中日ドラゴンズが応援歌の「お前」という歌詞をやめさせたのは時代の変化としてあり得ることなので、諦めて「あなた」に変更すべき件。
「お前」じゃなく「あなた」なら多分OKです!
「今年の中日は何と戦ってるんだ…」と野球ファンを慄かせながら、順位そっちのけでいろんなものに咬みついている中日ドラゴンズが、今度は応援歌の歌詞に咬みつきました。曰く、チャンスのときに応援団が歌うチャンステーマの歌詞に『お前』というフレーズがあるのが気にいらないのでやめろ、とのこと。「そ、そ、そこかー」と驚かざるを得ませんが、応援団のみなさまにおかれましては今後とも頑張って応援をつづけていってもらいたいと心からお祈りします!
↓問題とされたのはピンクレディーの『サウスポー』をもとにした、コチラのチャンテです!
(みなぎる闘志を奮い立て)
(お前が打たなきゃ誰が打つ)
オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!
(レッツゴー●●)
オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!
(レッツゴー●●)
みなぎる闘志を奮い立て
お前が打たなきゃ誰が打つ
今、勝利を掴め
(オイ!オイ!●●)
↓子どもたちも観戦しているなかで、選手を「お前」と呼ぶのはいかがなものか、とのことです!
昭和の時代には子どもたちが見ている前で相手選手等を殴っていた球団が!
はたしてコレは問題なのでしょうか。僕個人としては「今のところはまだ問題はない範囲だが、気持ちはわかるし、中日がそう言うのならしゃーない」という感覚です。こう言うと「お前も球団の犬か!」と怒られそうですが、こういった考え方は現代においてどんどん広まっているように思うのです。
確かに「お前」という言葉自体には罪はありません。そもそもが「御前」という相手を敬った表現であった言葉でもあり、日常でも使う範囲のものでしょう。ただ、語源はさておき現代においては「相手を見下す」あるいは「相手への敬意を欠く」表現であることは確かです。職場の上司や学校の先生に「お前」と呼びかけることはまずないでしょう。それはこの言葉が「見下す」ようなニュアンスで使われてきたからです。語源はともかく、今はそういうニュアンスを帯びています。「貴様」「おのれ」「てめぇ」などもそうですね。荒っぽく使えば、荒っぽい言葉になるのです。
その言葉が応援歌に使われているとき、歌うのがイヤだなぁ、共感できないなぁと思う人はいるでしょう。数は少ないかもしれませんが、「みんなで一緒に歌う曲ですよ」「選手に向かって送るメッセージですよ」と言われたときに、「イヤだなぁ」「共感できないなぁ」と思う人はいるのです。勝手に自宅で歌っているぶんには「ふーん」と思うだけでも、自分も共有する空間においてそれを「聞かされる」「歌わされる」のはイヤだなぁと思う気持ち、そういう気持ちが存在することは否定できないのです。「我慢で帳尻を合わせるのは止めよう」が現代日本のトレンド。「歌いたい」気持ちが尊重されるように、「イヤだなぁ」もまた尊重されるのが現代日本なのです。
僕個人は今回の中日のチャンテは「イヤだなぁ」とまでは思わないのですが、「イヤだなぁ」と思っている応援歌もあります。特定のどれ、ということではないのですが「俺たち」系の応援歌がどうにも苦手なのです。「俺たちの誇り」「俺たちがともに進む」「俺たちがついてるぞ」的なヤツですが、僕は自分のことを「俺」とは言わない派ですし、その「俺たち」という言葉にこめられたマッチョ感というかオスっぽさが苦手なのです。「オス専用」みたいな歌詞じゃないですか。もちろんそれは僕が「イヤだなぁ」と思っているだけで、そうじゃない人もいるでしょうし、「勝手にイヤだなぁと思ってろ」というマッチョ反応なのだとは思いますが、とにかくイヤなのです。言葉自体に問題はなくとも、込められたニュアンスに対する「イヤだなぁ」はあるのです。
そういった「イヤだなぁ」という感覚を持つ少数の人が中日ドラゴンズの上のほうにいた。そして、中日ドラゴンズは事実上「応援団の存在に許可を出す立場」にあります。応援団方式による応援は日本プロ野球機構によって「許可」されて実施されているもので、機構側の一存でいつでも取り消すことができます。中日が「絶対イヤ」と言ったら機構も「了解!取り消しますね!」となるのは必定。そういった強い「権利」を持っている側に「イヤだなぁ」と思う人がいて、「『お前』はやめろ」と言ってきたならやめざるを得ないでしょうし、やめろと言うことには一定の正当性があります。自分たちが運営する自分たちの試合なのですから、自分たちの「イヤだなぁ」が最優先で通っていいはずです。「表現の自由」を尊重しつつも、「我々の管理する場では、我々のイヤだなぁが最優先である」は不当な主張ではないでしょう。「表現の自由」と「イヤだなぁ」は共存並立するのです。
↓与田監督も「イヤだなぁ」と思っているようなので、まぁ、やめるしかないんじゃないですかね!
