「福島瑞穂」栄えて「社民党」滅ぶ 党首16年で議席は8割減 それでも自身は「当選安全圏」参院比例で出馬を重ね
社民党がいよいよ、末期症状を呈している。2月の総選挙で壊滅的惨敗を喫したにもかかわらず、3〜4月に行われた党首選では福島瑞穂党首(70)がまたも再選を遂げた。その就任記者会見では対抗馬が報道対応を巡って退席する騒ぎがあり、党の深刻な亀裂を全国に晒してしまったのである。低迷の原因は何か。そして、福島党首の責任は。
***
【写真を見る】福島氏が物件を所有する都内一等地の高級マンション “美少女”だった学生時のレアショットも
公開内紛劇
2月8日の衆院選で、社民党は大惨敗に終わった。選挙区に8名(いずれも比例区に重複立候補)、比例単独で7名の候補者を立てたが、全員落選。比例票は72万8602票と、わずか1.27%にとどまり、前回より約20万票、およそ22%の大幅減に終わった。昨年11月に新垣邦男代議士(当時)が離党し、前身である日本社会党が1955年に結党されて以来、衆議院議員が初めてゼロに。今回の選挙で失地回復を狙ったが、それもかなわず。残る国会議員は、参議院議員の福島党首と、ラサール石井副党首の2名のみとなっている。

選挙後も迷走は続いた。3月、任期満了に伴う党首選が行われ、現職の福島党首と、大椿裕子・元参議院議員、ラサール氏が出馬。一回目の投票でいずれも過半数を獲得することができず、4月に福島、大椿両氏の決選投票が行われた。結果、福島氏が当選したが、“事件”が起きたのは、その就任記者会見でのこと。
会見に出席していた記者が、大椿候補にも話を聞こうとすると、司会者が「新党首の会見なので、党首への質問に限ってください」と制止。大椿氏からも「それはひどいと思います。候補者は平等に扱うべき」との抗議の声が出たが、結局、発言の機会は与えられず、激怒した大椿氏が途中退場するという、前代未聞の「公開内紛劇」が起きたのである。
党勢の減退
再選した福島党首は2020年から党首を務め、これで4期連続となる。それ以前も、2003年から2013年までの5期10年間にわたって党首を務めていた。1996年に社会党が社民党と党名変更してから30年のうちで16年間、実に半分以上の期間、トップを務めているわけだ。
一方で、その間、党勢はどれだけ減退したのか。福島氏の1度目の党首就任時、社民党の議席数は衆院6名、参院6名。2013年の退任時には、それぞれ2議席、3議席と6割近く減少した。2度目の就任時は、衆院2名、参院2名でスタート。それが、衆院ゼロ、参院2と半減。2003年と現在を比較すると、12議席から2議席へ、すなわち8割以上の減少幅である。
当選する自信がないから…
福島党首は1998年の参院選で初当選し、現在、連続5期28年。民主党や国民新党と連立を組んだ2009〜2010年には大臣も務めている。知名度は圧倒的で、党首を歴任するのも当然との見方もあるが、これについては“からくり”がある。福島党首は初出馬以来、参院比例区での出馬を続けているのだ。そもそも、党首を務めるのであれば、首班指名に出る可能性もあることから、「憲政の常道」の観点から見れば、衆議院から出馬するのが筋。また、参院選挙は選挙区と比例区から成るが、党勢から見れば、社民党は選挙区での当選は難しい。一方で、比例区では、減退著しいとは言え、固い組織票がまだ残るため、1議席は獲得が可能。福島党首は抜群の知名度を誇るため、参院比例区であれば、毎回の当選が可能になってくるわけだ。
しかし、このポジションを福島党首が“独占”し続けることに関しては、常々内部から批判の声が上がっており、「週刊新潮」ではそうした声を度々伝えてきた。
例えば、2009年11月5日号で同党議員のさる秘書がこう述べている。
「福島さんに対しては、党内にも党首をやる以上、参院なら選挙区、もしくは衆院に鞍替えして勝負すべきという意見があります。しかし、彼女は当選する自信がないから、そういう提案は受け付けません」
