ラウ島で作られたタパ。3畳分の大きさ。

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 南太平洋の島国フィジーに息づく「タパ」。布のような紙のようなそれは、市場で売られ、結婚式や誕生日、村の集会場など、人々の暮らしに自然に溶け込んでいる。旅先で出会ったタパを通して、共同体の営みや女性たちの手仕事、そして“生きた伝統”の姿をアートディレクターの土居彩子氏が鮮やかに描き出す。

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【写真を見る】フィジーの暮らしに息づく伝統布「タパ」 作り手の姿も

 私の部屋に、広げたいけど広げられない布がある。

 布というべきか、見た目も触ってもゴアゴアしていて、風になびくことなんて絶対にない。むしろ和紙に近い。3畳ほどのこの大きな布をゴソゴソ広げようとすると、物を部屋の四隅に寄せて広いスペースを作らねばならない。

ラウ島で作られたタパ。3畳分の大きさ。

 だけれども、時々部屋を片付け、丁寧に丁寧に布を広げたくなる。広げた途端に部屋中がざわめき始めるのだ。

紙?布?

 日本から飛行機で9時間、南半球の太平洋に浮かぶフィジー共和国。ゴアゴアの布「タパ」はここからやってきた。木の皮を剥ぎ、水にふやかし柔らかくなったところを木槌でゴンゴン叩いて広げてゆく「タパ」は、私たちが「布」と聞いてイメージする織布とはずいぶん異なる。

 和紙のように素材を分解して再構築することもないし、布のように植物の繊維質を取り出してコツコツと紡いだり織り上げることもない。剥ぎ取った樹皮をそのままひたすら伸ばしてつなげて広げてゆくというシンプルさだ。シンプルなゆえに多くの人手をかけて10メートル以上のサイズも作れてしまう。しかしどんなに立派なタパを作っても、高温多湿な国で生まれるタパはカビが生えたり朽ちたりと分解されやすい。自らの古い歴史を物語ることなく、タパは役目を終えるとあっさりと姿を消してゆくのだ。

 だからこそ逆に、過去の産物として祀られているのではなく、フィジアンの生活の中で、タパは今も生きて呼吸している。

ウェディングドレスに使われることも

 私にとっての旅の醍醐味は、「市場」を訪れることだ。広い市場に食材がひしめき並ぶその景色は、フィジーの胃袋の中そのもののように感じる。色とりどりのスパイスから立ち昇る匂い。隣の売り手と競い合うように限界まで高く盛られた野菜たち。活発な胃袋の景色が見えてくる。

 その市場の中に、タパを見つけた。折り畳まれたタパが何枚も積み重なり、そしてぶら下げられて売られている。市場で当たり前に売られている、ということはフィジアンたちにとってタパは日常的なものなのだろう。

 でも、いったい何に使うのだろうか?

 恰幅のいい売り場の女性に聞いてみると、タパを胸に巻き付けて、

「こうやってウェディングドレスにするの」

 と教えてくれる。

 紙のような肌触りのものを衣服にすると聞いて、神秘的な違和感と共に疑問が湧いてくる。

「洗濯はできるのですか?」

「いいえ」

 という答えが返ってきた。

「これは洗えません。使った後は大切に畳んでしまっておいて、また次の時に使うのよ」

 その他にもお葬式の時に棺に掛けたり、人生の節目にタパは欠かせないという。なるほど、日本でいう着物に近い感覚なのだろうか、と思っていると、どうやらもう少し生活の中に自然に入り込んでいるようだ。

 例えば、私の娘は16歳を迎えた少女からホームパーティーに招かれた。主役の少女はタパのスカートを穿き、タパの敷物の上に座り、部屋の壁にはタパが掛けられていた。想像以上に、タパ、タパ、タパなのだ。

 少女は一日タパのスカートを穿き、いつもと同じように立ったり座ったり身軽に動く。タパは明らかに「伝統衣装」としてではなく、16歳の少女と一緒に呼吸して、一緒に生きてゆくのだ。