来年は監督が代わって球団の気持ちも変わるかもしれませんが!
とにかく今年はやめときましょう!
先ほどのマッチョ感の話に戻りますが、やはりこの「お前」的な言い方もマッチョだなとは思います。古きよきプロ野球オヤジたちのフレーズだなと思います。「お前」がダメって言われたときに、「あなた」なら文字数も変わらず、不敬のニュアンスも比較的弱く、即座に変更できるのにそうしないのは、マッチョ感が失われるのがイヤなんですよね。「選手を『お前』と呼んで鼓舞する」雰囲気が好きなんですよね。一緒に戦っているみたいな気がして。
女性や子どもたちも積極的に取り込み「ボールパーク」を目指そうというプロ野球の変化にともない、そういったマッチョ感は合わなくなってきていますし、変わっていくべき部分なのでしょう。いわゆるTPO。公式の場にTシャツ・ジーパンで行かないように、みんなのボールパークにマッチョの居場所はないのです。中日ドラゴンズはそうした変化をいち早く自覚した、ということなのかもしれません。
そのうち選手の「呼び捨て」にも疑問の目が向くかもしれません。僕個人としては問題には思いませんし、むしろアレは「個人ユニット名(※T.M.Revolutionとかみたいな)」なので呼び捨てのほうがしっくりきます。「田中」という名前の人物が、「田中」というユニットとなってパフォーマンスをしている。そのときの「田中」は商品名であり、人物と切り離された呼称ですので、「試合中は呼び捨て、実際に話すときにはさん付け」は納得感のある使い分けだと思います。
ただ、それも「呼び捨てによる見下し」のニュアンスを帯びるようになれば、イヤだなぁと思う選手も出るでしょう。試合中もさん付けとなれば煩わしいですが、どうしても呼び捨てがイヤなら登録名を「田中さん」にして強制する手だってあります。これもまた時代の変化として、将来的には起こり得ることだと思います。
↓サッカー界で一番呼び捨てが似合う選手ですら、街中とか練習場では「さん付け」にしてほしいと言っています!
「えー」
「つけたくない」
「槙野にさん付けは何かイヤ」
「自分が下になったみたいな気がする」
「なら、ソッチは様で呼ぶべき」
「コッチは『槙野さん』と呼び」
「ソッチが『お客様』と呼ぶ」
「それなら認めてやってもいい」
「まず、お客様と呼べ!」
「試合中も街中でも練習場でも!」
僕は、最終的に応援というものは「名前」と「拍手」だけで成立すると思っています。そのふたつには激励も叱咤も感謝も賞賛も落胆も、すべての感情が込められます。用途としては十二分です。個人の「イヤだなぁ」をどんどん尊重していった未来においては、公の場での応援は「田中さーん!パチパチパチパチ」だけになるかもしれませんが、まぁそれはそれで楽しむことはできるでしょう。「下手くそ!」系の応援(野次)はヒメゴトとしてコッソリ楽しむ時代が、近くまできているんでしょうね。
↓ということで、「一歩先行く球団」としておなじみの楽天イーグルスより、未来の応援歌をどうぞ!
「GO」と「名前」だけで応援歌は作れる!
さすが楽天、未来野球団!
ついでに「俺たち」系の歌詞も全部「ミーたち」に変えといてください!
「今年の中日は何と戦ってるんだ…」と野球ファンを慄かせながら、順位そっちのけでいろんなものに咬みついている中日ドラゴンズが、今度は応援歌の歌詞に咬みつきました。曰く、チャンスのときに応援団が歌うチャンステーマの歌詞に『お前』というフレーズがあるのが気にいらないのでやめろ、とのこと。「そ、そ、そこかー」と驚かざるを得ませんが、応援団のみなさまにおかれましては今後とも頑張って応援をつづけていってもらいたいと心からお祈りします!