2012年11月には、阿部知子代議士が福島氏との確執もあって離党した。その2年前、辻元清美代議士も福島氏との確執を一因に党を離れているが、それに続いての離党である。その際、阿部氏は取材にこう述べている。
「私は1998年、土井たか子さんに頼まれて参院選に立候補した。同時期に福島さんは『全国比例の1位でなければ出ない』と言って当選した。この時から、彼女とは考え方が違うと痛感していました。以来、彼女は自らの選挙は参院の比例だけで、衆院選に出ていない。が、それでは国民の声が届かないと思います」(「週刊新潮」2012年11月29日号)
利己的なふるまい
2016年の参院選では、比例代表に福島氏と吉田忠智党首(当時)が立候補。その折の社民党の党勢では、比例区で獲得できそうな議席は「1」。このままでは、現職党首が落選してしまう恐れがあるため、吉田党首サイドは福島氏に選挙区への転出を打診していたという。
「週刊新潮」2015年8月13・20日合併号では、社民党関係者がこう述べている。
「党首が落選なんて前代未聞の事態です。それだけは何とか避けねばならない。そこで、彼女に自ら県連代表を務めている神奈川選挙区から出てもらってはどうか、との意見が出された。ところが、福島さんはこれを頑なに拒否。結局、2人が比例代表で出ることになってしまったのです」
「彼女は約10年、党首を務めたが、党内には『やはり党首たるもの衆院選の小選挙区で勝負すべきだ』との声があった。実際、何度か彼女に打診もしました。しかし、“衆院議員になると、地元に縛られて議会活動が疎かになる”とか理由を付けて、拒否し続けたのです。まあ、本音は衆院選で勝つ自信がないだけでしょうがね」
「参院神奈川選挙区の改選数は4ですが、野党の間でよほどの選挙協力がないと当選は無理です。吉田さんは参院一期目。彼女にすれば、自分の方が政治家として格上と思っているでしょうからね。自分が再選するには、党首が落選しようが関係ないということかもしれません」
利己的なふるまいに映るが、それを貫き通した結果、やはり2016年参院選では、福島氏が当選、吉田氏が落選の憂き目を見たのである。
相次ぐ離党者
2020年には、その吉田氏と吉川元・参議院議員の2名の現職国会議員が離党し、立憲民主党に合流した。この分裂を受けて開かれた臨時党大会で、照屋寛徳・衆議院議員が当の福島氏の目前で、こう怒りをぶちまけた。
「あなたは総選挙勝利(と言う)。総選挙で勝利するためには、あなたが参議院議員を辞めて、衆議院議員にくら替えして、立候補しなさいよ!」
照屋議員は、2003年から2017年まで沖縄2区で、小選挙区を6回も勝ち抜いてきた闘士である。特に、直近の3回は社民党唯一の選挙区当選者であった。それだけに、福島氏の態度が許せなかったのだろう。後に、NHKの取材にこう語っている。
「参議院選挙でも衆議院選挙でもどちらでもいい。福島自身が一定の知名度があるというなら、選挙区で勝負すればいい。そうすれば、比例代表に新たな人材を迎え入れることができる。それが党勢拡大っていうものだ。でも、比例代表にしがみついて、勝負をしてこなかった」
その照屋氏の後継となった前出・新垣衆議院議員(当時)も先に述べたように、昨年11月に離党した。新垣氏は産経新聞の取材に、「福島氏に衆議院へのくら替えを提案したが、受け入れられなかった」「(福島氏には)根っこには今のままで良い、変化は望まないという思いがあるのではないか」との趣旨のコメントをしている。
これだけ長い期間にわたって幾度となく同志からの指摘を受けてきても、福島氏は「絶対当選」の特権を決して手放そうとしなかった。その頑固さ、メンタルの強さには驚嘆すべきものがある。その結果が党首を計16年務めるという、どこかの国の首領のような独裁体制を生んでいるのだ。その間党勢は著しく減退し、同志たちは軒並み、落選の悲哀を味わっている。まさに仲間の死と引き換えに手にした栄光と言えるだろう。
では、その結果、彼女は何を得てきたのか。政治家としての地位だけではない。【後編】では、彼女の驚くべき資産額について詳らかにする。
デイリー新潮編集部
