山形放送

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酒田市出身の歌手、白崎映美さんが、地元に開いた食堂「六た茶屋」がこの春、3周年を迎えました。白崎さんがこの店に込めた思いには、ことし発生から50年の酒田大火と、15年の東日本大震災が大きく影響していました。

鏡開き「せーの!よいしょ!拍手」

酒田市本町の新井田川のほとりに「六た茶屋」がオープンしたのは2023年春。酒田市出身の歌手、白崎映美さんが、空き店舗を改装し多くの仲間と作り上げました。

白崎映美さん「みんなで作るみんなの六た茶屋。どうぞこれからも、みんなでここで面白いことをしていきたいと思います。」

「六た茶屋」では、地元酒田・庄内の季節ごとのおいしいものや、かまど炊きのご飯などが提供されています。さらに、さまざまな団体や個人の協力で、みんなでテーブルを囲む「子ども食堂」として、また、山居倉庫をバックにしたステージとして、県内外からさまざまな人たちが集まるライブハウスにもなります。

白崎映美さん「本当に最高に幸せだなと思っています。これから地元のみんな、酒田以外の東京や大阪、世界のみんなで作る六た茶屋になっていけばいいなと思っています。」

名前は、元の店の「六兵衛米店」と、白崎さんの実家が営んでいた「たくみ食堂」から1文字ずつ取りました。

白崎映美さん「実家は、ここでずっと、たくみ食堂というのをしていて、昔はこの辺りが映画館とかもあって、本当に賑やかな通りだった。」

その商店街は、今から50年前の10月、激しい炎に包まれました。酒田大火です。

白崎映美さん「男の人たちがダダダッと靴のまま入ってきて、そこから先の記憶がない。どうやって逃げたのか。」

一夜明け、まちは一面焼け野原でした。当時、中学3年だった白崎さんは、全国から寄せられた支援を受け、仮設住宅から通学しました。
それから34年が過ぎた2011年3月。東日本大震災で、東北の被災地の光景が、あの日の故郷の姿に重なりました。突然、穏やかな日常を失った人たちの苦しみや悲しみ。何度も被災地を訪ねた白崎さんは、岩手県大槌町で1人の男性と出会いました。

白崎映美さん「自分は昔、漁師をしていて、食べるものと着るものを集めて酒田まで運んだんだと。当時、こういう人から助けてもらったんだと思いました」

今度は自分たちの番だ。でも何をしたらいい。葛藤する白崎さん。

白崎映美さん「『イサの氾濫』という小説に出会って、東北人は大丈夫でなくても、大丈夫と言ってしまう。すごく気持ちが分かって、我慢強い忍耐強い東北人は、今こそでっかい声で叫んでいいんでないかと書いてあって、私は全身、東北の血が燃えたぎるようになりました」

その小説に出てくる言葉が「まづろわぬ人」。かつて「蝦夷」と呼ばれ、朝廷に迎合しなかった東北の人々を指すものです。

白崎映美さん「私たちの東北の景色、青い空と海と山と、じっちゃんばっちゃんが笑っているみたいな、オラがたの東北という歌詞とメロディーが湧き上がるように出来てきて、オラがたはまづろわぬ民だというような、コノヤローという気持ちで『まづろわぬ民』という楽曲と『とうほぐまつりのテーマ』という曲が出来ました」

とうほぐまつりのテーマ「オラは歌うぞ!みな踊れ 泣く子はいねが?みな踊れ いつまで生きるか分かんねぞ 明日ぽっくりいくかも分かんねぞ 生きてりゃいい事来るかも分かんねぞ 東北とうちゃんさいいこと来い!来い来い来い来い来い!」

仲間を募った白崎さんは2013年、「白崎映美ととうほぐまつりオールスターズ」として、遊佐の「アマハゲ」など、東北の荒ぶる神様の使いをイメージした衣装で歌い踊ります。

まづろわぬ民「海漕ぎ山漕いで自由に生きる オラがたの先祖はまづろわぬ民だ…」

2014年と2017年には、演劇集団「風煉ダンス」と、この曲をモチーフにした音楽劇「まづろわぬ民」を製作。東京や福島、山形で上演しました。

白崎映美さん「観客が本当に体と心で受け止めてくれて、良かったと言ってもらえた。私たちは本当に感慨深い気持ちでいます。」

白崎さんは、その後も朗読劇や歌を通して、被災地の思いを各地で伝えました。

さらに、次第に活気が失われていくふるさとの姿に、長年の夢だった食堂「六た茶屋」を作り、地元の拠点にすると、おととしの豪雨災害では大沢地区などでボランティア活動を行いました。

「うた」作詞作曲 白崎映美「うた 凍える夜は毛布になれ うた どしゃぶりには傘になれ うた 翼になれ飛んでいけ」

白崎映美さん「お店って灯台のように、いろんな人が寄って来られる場所だなって、やってみてしみじみ思いました。いま世界が、東北も福島も、世界中にちょっとでもニコニコを届けて、みんなが笑っていられる世界になりますようにと歌います。」