止は、ファンの方に期待を持たせてしまうことになりますし、どこかで活動再開するという約束になってしまいます。それなら、最初から解散ときっぱり言っておいた方がいいのかなと思いました。アマノ
OverToneのメンバーは、音楽を辞める、あるいは別の道で生きていくと決めたら、その思いは覆らないと思うので、そこはきっぱり解散、という感覚です。
8年間のハイライトとターニングポイント
――8年間の活動を振り返って、皆さんの中で最も印象に残っている出来事、ハイライトはどこですか?八上和希
僕は結成当初の記憶が強いです。いつもGUCCHIの家で曲を作っていて、集中力が切れてきたら近所のアミューズメント施設に行ってボーリングなどをしていました。純粋に友達としてはもちろん、仕事仲間としてもいい関係であったので、すごく楽しくて記憶に残っています。NOWAR The 匠
最近のことになりますが、前回のツアーの福岡公演です。リハーサル中に八上が急激な腹痛に襲われて病院に行くことになり、本番は八上以外の3人で迎えることになりました。歌割りもその場で振り分けなければならず大変でしたが、アンコールの最後に八上が戻ってくることができ、4人で「M7」という曲をワンフレーズ歌ったのですが、ファンの方としては安心感もあったと思うし、特殊な良い思い出になりました。GUCCHI
メジャーデビューが決まったときのライブです。大阪でライブをしたのですが、僕の中でメジャーデビューはスタートであり、一つのゴールとしてそこを目指してやっていたので、初めてステージ上でおえつが出るぐらい泣いてしまいました。それがすごく恥ずかしかったのですが、とても達成感と安心感があり、忘れられない思い出です。アマノ
昔、ツアー先でドミトリー(共同部屋)に泊まることが多かったのですが、メンバーが裸で僕のベッドの中に入ってきたときのことです。僕は日頃そういう悪ノリに参加しないタイプなんですけど、カーテンを開けたら全員が裸で僕のベッドの中にいて、僕はそれを見てめちゃくちゃ爆笑してしまって。メンバーからも「こんな爆笑してるアマノ初めて見た」と言われ、それがすごく印象に残っています。八上&GUCCHI&匠
覚えてないなあ(笑)
――(笑)。8年間の活動の中で、皆さんのターニングポイントとなった一曲を教えてください。八上和希
僕は「陽炎」です。すごく好きな曲でコロナ禍でその時思っていたことをそのまま書いた曲で、「頑張ってステージに立ち続けるぞ」という意思のある曲なんです。メジャーデビュー前に書いて、それをメジャーデビューしてから出した曲なので、泥臭さもあって思い入れが強い曲です。NOWAR The 匠
メジャーデビュー曲の「ゼロ」です。僕が楽器もできない状態でデモを作り、それをみんなに聴いてもらった時に「これいいやん」となって、それがすごいクオリティで出来上がって、しかもメジャーデビュー曲にしてもらえました。とても嬉しく、印象に残っている一曲です。GUCCHI
自分のターニングポイント的なことで言うと「最初で最後の」です。初めて外部の作家さんに書いてもらった曲なんです。シンガーソングライターとしては第三者に書いてもらった曲を歌うことに抵抗はあったのですが、いざやってみると様々な発見があり、自分にないものをもらって自分のエッセンスも入れていく、という作り方を初めて経験しました。この経験が、今後やっていく作家としての活動にとって良かったなと思っています。アマノ
「M7」です。先輩のベリーグッドマンさんのワンマンライブでオープニングアクトとして出させていただいた時に「M7」を歌い、それがメジャーデビューに繋がる大きなキーになったのかなと思っています。あの曲でメジャーデビューが決まったと言っても過言ではないぐらい、ターニングポイントの一曲です。
ラストシングル「手紙」に込めた想い
――ラストシングル「手紙」を制作するにあたり、それぞれどのような思いを込めましたか。八上和希
今回は久しぶりに自分で自分のパートを書くことになりました。初心に帰るというか、何のためにOverToneを始めたのか、何のために歌を始めたのかというところから考えたんです。この8年間で自分自身、人間的にもすごく変わったことや、メンバーと出会えたこと、全ての運命にものすごく感謝して書きました。ただ、やっぱり最後ということで、言葉がまとまらない、何を書いていいか分からないというところがありました。書いている時は頭が真っ白で、ファンの人たちへの感謝が大前提としてあるのですが、解散を発表した時のファンの人たちの気持ちを考えると、「申し訳ないな」という思いが頭を占めていました。NOWAR The 匠
サビをGUCCHIが作ってきてくれた時に、やはり「有難う」しか結局出てこないよね、という話をメンバー間でもしていました。久しぶりに自分で作ってみて、曲の短い時間の中に8年間の全てを伝えるのは無理だと思い、ただただ「有難う」という言葉に想いを直球で込めました。あなたたち(ファン)と歩んできたこの8年間は絶対に間違ってなかった、ということをしっかり伝えたかったんです。
