年末恒例の「M-1グランプリ」。

昨年涙をのんだジャルジャル、2年連続で準優勝の和牛などが話題にあがった今回ですが、優勝を果たしたのは平成生まれのコンビ・霜降り明星でした。

優勝後の会見で「新しい若い力も『まだ荒いけどおもろいんやぞ』っていうのを見せていきたい」と語った彼らに、単独インタビューを敢行。

実際に話を聞いてみると、彼らの歴史は青春ドラマのようでした(涙もろい方は、人前で読まないように注意してください!)。

〈聞き手:福田啄也(新R25編集部)〉


【霜降り明星】粗品(そしな。左)1993年1月7日生まれ。大阪府出身。ツッコミ担当。/せいや(右)1992年9月13日生まれ。大阪府出身。ボケ担当

福田:
「M-1グランプリ」優勝おめでとうございます!

まさか自分と同い年(26歳)の2人がM-1で優勝するとは思いませんでした。

せいやさん:
ありがとうございます。とにかくびっくりしたっていう声が多かったですね。

先輩たちからも「やりすぎやろ」って言われましたし。

福田:
和牛やジャルジャルなど、人気コンビが最終ラウンドに残りましたが、そのなかでも霜降り明星が与えたインパクトははかりしれなかったと思います。

今回はお2人のこれまでの話を聞かせてください!

高校入学2日目にいじめが始まる。円形脱毛症になっても屈しなかった

福田:
「M-1」の決勝戦で2人のことを知った人が多いと思います。

ボクも「なんだこの2人は!?」と思ってwikipediaで調べさせていただいたんですが、せいやさんって壮絶な高校生活を送られていたんですよね…

せいやさん:
そうですね。高校に入学して2日目からいじめられていました

福田:
どうしてそんなことに…?

せいやさん:
ボク、それまでずっと学校の人気者だったんですよ。

小学生のころは「お笑いクラブ」に所属していて、テレビで漫才を披露したこともあったし、中学になってからもサッカー部のキャプテンだったので学校の中心にいました。



せいやさん:
だから高校でもインパクトを残そうと思って、初日に思いっきりボケをかましたんです

クラスのなかで声の大きい男子たちがいて、その1人がゴミ箱にゴミを投げ入れようとして外しました。

その瞬間に、大声で「リバウンドオオオ!!」って叫んだんです。


ものすごい声量でした

せいやさん:
そしたら教室中がシーンとしちゃって。

翌日学校に行ったら、自分の机がひっくり返されていました

福田:
「なんだあいつ」ってなって、いじめの標的にされてしまったんですね…

せいやさん:
最初はふざけてるのかと思ったんですけど、肩にバーンって固いものをぶつけられたんです。

パッて見てみると、南京錠。すぐに「オレ家ちゃうねん!」ってツッコみましたけど、「これはいじめが始まる」って悟りましたね。



せいやさん:
そこからの毎日は壮絶でしたよ。

ロッカーに閉じ込められるのはまだ軽いほうで、ボコボコにされたり、4階の窓から突き落とされそうになったりしました

福田:
ひどすぎる…

不登校にはならなかったんですか?

せいやさん:
いえ、むしろ「1日でも休んだらダメだな」って思ってました。だから、どんなにいじめられても、毎日登校してボケつづけたんです。

いつかは笑いで見返してやるぞって思ってたので。

福田:
すごい…。普通の人ならきっと耐えられなかったでしょう。

せいやさん:
ボク、底抜けに明るい性格なんですよ。

地元に帰ったら、「オレいじめられてんねん(笑)」って笑い話にしてて、体があざだらけになっても「アザラシ」ってふざけてました。

ただ、体はストレスを感じていたらしく、円形脱毛症になっちゃったんです



せいやさん:
最初は10円ハゲくらいだったんですけど、どんどん広がっていって最終的には『ドラゴンボール』のフリーザみたいになりましたね。

学校でも「フリーザや!」ってバカにされましたが、それでもフリーザのモノマネをして笑わそうとしてました。

福田:
さすがに笑いづらいですよ…

せいやさん:
あと、頭皮がボロボロになると、フケがめっちゃ出るんですよ。

それを毎日、母親に取ってもらっていたんですけど、ある日頭皮にポタポタ水滴が垂れてきたんです。

振り向いたら母親が号泣してて、「なんでこんなことになったん…?」って言われたんですよね。



福田:
もう耐えられません。なぜそこまでして学校に?

