「俺は何をやってるんだ」伊藤涼太郎を奮起させた三笘らの活躍。水戸や新潟ではかけがえのない出会いも
もともと「類まれなサッカーセンスを持つアタッカー」と評されながら、ブレイクするまで長い時間を要したわけだが、彼の中ではいくつかの転機があった。
それでも伊藤は「試合に出たい」という一心でJ2に身を投じる決断をしたという。
「もちろんJ1にいたい気持ちはありましたし、J2に行くことに多少なりとも抵抗はありました。実際、浦和には槙野(智章)君や関根(貴大)君みたいな面倒見の良い先輩もいましたし、特に槙野君は試合に出られない時に相談に乗ってくれたり、アドバイスもしてくれた。本当に良い環境だったので、残りたいという思いも皆無ではなかったと思います。
だけど、浦和で試合に出ていない自分は何の価値もない選手だとも痛感した。2020年の東京五輪出場を目ざそうと思うなら、カテゴリーを下げてでも試合に出るべきだという気持ちが強くなり、水戸からオファーを受けてすぐに行こうと決めました。
水戸はハングリー精神を持った選手がたくさんいるクラブで、若手を伸ばそうというサポート体制も優れているクラブ。ベテラン選手たちもすごく気持ち良くプレーさせてくれました。
そこで細川淳矢さんや本間幸司さんといった先輩たちに出会ったのは、僕にとってすごく大きかったですね。
本間選手は大ベテランですけど、プロとしての姿勢を日々、体現していた。オンとオフのメリハリもしっかりしていて、若手との意思疎通も密に取ってくれた。『長くプロサッカー選手を続けるのは、こういう人間性の人なんだな』と学ばせてもらった。自分自身も変わるきっかけになったのかなと思います」
伊藤は水戸2年目の2018年に34試合出場・9ゴールという好成績を残しているが、単に試合に出られるようになっただけでなく、周囲から良い刺激を受け、人としても成長したからこそ、数字がついてきたのだろう。
【PHOTO】2023年夏に欧州で新天地を求めたサムライたち
翌2019年の大分、2020年の浦和では再び壁に直面。苦しんでいる時に大卒1年目の三笘薫(ブライトン)や旗手怜央(セルティック)ら大卒1年目のスターたちが一世を風靡した。とりわけ、三笘の目覚ましい活躍は、伊藤にとって大きな衝撃に他ならなかったようだ。
「三笘選手のことは、自分が水戸にいた頃、筑波大学と何度か練習試合をさせてもらった関係で知っていたし、同じピッチで戦いました。その頃は今ほど別格な存在ではなかったように感じたし、U-21日本代表に行っても試合に出たり、出なかったりだったと思います。
それが2020年の川崎では凄まじい存在感を示した。その姿を見て正直、『俺は一体、何をやってるんだ』と焦りを感じたのは確かです。東京五輪が1年ズレたのもありましたけど、『このままじゃいけない』と思って、2021年に再び水戸へ行きました」
伊藤が水戸へ2度目のレンタルに赴いた頃、日本では自国開催の東京五輪が行なわれていた。旗手、前田、三笘、林大地(ニュルンベルク)と同い年の面々が代表に名を連ね、堂安律(フライブルク)や上田綺世(フェイエノールト)、久保建英(レアル・ソシエダ)ら年下の選手たちも世界の強豪相手に真っ向勝負を演じていた。
夢だった五輪に手が届かなかった伊藤は、彼らの一挙手一投足を目の当たりにして危機感を募らせたという。
「東京五輪と2022年カタール・ワールドカップが、僕にとっての2つ目のターニングポイントだったと言っていいかもしれません。2つの世界大会で同世代の選手たちが活躍しているのを見て、『自分は何をしているんだろう』と考えさせられましたね。
僕の場合、自分が思い描いたプロサッカー人生とは、まったく違う厳しいキャリアを強いられましたけど、やっぱり彼らに追いつくためには何かを変えないといけないと強く思った。あの悔しさが自分を奮い立たせてくれたのは間違いないですね」
2022年の伊藤は新潟に新天地を見出し、J1昇格請負人として大きな期待を背負いながらピッチに立っていた。松橋力蔵監督からの期待は大きく、伊藤の攻撃センスを引き出すべくチームを構成してくれた。
その出会いがなかったら、今の彼もなかった。新潟での1年半は伊藤という逸材を本物のアタッカーに仕上げてくれた期間だったと見ていいだろう。
「松橋監督は本当に自分のプレースタイルに合うサッカーをしてくれたし、良い意味で自由を与えてくれました。僕自身は弱点を克服することも大事だと思いますけど、それ以上に自分の良さである攻撃面を伸ばすことが重要だと思っていた。
それをプロになってからずっと諦めずにトライし続けてきたんです。そういった考え方や方向性を、松橋さんや新潟というクラブに認めてもらえて、良い部分を引き出してくれたからこそ、結果を出せたのかなと思います。
松橋さんも元選手で、試合に出られない時期もあったみたいなんですけど、『悔しい気持ち、不完全燃焼感を本当にぶつけるのはピッチの上しかない』というのは僕にずっと言い続けてくれた。2022年のJ2で全試合に出してもらいましたけど、たまにスタメンから外れた時なんかは、ものすごく悔しかった。
『それを俺にぶつけるのもいいけど、やっぱりピッチの上で出せ』と言われたら闘志も湧いてくる。僕の様々な思いを受け止めてくれたことに心から感謝しています」
こうして1年でJ1昇格を果たし、2023年のJ1では伊藤の真価を示すことができた。その活躍がSTVVの立石敬之CEOやトルステン・フィンク監督の目に留まり、長年の夢だった海外挑戦の権利を手に入れた。
これでようやく三笘や旗手、前田ら同い年の選手と同じ土俵に立った伊藤。彼のようにスタートが遅かったとしても、25歳を過ぎて急成長を遂げていく選手は少なくない。
同じベルギーから大きく羽ばたいた遠藤航(リバプール)、伊東純也(スタッド・ドゥ・ランス)のような軌跡を辿ることも、決して夢ではないのである。
※第2回終了(全3回)
取材・文●元川悦子(フリーライター)
