≪追悼・東海林さだお≫「ラーメンの本質を表す食材は…」担当編集者も驚愕した、食べ物に対する「天才的な観察力」
漫画家でエッセイストの東海林さだおさんが亡くなりました。享年88歳。文藝春秋に勤務していたときに担当編集者であった私とは20歳近い年上でしたが、年齢差をまったく感じない、気持ちも身体も若い人だっただけに、もうあの文章が読めないのか、と思うと寂しい限りです。
記事前編は【≪追悼・東海林さだお≫「担当編集者を集めて、お寿司を握ることも」気遣いと愛情にあふれた「知られざる素顔」】から。
いつまでも若々しかった東海林さだおさん
私は、週刊文春ではなく、小説誌「オール讀物」の「男の分別学」というエッセイの担当をさせていただきました。忘れもしないのは、茨城県大洗まで、二人で出かけて、あんこう鍋やあんこう料理を食べた夜です。それらの料理も美味しかったのですが、忘れがたいのは宿で二人で話しあかしたことです。当時私は40歳をこえたあたり。東海林さんは、ちょうど60歳の年でした。
東海林さんが、ぼそっとつぶやきます。「俺、もう60歳なんだよね。昔なら完全な引退老人なんだよ」と。
お酒もはいって陽気になったのか、二人で歌ったのが「船頭さん」という曲です。
「むらのわたしのせんどうさんはことし60のおじいさん。年はとっても おふねをこぐときは、げんきーいっぱい ろがしなる」……。
目の前の東海林さんは、おじいさんとは、とてもいえない若々しさなのですが、「ことし60のおじいさん」が気に入ったのか、いつのまにか、何度も、この歌を二人で歌ったことを思い出します。
仕事へのすさまじい責任感
その夜、東海林さんの仕事への責任感のすごさを痛感させられる裏話も知りました。タンマ君をはじめ、週刊現代の「サラリーマン専科」、毎日新聞の「アサッテ君」と、サラリーマンの悲哀をユーモラスに描くマンガの連載を三つも抱えていた東海林さんは、顔のアイデアが思い浮かぶと描くスケッチブックやアイデアを書き留めるためのケント紙のノートを特注で作るなど、仕事に真摯な人でしたが、それでも、サラリーマンもののマンガを描いていると、途中で、あれ? これ、昔書いたことないかなあと、不安が浮かぶそうなのです。
たしかに、うだつのあがらないサラリーマンが主人公の、日常を描く作品ですから、似たアイデアが出てくるのは当たり前といえば当たり前。そんなときは、すべての作品を集めたファイルを全部見直して、同じものがないか確かめていたそうですが、どうしても不安が消えず、書きかけたマンガをボツにして、一から書き直したことも何度もあったとのこと。
食べ歩きの記憶
男の分別学では、日本各地に食べ歩きにゆきました。東海林さんと会話しながらの旅行は話題も豊富で、あまり気をつかわなくてよく、大変気楽な作家なのですが、こと食べるとなるとちがいます。B級グルメタイプの食通ですから、ラーメンを食べるとなると、一夜で三杯くらいはラーメンを食べます。博多では、まずは有名な長浜ラーメン 次は豚骨をこれでもかと煮込んだギトギトスープの流行しかけのラーメン店。これで終わりかと思ったら、ラーメンばかりじゃ飽きるからと、翌朝、博多の「かろのうろん」という名物うどん屋さんで、ゴボウ天ぷらつきのうどんを、苦もなく完食します。
長崎では、長崎チャンポンを二杯たべたあと、長崎名物の卓袱(しっぽく)に挑戦。大きなテーブルに和食と中華が何種類ものせられて、チャンポン二杯のあとは、もう勘弁というのが私の本音ですが、東海林さんは、愉しそうに、メモもとらず、全部の皿に手を付けて丁寧に食べています。
食べ物への天才的な観察力と哲学
私は、食べるのをおつきあいするだけでしたが、できあがった原稿を読むと、驚くべき観察力と哲学で食事をされていたことがわかります。
ラーメンをあれだけ食べた博多では、当時は珍しかった豚骨スープや、どろどろまで煮込んだスープは少しだけ触れてありましたが、少しあとに書いた原稿では、ラーメンの具材で何が一番不思議か、が考察されます。なぜ、メンマが必要なのか。なぜ、煮卵があった方がうまいのか。ここまでは凡人でも、考えつきますが、東海林さんがこだわったのは、「ナルト」。
たしかに、昔の中華そばには「ナルト」が必ずはいっていました。特別に美味しいと感じるわけでもなく、食べる順番でも、「ナルト」をどの段階で食べるかなんて決めている人はいません。しかし、彼は「ナルト」が十分に汁を吸い、口に含むとジワーッとくる、その雰囲気と、ラーメンの中に赤色がはいる色彩感覚こそがラーメンの本質を表す食材だと喝破する……という原稿になっていました。
一体、この人はどういう頭脳をしているのだろうと思ったことが多々ありますが、努力の方もハンパではありません。事務所にはところ狭しと健康器具が並べられ、当時流行のルームランナーから、ぶらさがり健康器具まで、なんでもチャレンジして、ついつい原稿で運動不足になることを防いでいます。髪の毛も、一時はかなり減ってきたかなと思うと、養毛剤を欠かさずつけ、みている時は常にブラシでアタマを叩き、とうとう頭髪の復活に成功しました。いやはや、天才にみえない天才。こういう人こそ、本当に讃えられるべき人でしょう。
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