せいやさん:
さっきも言った通り、ボクは絶対にいじめに屈したくなかったんです。

というより、「こいつらを全員笑わせてやろう」って思ってました。

だからずっと見返すチャンスをうかがっていたんです。



せいやさん:
高校1年の文化祭のときに、いじめグループから「お前が1人で劇をやれ」って言われました。

向こうは嫌がらせのつもりだったんですけど、ボクにとっては大チャンス。昔から漫才やコントを考えるのが好きだったので、「渾身のコントで見返してやる」って考えてました。

ここでダメだったら卒業までいじめが続く」って思って必死に作り上げましたよ。まさに人生をかけたコントでした。

福田:
おお…それでどうだったんですか…!?

せいやさん:
それが大成功だったんです。会場がめちゃくちゃウケて、表彰までされました。

その表彰式の壇上で「いじめを跳ね返したぞ!!」って叫んだら、全校生徒がドワアアアって沸いたんですよ。その日からいじめはなくなりましたね。


泣きそうですよ…

「ハイスクールマンザイ」がすべての始まり。ライバルからコンビへ

福田:
ここまで壮絶な話でしたが、粗品さんはせいやさんと違う高校だったんですよね?

粗品さん:
同じ大阪府だったんですけど、まったく違いますね。

せいやとは、普通に生きていたらまったく接点なんてなかったと思います。

せいやさん:
ボクらが高校2年生のとき、「高校生お笑いNo.1」を決める「ハイスクールマンザイ」というのが始まったんです。

その第1回で粗品のコンビ「スペード」が近畿代表として決勝戦に出場して、大阪でちょっとした有名人になったんですよ。

スペードってコンビが面白いらしいぞ!」って。それがすごく悔しかったんです。

「スペードなんかより、絶対にオレのほうが面白い」って思っていましたから。だからそれを証明してやろうと思って、翌年の「ハイスクールマンザイ2010」に出場しました。



福田:
そこで初めて会うことになったんですね。お互いの印象はどうでした?

せいやさん:
変なやつやな」って思いましたね。粗品から声をかけてきたんですけど、その第一声が「オレの運営している大喜利サイトに投稿してくれ」だったんですよ。

根っからの「お笑い好き」さにちょっと引きました。



福田:
(笑)

粗品さんは初めて見たせいやさんをどう評価していたんですか?

粗品さん:
「ハイスクールマンザイ」のときは、「コイツ面白いな」って興味を持ったくらいでした。

ただ、その後にあったアマチュアのお笑いコンテストで、せいやのコントを見たときに惚れこんだんですよ。

アイデアや発想が高校3年生とは思えないくらいずば抜けてて、心の底から「コイツとやりたい」って思いましたね



ピンで活躍していても、「せいやとだったらもっと上に行ける」と信じていた

福田:
しかし、粗品さんは大学1年生のときに、先に吉本のオーディションに受けて合格したんですよね?

粗品さん:
そうですね。せいやは芸人になる気がなく、ボクは一人で吉本に所属することになりました。

福田:
どうしてせいやさんは芸人になるつもりがなかったんでしょう?

「お笑いで人生が変わった!」って思っていたら、芸人を志すほうが自然なように感じますが…

せいやさん:
ボクにとって、お笑いは人生を変えてくれたものではありますが、テレビで見ているプロたちには遠く及ばないと思ってました。

お笑いを愛しているからこそ、自分の限界点が見えていたような気がします。

当時は、高校時代の経験を活かして教師を目指していました

福田:
確かにせいやさんの経験はきっと教師になっても活かされたでしょうね…

粗品さん:
そんなせいやに、ボクが定期的に「一緒にプロとしてやっていかないか?」って小出しに誘ってたんですよ。

執拗に誘うと嫌がれると思ったので、2か月に1回くらいでご飯を誘って、それとなく言ってみる…みたいな(笑)。

福田:
へええ! でも、吉本に所属していたのなら、まわりにいたピン芸人とコンビを組むっていう話にはならなかったんですか?

