スリランカ上座仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ

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■妄想をするな、感情で生きたら負ける

大切なのは、自我やこだわりは捨てて、問題そのものだけをシンプルに取り出し、考えることです。それができれば、自分の提案に対して指摘された欠陥部分をすばやく修正できますし、迅速な対策も立てられます。ミスを素直に認められる謙虚な姿勢をもつ人ほど、さらなる知恵を獲得することにもなるでしょう。余計なことを考えずに「ああ、そうですね。やり直しましょう」と実行するのが一番早いのです。

他人と議論したり、口論、喧嘩を仲裁する場合も同様です。互いの気持ちの部分、自己主張の部分には囚われず、問題のポイントだけをシンプルにまな板に載せれば、おのずと互いの心が整理され、解決の道筋が見えてきます。

私たち出家した人間がとりわけ大切にするのは、ブッダの次の言葉です。

「真理に従って生きる人は真理が守ってくれる」

これは、淡々と真理に従って生きる人は真理によって守られる、妄想ではなく真理に従え、という戒めです。感情で生きたら負けますよということ。

ブッダは人間の苦しみは普遍的なものであり、それは無常という真理を認めようとしない心の問題にあることを発見しました。そして、その心が真理を認める勇気をもつように修行することが知恵を開発することにつながり、苦しみから脱出することができる、と発見したのです。ブッダはこの方法でみずからがその苦しみから脱出してから、つまり解脱してから人々に伝えました。

ブッダが説かれたものは「宗教」や「信仰」ではありません。ブッダはけっして「神を信じろ」とか「私を信じろ」とは言いません。奇跡とか神秘体験やマインドコントロール、風水などといったこととも、いっさい関係がありません。何かにすがり依存しろとも言っていません。ただただ、この世の真理に従えばいいというのです。

仏教は心の科学です。ブッダが説いているのは、ブッダが発見した世の中の「真理」です。世の中について、生命について、人の心について、宇宙について考え抜いて知ったもの、つまり普遍的な法則、真理を伝えているのが、ブッダの言葉なのです。世の中にあることをそのまま、少しもねじ曲げることなく、こうなっていますと説明することは科学です。いわゆる物理・科学が物質を対象とするのに対して、ブッダの場合は心を研究し、生きるということをテーマとした科学なのです。生きることはなぜ苦なのかを突き詰めた科学なのです。

テーラワーダ仏教(上座仏教)はブッダの教えに最も忠実なものです。仏教が世界各地に伝播し、それぞれの開祖によって各種の発展を遂げる以前の、最も初期の仏教。ブッダが実際に説法に用いたパーリ語(古代インドの俗語)のオリジナル経典に基づいた仏教です。阿弥陀仏など諸仏の存在は認めず、菩薩への信仰もありません。極楽浄土があるとも言いません。

ブッダが辿り着いた「悟り」の境地に近づくために、私たちは瞑想を行っています。たとえばその1つはヴィパッサナーと呼ばれる瞑想法で、その瞬間に起こっていることをありのまま見つめることによって、洞察力を養うもの(深呼吸後、下腹部が受動的に動くのに合わせ、その感覚を「膨らみ」「縮み」と心の中で淡々と実況中継する等)です。

■変化に合わせて「自分」を変えていく

私たちが生きることの本質は「苦」であることを認め、安定はない、すべては変わるのだ、と知った人には大きな勇気が生まれます。「すべては変わる」ということは、「すべては変えられる」ということです。変化に合わせて、自分も変わればいいのです。どんどん挑戦すればいいのです。変わることを恐れているうちは、不安から解放されず、自由と安らぎも得られません。経済が悪い、国が悪い、環境が悪いと嘆くのではなく、みずからを変える勇気をもってください。諸行は無常です。自分が生きる世界は、自分で築くことができるのです。

(写真※注)スマナサーラ長老は2009年11月にインドへ赴き、ブッダ生誕の地、入滅の地など「8大聖地」を巡礼した。写真は祇園精舎にあるアーナンダ菩提樹を参拝したときのもの。菩提樹の周りを時計回りに3周して礼拝し、その根元に聖水を注ぐのが参拝の慣例。

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スリランカ上座仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ
1945年、スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。80年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事。ベストセラー『怒らないこと』『バカの理由』ほか著書多数。右の写真は、釈迦牟尼(ブッダ)の身体から発したとされる後光の色を配した「五色の仏教旗」。

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(スリランカ上座仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ 構成=小山唯史 撮影=的野弘路)