――歌詞の「ありがとう」が<有難う>と漢字だったのも重さを感じました。GUCCHI
漢字の「有難う」は、このグループじゃなかったら経験できなかったことや思えなかった感情があり、「有難い人生だな」という意味を込めてあえて漢字にしました。最後なのに「今までありがとうございました」と言うのが、なんかちょっと違うんじゃないか、軽すぎないかという思いがあって...。最初は「有難う」という言葉すら使わないようにしようかとすごく悩んだのですが、この言葉に尽きるのかなと思い、「有難う」を伝える曲にしようと決めました。音楽人生にしてくれたという意味で、よく聞く言葉だけどできるだけ重く、より伝わればという思いで書きました。アマノ
僕も曲の短い時間の中でどういう言葉で伝えるのがいいのか、とても悩みました。結果的に自分が担当したパートを見たら、気づけば申し訳ない気持ちが滲んでしまったのかなと思います。今までの活動でいろんな言葉を伝えてきましたが、結果的に解散という形になり、結果を見せられなくて申し訳ないという気持ちが強く出ました。
――アマノさんは、「手紙」のミュージックビデオ(MV)の監督を務められたそうですね。どのような作品にしたいと考えていましたか。アマノ
ファンの方への感謝と、今までの記憶を振り返れるような作品にしたい、という思いがありました。ただ最後の作品なので、内向的になりすぎるのもOverTone的には違うかな、というのもあったので、ファンの方が見て「こういうこともあったよね」と振り返れるシーンもありつつ、最後はちょっと微笑ましい表情で終われる作品にしたいなと思いました。個人的なハイライトは、匠くんのCメロのブリッジのところで、今までの思い出の写真が映るシーンです。そこに反応してくれるファンの方が多くて嬉しかったです。
OverToneで得たもの、そしてラストライブへ
――8年間の活動を通じて、OverToneで得たもの、ご自身にとって最も大きかったものは何ですか?八上和希
一番得たものとして大きかったのは、性格が丸くなったかもしれない、ということです。昔は針金みたいに尖っていたというか。今は感情のコントロールが上手になったんじゃないかと思います。3人を見て、自分を押し通すだけではだめだと学びました。僕の代わりにみんなが大人でいてくれていたんだと思います。GUCCHI
仲間です。僕は過去にソロでやっていた時期もあったのですが、楽屋での孤独感が解消されたことが大きいです。チームメイトってこんなにありがたい存在なんだっていう、安心感を得られました。仲が悪くなくて本当に良かったなと思います。NOWAR The 匠
ステージ上でおどおどしなくなったことです。OverToneの前はソロや別のユニットで活動していて、MCとか喋るのが本当に苦手でボロボロだったんですが、OverToneの他の3人が喋るのが達者なので、ついていかなければという意識から、徐々にステージ慣れして、パフォーマンスができるようになったかなと思います。アマノ
僕はOverToneで音楽を始めたので、活動の全てが僕にとって得たものでした。特に人前で堂々とできるメンタルが身についたことが大きいです。結成当初はクールで喋らないキャラだったのですが、今ではライブでMCや煽りを担当するようになり、MCで噛んでも気にしない(笑)。それぐらい堂々としていれば笑いに変えられるということを学びました。このメンタルはOverToneだからこそ得たものだと思います。
――12月6日、梅田CLUB QUATTROでラストライブ『OverTone Last Live 〜倍恩〜』が行われます。どんなライブにしたいですか。NOWAR The 匠
いつもどおりの姿勢ではいるのですが、本当に最後になるので、できるだけ来てくださった一人ひとりを自分の目に焼き付けたいです。また、このメンバーで歌えるのも最後なので、自分がメンバー3人と歌うことを何より楽しんでやりたいと思っています。GUCCHI
感謝を伝えるということも含めて、最後ぐらいは“自分のため”という感覚でやってもいいんじゃないかな、と思っています。まずは自分が一番楽しむとか、達成感を得る。そういう感覚で終えられたらと思います。アマノ
お客さんに楽しんでもらうとか感謝を伝えるというのは大前提なんですが、最後は目一杯楽しみたいので、自分たちの好きなことをやりたいと思っています。僕らが楽しんでいたらお客さんも楽しんでくれるはずなので、とにかく好きなことをやってやろうって。伝えたいことをしっかり伝えて、最後はみんな笑顔で終われたらいいなと思っています。八上和希
OverToneとして本当に最後のライブなので、まずは後悔のないように8年間の全てを出し切りたいです。メンバーとのステージ上での掛け合いも含めて、最後のステージをちゃんと噛みしめたいです。解散は悲しいことですが、いつも通りの楽しいライブをして、すごくハッピーな気持ちで帰ってもらえるようなステージにします!(おわり)
