京都のスリナム代表GKヴァルネル・ハーンの知られざるキャリア。16歳で名門アヤックスに入団も居場所を失い、スウェーデンでは受け入れ難い現実も…
ヨーテボリの地元紙『ヨーテボリ・ポステン』のインタビューなどを引用しながら、日本に来るまでの歩みを紹介したい。
10代前半で頭角を現し始めたハーンは、2008年、16歳でスパルタ・ロッテルダムからアヤックスに加入。世界有数のアカデミーの門戸を叩いたが、競争は熾烈だった。ハーンは当時についてこう振り返っている。
「(アヤックスに加入して)ビッグな存在になれるかもしれないと思ったけど、その道のりはまだまだ遠かった。アヤックスは誰もが知るクラブで、そのアカデミーとなると非常にタフだったよ。充実はしていたけど大変なことも多かった。
ほかのクラブとの争いだけでなく、チーム内の競争も大変だったんだ。チームメイトは友人でありながら、一方で強大なライバルでもあり敵でもあった。常にポジション争いにさらされていた。一人の若者にとっては厳しい環境だったよ」(ヨーテボリ・ポステン紙)
アヤックス在籍時にオランダの年代別代表でゴールマウスを守ることもあったが、クラブレベルでは困難な日々が続く。のちにオランダ代表の正守護神として活躍するヤスパー・シレッセンらとのポジション争いは苛烈を極めた。
結局、本人曰く「単なる実力不足」によって徐々に居場所を失い、トップチームの試合に出場することなく2012年にアヤックスを離れる。その後、ドルトレヒト、フェイエノールト、ズウォーレ、エクセルシオール、ヘーレンフェーン、アンデルレヒト(ベルギー)、ゴーアヘッド・イーグルスと渡り歩く。ドルトレヒト時代にはローマ、ラツィオ、セルティックといったクラブから熱視線を浴びたこともあった。
ゴーアヘッドとの契約を終えたハーンの新天地はスウェーデンだった。2022年2月、同国1部アルスヴェンスカンのヨーテボリと1年の延長オプション付きの1年契約を結ぶ。後述するが、この契約内容がのちにハーンのヨーテボリにおける立ち位置に影響を及ぼすことになる。
ヨーテボリでのデビュー戦は散々だった。ロコモティフ・モスクワとのトレーニングマッチに先発出場したが、契約した次の日の試合ということもあってコンディションが整っていなかったため、4失点を喫してしまう。うち2点はハーンの対応が原因で、「ヨーテボリのGK補強は失敗か」という声がメディアの間で囁かれた。
だが公式戦が始まるとハーンは徐々に実力を発揮する。リーグ戦30試合のうち26試合に出場し、9回のクリーンシートを達成。リーグの最優秀GKにもノミネートされた。とはいえ、「奇妙な一年だった」と本人が回顧しているように、ヨーテボリでのシーズンは決して一路順風ではなかった。
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リーグ戦の中盤に差し掛かったころ、ハーンは今後についてクラブ側と話し合うことになった。ヨーテボリは1年延長オプションの行使を希望したが、ハーンの考えは違った。自身のパフォーマンスのみならず、家族含めてヨーテボリでの生活に満足していたこともあり、複数年の長期契約を望んだ。
こうしたハーンとクラブの齟齬が影響を及ぼしたのかどうか不明だが、両者による話し合いから約1か月後の8月、ヨーテボリはGKポントゥス・ダールベリを補強する。スウェーデン代表歴があり、かつ将来を嘱望されるこの24歳が加入したことで、ヨーテボリにはリーグでトップレベルのGKが2名在籍することになった。
ハーンか、ダールベリか。正守護神としてヨーテボリが選んだのは後者だった。将来を見据えての起用だった。そのためハーンは、リーグ終盤の第25節以降は1試合を除いて控えに回ることを余儀なくされた。