粗品さん:
いや、せいやほどセンスのある人間がいませんよ!!

コイツは言葉のセンスや大喜利力がとにかく高い! ボクにないものを持っているんです。せいや以上に惚れた人間はいません。



粗品さん:
ボクはピン芸人として活動しているとき、「オールザッツ漫才2012」に優勝したり、周囲の先輩たちから「すごい若手が入ってきたぞ」って言われたりしました。

でも、せいやのことが忘れられなかったんですよ。せいやとコンビを組んで、2人で漫才をやったらもっと上を目指せるっていう思いのほうが強かったんです。

福田:
そこまで…

そんな粗品さんからのアプローチを受けて、せいやさんは芸人を志すことになったんですね?

せいやさん:
そうですね。最初は自分には無理だと思っていたんですが、粗品が飯を食うたびに毎回「一緒にやらないか」って誘ってきましたから。

そんな粗品がどんどん業界から評価されていて、「これだけすごい男が毎回オレを誘ってくるってことは、オレも芸人としてやっていけるんじゃないか?」って揺れていったのを覚えています。

それで20歳のときに、ようやくコンビでの活動が始まったんです。

ようやくコンビ結成も「粗品の邪魔をするな」の声

福田:
猛アプローチがあったとはいえ、粗品さんはすでにピン芸人として周囲から将来を期待されていました。

せいやさんとしては、かなりプレッシャーがあったんじゃないですか?

せいやさん:
もちろんですよ。周囲からは「誰やせいやって。粗品の足を引っ張るな」って声もありました。

また逆境やん」ってひそかに思ってましたよ。

福田:
そうですよね…粗品さんにもそういう声が聞こえていたのでしょうか?

粗品さん:
ボクはせいやとならもっと上に行ける確信があったので、当時は気にならなかったですね。

ただ、最初はコンビとして結果を出すことができなかったので、どんどん焦っていったのを覚えています。

2015年には、一度芸人を本気で辞めようと思いました

福田:
何かあったんですか?

粗品さん:
ボクらは20歳で伝説的な大スターになるつもりだったんです。それなのに、賞レースもずっと負けつづけた。

まわりからは「芸人としてはまだ若いやん」って言われましたけど、同い年が大学を卒業して就職するタイミングに「オレらはなにやってんのやろ…」ってなったんですよ


「芸人を本気で辞めようって悩んだのは、その1回だけですね」

福田:
2017年に「ABCお笑いグランプリ」で優勝して涙された裏にはそんなことがあったんですね…

粗品さん:
そうです。予想よりも遅くなりましたが、ようやくコンビとしての面白さを見せられたので、お互い感極まってしまいました。

最年少で「M-1」優勝。20代を盛り上げる起爆剤になる



福田:
過去のインタビューで、「M-1」で優勝したいとお話されてましたが、優勝した今、次は何を目指していきたいといった目標はあるんですか?

粗品さん:
よく「M-1」に優勝したあとが大事だって言われます。それって裏返すと、みなさんボクらが消えることを期待している一面もあるってことですよね。

でもボクらにとってM-1は目標だけど、終着点ではない。もしここからの上昇に失敗しても、何回でも上がってやるぞという気概で臨んでいきたいですね

せいやさん:
お笑いは特に高年齢化が進んでいます。今回も「史上最年少」という言葉が大々的に報道されていました。

今ってYouTuberやアスリートでやっと20代が評価されるようになってきましたよね。ボクらの優勝で、そんな若い人がどんどん台頭していく起爆剤になれればと思っています

だからこそ、新R25の読者さんには、ぜひとも今後のボクらの姿を見ていていただきたいです!



〈取材・文=福田啄也(@fkd1111)/撮影=長谷英史〉