(みなぎる闘志を奮い立て)
(お前が打たなきゃ誰が打つ)
オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!
(レッツゴー●●)
オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!オイ!
(レッツゴー●●)
みなぎる闘志を奮い立て
お前が打たなきゃ誰が打つ
今、勝利を掴め
(オイ!オイ!●●)
↓子どもたちも観戦しているなかで、選手を「お前」と呼ぶのはいかがなものか、とのことです!
中日応援歌「サウスポー」が自粛に どこが「不適切なフレーズ」なのか、球団に聞くと...#dragons #サウスポー #ドラゴンズ #中日ドラゴンズ #応援歌 https://t.co/Ok688d8FSo
- J-CASTニュース (@jcast_news) 2019年7月1日
昭和の時代には子どもたちが見ている前で相手選手等を殴っていた球団が!
今や中日ドラゴンプライアンズに!
はたしてコレは問題なのでしょうか。僕個人としては「今のところはまだ問題はない範囲だが、気持ちはわかるし、中日がそう言うのならしゃーない」という感覚です。こう言うと「お前も球団の犬か!」と怒られそうですが、こういった考え方は現代においてどんどん広まっているように思うのです。
確かに「お前」という言葉自体には罪はありません。そもそもが「御前」という相手を敬った表現であった言葉でもあり、日常でも使う範囲のものでしょう。ただ、語源はさておき現代においては「相手を見下す」あるいは「相手への敬意を欠く」表現であることは確かです。職場の上司や学校の先生に「お前」と呼びかけることはまずないでしょう。それはこの言葉が「見下す」ようなニュアンスで使われてきたからです。語源はともかく、今はそういうニュアンスを帯びています。「貴様」「おのれ」「てめぇ」などもそうですね。荒っぽく使えば、荒っぽい言葉になるのです。
その言葉が応援歌に使われているとき、歌うのがイヤだなぁ、共感できないなぁと思う人はいるでしょう。数は少ないかもしれませんが、「みんなで一緒に歌う曲ですよ」「選手に向かって送るメッセージですよ」と言われたときに、「イヤだなぁ」「共感できないなぁ」と思う人はいるのです。勝手に自宅で歌っているぶんには「ふーん」と思うだけでも、自分も共有する空間においてそれを「聞かされる」「歌わされる」のはイヤだなぁと思う気持ち、そういう気持ちが存在することは否定できないのです。「我慢で帳尻を合わせるのは止めよう」が現代日本のトレンド。「歌いたい」気持ちが尊重されるように、「イヤだなぁ」もまた尊重されるのが現代日本なのです。
僕個人は今回の中日のチャンテは「イヤだなぁ」とまでは思わないのですが、「イヤだなぁ」と思っている応援歌もあります。特定のどれ、ということではないのですが「俺たち」系の応援歌がどうにも苦手なのです。「俺たちの誇り」「俺たちがともに進む」「俺たちがついてるぞ」的なヤツですが、僕は自分のことを「俺」とは言わない派ですし、その「俺たち」という言葉にこめられたマッチョ感というかオスっぽさが苦手なのです。「オス専用」みたいな歌詞じゃないですか。もちろんそれは僕が「イヤだなぁ」と思っているだけで、そうじゃない人もいるでしょうし、「勝手にイヤだなぁと思ってろ」というマッチョ反応なのだとは思いますが、とにかくイヤなのです。言葉自体に問題はなくとも、込められたニュアンスに対する「イヤだなぁ」はあるのです。
そういった「イヤだなぁ」という感覚を持つ少数の人が中日ドラゴンズの上のほうにいた。そして、中日ドラゴンズは事実上「応援団の存在に許可を出す立場」にあります。応援団方式による応援は日本プロ野球機構によって「許可」されて実施されているもので、機構側の一存でいつでも取り消すことができます。中日が「絶対イヤ」と言ったら機構も「了解!取り消しますね!」となるのは必定。そういった強い「権利」を持っている側に「イヤだなぁ」と思う人がいて、「『お前』はやめろ」と言ってきたならやめざるを得ないでしょうし、やめろと言うことには一定の正当性があります。自分たちが運営する自分たちの試合なのですから、自分たちの「イヤだなぁ」が最優先で通っていいはずです。「表現の自由」を尊重しつつも、「我々の管理する場では、我々のイヤだなぁが最優先である」は不当な主張ではないでしょう。「表現の自由」と「イヤだなぁ」は共存並立するのです。
↓与田監督も「イヤだなぁ」と思っているようなので、まぁ、やめるしかないんじゃないですかね!