ハーンは「出場機会がないのは、パフォーマンスが原因ではない。僕はリーグでも指折りのGKだからだ。サッカーは時に政治が絡むこともある」と心情を吐露している。クラブが長期的な視点を持って若手を起用するのはよくある話ではあるが、質の高いプレーを見せながら正GKの座を奪われたとあって、ハーンにとっては受け入れ難い現実だった。
結局、1年延長のオプションを使うことなく、当初の契約通り1シーズンでヨーテボリを去ることになった。そして今年、京都の一員となったのである。
オランダで研鑽を積み、スウェーデンリーグ屈指の守護神と謳われたハーン。どのようなプレースタイルの持ち主なのか。ハーンは自身の特徴についてこう述べている。
「足下の技術がある。その点に関してはオランダ人っぽいかもね。1対1に強く、クロスの処理も得意だ。長めのボールを蹴ることもあるけど、守備を統率するのも好きだ」
足技に関してはヨーテボリ時代にも高く評価されていた。ハーンはアヤックス時代に「魅力的なサッカーは最終ラインから始まる」という考えを学んで実践してきたそうだ。ボールを正確に扱う能力はその時に培ったのだろう。
また、積極的にビルドアップに関与するだけでなく、正確無比のフィードでカウンターの起点にもなる。前任者の上福元直人と同じタイプと言えるだろう。
ハーンを語る上で欠かせない要素がもうひとつある。ヨガだ。
近年、モハメド・サラーやロベルト・レバンドフスキなど、トレーニングにヨガを取り入れている選手は少なくない。ハーンもそのひとりで、ヨガの講師をしている妻マリットさんの影響でヨガに取り組んでおり、「妻の影響もあってヨガは好きだ。ヨガのおかげで選手として成長できる」と語っている。
昨シーズンまでヨーテボリでGKコーチを務めていたステファン・レムネールは、ハーンについて「身体能力が著しく高いGK。しなやかで無駄のない動きと規格外のプレーを併せ持つ」と評価していた。ヨガがGKとしてのハーンを形成していることは間違いない。
ここまでハ―ンのキャリアを振り返ってきたが、ここで彼の内面に付いても触れておきたい。筆者は、ハーンを知る人物に連絡を取った。かつてサンフレッチェ広島とアビスパ福岡に在籍したエミル・サロモンソンだ。現在はヨーテボリに在籍するサロモンソンは、昨シーズンを共に過ごしたハーンについてこう述べている。どうやら、陽気で茶目っ気のあるキャラクターの持ち主のようだ。
「ヴァルネルはいつもよくしてもらったよ。僕はヨーテボリから1時間かかる場所に住んでいるんだけど、外で夕食をともにしたことがあった。あのときは寿司を食べたよ。翌朝はチームの練習があったんだけど、ハーンは僕を泊めてくれてね。おかげで、あの日は車で家に帰らずにすんだよ。それに、ハーンは四六時中冗談ばかり言っている。僕のことを『ジャパニーズ・ネイマール』と呼んでいるんだ(笑)」
最後に、スリナムについても触れておきたい。南米大陸の北東部に位置する(サッカー協会は北中米・カリブ海サッカー連盟に所属)人口約60万の国は、16世紀から17世紀にかけて起きたオランダとイギリスによる争いを経て、1667年にオランダの植民地になった。1975年に独立したが、その後もオランダとの関係は強く、公用語はオランダ語である。
また独立に際して、オランダ国籍またはスリナム国籍を選択することになり、多くの人がより良い生活を求め、オランダ国籍を選択してオランダに移住した。オランダといえば、ルート・フリット、フランク・ライカールト、パトリック・クライファート、フィルジル・ファン・ダイクなど、過去から現在まで数多くのスリナム系名選手を輩出している。
ヨーテボリ時代に、ある名物サポーターがスタジアムでスリナムの国旗を掲げたことがあった。ハーンは後日、「一人の選手のために国旗を購入してくれるなんて尊敬しかない。とても心に響いたよ。スリナムのルーツを持っていることを誇りに思う。サッカーの素晴らしい点だ」と語っていた。
不本意なかたちでヨーテボリを去ることになったハーンだが、京都では一年でも長くプレーしてほしい。
文●鈴木肇