タパの作り手に出会う

 またフィジーには「ムラ」の原型を見るような小さな集落があちこちにある。川が主要道路の役目を果たし、その周辺に村が点在する。

 私が訪れた「ヴナレワ村」もその中の一つで、ボートでたどり着くや、「え、これで一つの村なの?」とその規模に驚く。保育園のグラウンドぐらいの庭をぐるっと10軒ばかりの家が囲んでいる。これが村の全てなのだ。それでも集落がどんなに小さくても、不釣り合いなくらいに立派な集会場が一つ建っている。私がタパに出会ったのも、この集会場だった。建物を支える中心柱が、美しいタパに包まれていたのだ。

 このタパはどこかから買ってきたものだろうか? それともここで作っているのだろうか?

 知りたくて、陽気におしゃべりをしている女性たちに近づいていった。フィジアンたちはどこへ行ってもとても人懐っこい。ここでもまるで懐かしい友人を迎えるように私に顔を寄せてくる。

「あの柱のタパはとても美しいのですが、誰が作ったのですか?」

 私の質問に女性たちはワッと湧いて、

「ほら、あなた、あなた」

 と一人の女性の肩や背中をさすったり叩いたりした。促されて「私よ」と手を挙げたのは意外にも若い女性だった。

 不意打ちだった。私は「タパの作り手にはそんなに簡単に出会えるはずがない」と思っていたのだ。そして「伝統布の作り手は高齢者だ」とばかり思い込んでいたのだ。目の前のツヤツヤと褐色に光る肌と、美しいアフロに見惚れながら、自分の貧相な想像力と現実の美しさの落差にわくわくした。

 ところで、タパは一体どこで作るのだろうか。他の村に出かけて行って製作所のようなところで作るのだろうかと思って尋ねると、また外れた。

「この集会場で月に何回か集まって、私たちみんなで作るの。タパを作るのは私たち女性なのよ」

 嬉しそうに教えてくれる。

 なんとタパを作る技術が、こんな小さな村にも鮮やかに息づいているのだ。

 という感動で私はその場を去った。

 なのだがだんだん私は「ん?」と頭が混乱してきた。

「みんなで作る」と「この人が作ったのよ」が混在しているのだ。これはどういうことだろうか?

大人数のパフォーマンスと巫女のような呪術的儀式

 タパについて思いを巡らせるといろいろ面白い。一枚のタパには、姿の違う二つの文化が共存しているのだ。

 一つは樹皮を叩いて伸ばす大人数でのパフォーマンスと言ってもいい文化。どの村を訪れても歌と踊りが本気でうまいフィジアンたちは、おそらくタパを叩くゴンゴンというリズムに歌声を合わせもするだろう。

 そしてもう一つが、タパに紋様を記してゆく静かな作業。フィジーのタパの特徴は「型染め」で、その緻密な技術はオセアニアの中でも群を抜いている。文献を辿ると、自然界の神聖な力や祖先の力はタパを通して人々に届き、逆に不浄な力はタパが跳ね返してくれるという。つまりタパはフィルターのような役割を果たすのだ。紋様一つひとつには村のアイデンティティや物語が込められていて、呪術的でもある。その紋様を記すことができるのは、巫女のような限られた女性となる。この作業は内なる深みにぐっと潜り込んでゆく個の儀式に近く、ゴンゴンみんなで木槌を振るう共有の儀式とは対極の姿となっている。

 この二つを併せ持ったタパが3畳分ともなると、私の部屋はうるさいほどになる。このざわめきを一度でも肌で感じてしまうと、部屋中のものを隅に押しやってでもタパを広げたくなる。

参考文献
・Jara Hulkenberg, Masi: Cloth of the Vanua, Pacific Studies Press, Suva, Fiji, 2021.
・菊岡保江・小網律子『タパ・クロースの世界――南太平洋の樹皮布』源流社、1978年

土居彩子(どい・さいこ)
1971年富山県生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。棟方志功記念館「愛染苑」管理人、南砺市立福光美術館学芸員を経て、現在フリーのアートディレクター。

デイリー新潮編集部