「お前が打たなきゃ誰が打つ」は好ましくない表現 中日の応援歌「サウスポー」使用自粛 与田監督も疑問視#サウスポー #中日ドラゴンズ #応援歌
- 中日スポーツ (@chuspo) 2019年7月1日
#お前が打たなきゃ誰が打つhttps://t.co/BtN84RRlD9
来年は監督が代わって球団の気持ちも変わるかもしれませんが!
とにかく今年はやめときましょう!
変更するなら「あなた」でどうぞ!
先ほどのマッチョ感の話に戻りますが、やはりこの「お前」的な言い方もマッチョだなとは思います。古きよきプロ野球オヤジたちのフレーズだなと思います。「お前」がダメって言われたときに、「あなた」なら文字数も変わらず、不敬のニュアンスも比較的弱く、即座に変更できるのにそうしないのは、マッチョ感が失われるのがイヤなんですよね。「選手を『お前』と呼んで鼓舞する」雰囲気が好きなんですよね。一緒に戦っているみたいな気がして。
女性や子どもたちも積極的に取り込み「ボールパーク」を目指そうというプロ野球の変化にともない、そういったマッチョ感は合わなくなってきていますし、変わっていくべき部分なのでしょう。いわゆるTPO。公式の場にTシャツ・ジーパンで行かないように、みんなのボールパークにマッチョの居場所はないのです。中日ドラゴンズはそうした変化をいち早く自覚した、ということなのかもしれません。
そのうち選手の「呼び捨て」にも疑問の目が向くかもしれません。僕個人としては問題には思いませんし、むしろアレは「個人ユニット名(※T.M.Revolutionとかみたいな)」なので呼び捨てのほうがしっくりきます。「田中」という名前の人物が、「田中」というユニットとなってパフォーマンスをしている。そのときの「田中」は商品名であり、人物と切り離された呼称ですので、「試合中は呼び捨て、実際に話すときにはさん付け」は納得感のある使い分けだと思います。
ただ、それも「呼び捨てによる見下し」のニュアンスを帯びるようになれば、イヤだなぁと思う選手も出るでしょう。試合中もさん付けとなれば煩わしいですが、どうしても呼び捨てがイヤなら登録名を「田中さん」にして強制する手だってあります。これもまた時代の変化として、将来的には起こり得ることだと思います。
↓サッカー界で一番呼び捨てが似合う選手ですら、街中とか練習場では「さん付け」にしてほしいと言っています!
スポーツ選手に対して街中や、
- 槙野智章 (@tonji5) 2018年10月22日
練習場で声を掛ける時は選手の事を、
呼び捨てじゃなくて「○○選手」と付けた方がいいね。
そうすると選手自身も気持ちよく手を振ったりファン対応出来るから。
みんな、気を付けてな!
「えー」
「つけたくない」
「槙野にさん付けは何かイヤ」
「自分が下になったみたいな気がする」
「なら、ソッチは様で呼ぶべき」
「コッチは『槙野さん』と呼び」
「ソッチが『お客様』と呼ぶ」
「それなら認めてやってもいい」
「まず、お客様と呼べ!」
「試合中も街中でも練習場でも!」
「話はそれからだ!」
僕は、最終的に応援というものは「名前」と「拍手」だけで成立すると思っています。そのふたつには激励も叱咤も感謝も賞賛も落胆も、すべての感情が込められます。用途としては十二分です。個人の「イヤだなぁ」をどんどん尊重していった未来においては、公の場での応援は「田中さーん!パチパチパチパチ」だけになるかもしれませんが、まぁそれはそれで楽しむことはできるでしょう。「下手くそ!」系の応援(野次)はヒメゴトとしてコッソリ楽しむ時代が、近くまできているんでしょうね。
↓ということで、「一歩先行く球団」としておなじみの楽天イーグルスより、未来の応援歌をどうぞ!
「GO」と「名前」だけで応援歌は作れる!
さすが楽天、未来野球団!
ついでに「俺たち」系の歌詞も全部「ミーたち」に変えといてください!
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